人気ブログランキング |
- 北の空からみなみへ -
exblog staff

タグ:おはなし ( 61 ) タグの人気記事
寄り添いたまへ Jerusalem
2009年 02月 23日
愛するとは、お大事に思ふことなり

形式とは、こころ込もらぬ所為なり

乾きて干からびた憎しみは、燃えるのみ

潤わず焦げ焼けたこころ、そはシステムの重心にふさわしきか

人の形を似せただけのシステムに、こころ操られること

そは愛国なるか、そは友愛なるか、

はたまた傀儡なるや、あるいはマリオネットたるや


 過去記事(この窓のままとび) > 北の夢想科学小説 : 人間因子: 個とシステムとの理解


全く知らなかったのだが、村上春樹氏がエルサレム賞授賞式の記念スピーチにてカッコいいことを言ったらしい。

 こちらで知った(別窓開き) > 村上春樹氏、イスラエル賞授賞式でのスピーチ


語学脳の弱い私が、今回気付いたのが、Jerusalem = エルサレムと読むこと。

古いラテン語系の言葉では Japon を ヤポーン とか読めるみたいだし、イエス・キリストは Jesus と書いて イエスとも読むしジーザスとも読む。 ユリウス(カエサル つまり シーザー)は、Julius なのが英語の7月の語源でもある。
 そうしてみると、(通貨の)円は JEN と書いて(つまりJapan EN)が YENに変わったのだろう(ウソ)

ユダヤ教はキリスト教の母教でもある。 厳格な戒律と形式的な信仰に対して、「人の心こそ大切である」と「愛こそが信仰の根底」を掲げたのがキリストだったという解釈もできよう。(ほんと)
砂漠の一神教(アブラハムの宗教)という意味では、イスラムとも同根性があるようにも見える。


イスラムの教義でジハード(聖戦)の概念がある。
このジハードの捉え方にも、大ジハードと小ジハードの概念があり、外(異教の非ムスリム)へのジハードを肯定したり宣揚したりするのは小ジハードとある。 より大きな戦い(大ジハード)は、自分の内なる敵(自らの心の中の悪)と闘う姿勢にこそ存在するという捉え方だ。
 このあたり、ガンダム00とかの通奏低音として切ないほどに語られている < 刹那なだけに ^^;

組織や機関や国家や宗教が、人間を教育 するときにこのようなレトリックは常に使われる。
 仲間あってこそお前がある / 国家があってこその人民 / 人間の根本原理がいまここにある信仰

 関連過去記事 > 北の夢想科学小説 : 理想という妄想と夢想

おそらく、村上氏の語った、壁と卵の比喩の萌芽は何処にでも至るところに存在するものだろう。


それは、例えば、10代の若かった頃に 友人や仲間が万引きをしていると気付いたときに、

 他の人に言えなかったり

 やめたほうがいいと思っても口にできなかったり

 こんなことなんてゲームに過ぎないさ と自分を誤魔化したり

 あくどく儲けてやがるから、海へのたちょしょんていどのダメージさ と言い訳したり

そういった、仲間への忠義心を組織的に行ったものが壁であり、その壁の前で 自分のか弱い殻(いわゆる憲法19条=良心)を試されているような場面のことを、このエルサレム賞で語ったのだ。(ほんとうにそうかどうかは定かではない)


ただ私は、文学て作家って、そういう心が産み落とすものなのかなって思うのだ。
 天邪鬼なだけでも、判官びいきなだけでもなく、矛盾を虚構の世界で強調し洗練し象徴化する技術だけでもいけない。


神への愛を説いたのがキリスト教(それは神を通じて他の人々にも伝わるという)で、他者への慈悲を説いたのが仏教(完成体・完熟態がほとけ)で、唯一教・ユニシズムを通じてこそ人々が平等で互恵を享受できるってのがイスラム。
そんなざっくりした理解でしかわかっていないけど、そんなゆっくりした理解でも続けてゆけばいいのだと、そう思ってもらえる人こそ私にとっては 愛に・慈悲に・博愛に 満ちた人だと思へるのだ。

みまもるとか、よりそうとか、それこそが人間の本義であると思える人を せたげることなきと願ふ
by bucmacoto | 2009-02-23 19:44 | duality
真冬日越え(習作文)
2008年 11月 21日
機朝には、わずか1cmほどの積雪でした。
そのわずかの雪が、昨日の晴れの天気にも関わらず、夕方まで融けずに残っていました。
c0062295_051547.gif

昨日は真冬日。 平均気温はマイナス3℃。

今日には、路面も乾いて水溜りもぐちゅりとしていました。
最高気温が5度もあると、冬とはいえども温(ぬく)い気がしてまいります。

冬日の今日は、氷点を超えたままに一日が終わりそう。


 寒さも峠を越える。

この使い方は一般的なのでしょうが、寒さであるなら、『谷を越える』と書いてみたい気もします。


 

それは極地の季節の名前であり、星の輝きと、天から舞い降りる便りと、凍てつく長き冷たき夜とが、蒼白で灰白色な闇を織りなす転回点なのだろう。

方程式のグラフで描かれる極解は、それ以上にもそれ以下にもすぐには届かないという意味で、局所最適な解である。

北の果てに北極があり、白熊(ホッキョク熊)がおり、オオワシが降り立つ梢がある。

南の果てにはテーブル氷河を抱く南極があり、ペンギンがおり、軍事利用も核実験も禁止され領有権は凍結されている。

極地の厳しさを垣間見る季節が冬であり、極地の美しさを仰ぎ見る季節が冬であり、暁闇(あかつきやみ)・薄闇(うすやみ)・長夜の闇(ちょうやのやみ)を感じ取ることの容易な季節が冬であるといえるだろうか。

  にて語を〆(締め)られる言葉


冷たいはずの雪は、吹雪の夜には温もりを感じさせてくれることもある。

白魔と呼ぶにふさわしいブリザードの中で立ち往生した後に、助けられたときの安堵感。
冷たく凍えきった四肢に血流が再開通するときの、くすぐったさと痛みの入り混じった不思議な感覚。


極限ということばには、極にしか存在しない限定された存在感があるようだ。


カナダ・グリーンランド~アラスカ~シベリア~スカンジナビア。
 イヌイット(エスキモー)は極限の寒さにトナカイと犬ぞりと共に住んでいる。

パプア・ニューギニア~ネパール~チベット~アンデスのインディオたち。
 高地の民は、希薄な空気に包まれながらジャングルやデルタを見下ろし暮らしている。

サハラ~サウジアラビア~シルクロードの果てなる黄砂の砂漠。
 砂漠の民は、厳しい神の裁きを信じつつ照りつける太陽から顔を隠し、サソリの毒から肌を守りて生きている。

極地の異国の民に想いは馳せても、それだけではそこに暮らす思いは汲み取れない。


それでもなぜか想像することはできるのだ。

喜びの笑顔を。 怒りの戦(おのの)きを。 悲しみの嘆きを。 安堵のため息を。

そしてそういう思いを馳せるにふさわしい季節に、一番適した季節があるのだとしたら、それは身体を堅く強(こわ)張らせた、この冬という季節に違いない。

more
by bucmacoto | 2008-11-21 21:51 | wave
Norwegian Stump (ノルウエーの切り株)
2008年 08月 31日
工場と微笑 : トラバでボケましょう2008夏秋 レベル7お題発表
http://kstrunk.exblog.jp/
あな+


トラバでボけましょう2008夏(秋) お題は。


お題:

おっと、思いっ切りつまずいて転んでしまった。
ん? なんだ、この穴は?



「まったくもう、危ないじゃないか」

森の中、切り株に蹴躓いて、前世マッドドクターであるばくばかせは毒づいていた。

ばくとは夢喰い人。 すなわちドリームイーターである。 禁じられた呪文をアブダカタプラと唱えることすら躊躇しない危険な人々だ。
ばかせとは・・・解説無用であろう。 博士や大臣が偉い人ならばその正反対のおろか者だ。

自分が転んだ切り株にもう一度蹴りを入れなおし、その上に腰を下ろし、数年前に購入したファッジファンドの株のことを思った。 そう、コーネリウス・ファッジ・ファンド発行 = 魔法による裏付けがあるといわれていたあの株だ。 見る間に凋落し、今ではすっかりジャンク債扱いだ。

蹴りなおしたのは、その切り株の高さと丈夫さを、いま一度確かめたかったからだ。
爪先ではなく、円筒形のボタンを足裏で踏みつけるような蹴り方だった。
腰を下ろした途端に地面の底が抜けたような状態に驚かないよう配慮した、ばかせなりの狡猾さ(ただし自己評価値)なのだった。

ひんやりとした空気と上空を覆い木々の梢を霞ませる霧、そして微かに自分の息遣いだけが響く静寂さ。 かつてのバイキングの根城だったこの森は、古のアングロサクソンの祖先が魂を溶け込ませてきた森でもある。
厳寒期には極夜が訪れ太陽が昇らない夜があり、短い夏の季節には白夜となりて真夜中の散策すら日中の日常の風景に溶け込んでしまう。
この地では、夏の太陽は 北北西の空から北海原の真北で水平線をかすめて 再び北北東の空を目指して移動してゆく。 太陽は昇ったり沈んだりするばかりではなく、頭上をぐるぐると、右へ右へと移動してゆく動きとしてあることを実感する。

腰を下ろしたばかせは、ふぅと胸の内に溜まった吐息を吐き出した。
空を見上げると、そこには白い霧が乳白色の渦を巻いて、空にぽっかりと開いた穴へと吸い込まれてゆくところだった。

「な、なんだあの穴は」

ばかせは驚愕した。 口をあんぐりと開けて、舌をだらりと垂れ下げたその姿は、ばく族の祖先といわれる 「たぬきつね」 の姿そのものだった。
 たぬき と きつねは 「化かせんピック」で組み分けられるまで、同属だったことは説明するまでもないだろう。

これまでのばかせであれば、傍らにいる助手を掴まえて 「おい、あれはなんだ?」 と調べさせ、答えを聞き出してから、おもむろにもっともらしい理論解説をおこなうところだ。 しかし、金の切れ目が縁の切れ目 とばかりに配下の助手が四散した現状では、如何せんともしがたい。

「空にあいた吸い込み口か・・・何もかも吸い込んでいるようで、何ひとつ残らないのに・・・」

ばかせはナルシストである。
したがってついつい自分の境涯に世界の事象を重ね合わせてしまう。
羽振りのよかったころは、この世の森羅万象を何もかも言い尽くせるかのように、あらゆる情報を集め自己学識のラインアップにしていた。
魔法族の 「マジック」 なんてものは、こちらに落ちる爆弾をちょいとそらしてあちらに落としたり、デマによる中傷や失脚を 深刻になる前にちゃら化したり 深刻さで抜き差しならず更新不可能になるほど固定させたり,そういった小手先の操作にしか過ぎないのだと喝破もしていた。
ところが気がつくと、もののみごとにジャンクと化した株を手にして、抵当に入れていた全ての知識株を失ってしまっていたのだ。

ばかせの世界では、知識の確かさと集まる尊敬とは、株として抵当に入れることになっている。
 人びとの尊敬を集めるところで株は上がり、人びとが忌み嫌う部分の株は下がる。
 下がった株を穴埋めするために、新たな上昇株を入手できなければ、抵当にいれた株は持ち去られ、株は切り株を残して尊敬は霧散してゆくのだった。

「ひとつ穴のところをみると、鼻の穴じゃないな。 口の穴かな。 口呼吸してるとお口の中がくさくなちゃうぞ。 それとも、別の穴かな・・・吸い込むんだからヘソの穴じゃないよね。」

なんとも幼児じみた想像を楽しみながら、ばかせは茫洋と森の上空に展開される世界を眺めていた。 いい年をしていながら、シモの穴に考えが及ばないあたり、完全に退行しきっているようだ。 あるいは、そっち方面が完全に役立たずになってしまったのか・・

「穴の中に、穴を通すと、穴はどうなるのかな。
 抜け道の中にある抜け道は、穴からの抜け穴なのかな。
 ANAの中にANAをいれると、全全日日本空空輸になるのかな。」

ノルウエーの切り株の上 ばくが乗る
オーロラの空の下 ばかせ寝る
ぽっかり開いた穴の中 白霧流れる
ほっこり空いた穴の外 白夜の十字が
赤い守護星を導き 転げて落ちた

「ああ、おったぞー。こっちだ」

「うお、こげな風になっとっとかぁ」

「ふぁいやー、伝承は本当のことだっとんねぇ」

「あゃゃあ。 こら見事にくわぁれちまっとるがや」

集ったのは、かつて ばかせの助手だった面々のようであった。
助手たちが見たのは、先祖がえりのように唇から舌がだらりと垂れ下がり、瞳の焦点も虚ろになり、あたかも麻薬中毒患者の末期とすら思えるようなかつての上司の姿であった。

バク族は dream eater、他人の夢を喰らい尽くすことで生き延びる存在だ。
食べることの許されている夢は、「悪い夢」ただひとつ。
悪い夢を残さず食べ尽くし、よい夢は触れることなく、どちらか判らない夢もまたそっと静かに残して去る。 跡形もなく夢の中から消えてゆくのがバクという存在であった。
夢の中から掻き消える様は、あたかも霧の中にほっかり空いた穴に夢全体が吸い込まれてゆくような情景だとも伝えられる。

そして、バクの伝承は最後にこう伝えていたのだ。


「ゆめゆめこの伝承、侮るなかれ。
 悪しからぬ夢喰らいなば、その夢やがて汝を喰らわんや。」

More
by bucmacoto | 2008-08-31 21:36 |   illusion rhapsody
シロガネェゼの愁眉
2008年 08月 12日
☆ トラバでボケましょう2008 レベル5 ☆
【お題】



熱帯夜。
なかなか寝つけないでいると
枕元に、誰かが 立った。
月明かりに照らされて、こちらをじっと見つめている。
その手には数枚のカードが。
おごそかな声で言いながら、扇のようにカードを開いて差し出した。

「さあ、ここから 好きなのを選びなさい」

・・・・んで?
 


・・・・なんで?

まったく訳がわからなかったというのが正直なところです。

いくら温暖化だからといって、北緯45度のこの場所に熱帯夜がやってくるとは。

いくら寝つけないからといって、酒もクスリも飲んでいないのに幻覚を見ていることも。

いくら盆のシーズンだからといって、枕もとに半透明な髪の長い女が立っていることも。


十日目の月の光は、さらさらとした光を、女の不思議な髪色へ注ぎつづけています。

白く透明で、プラチナのような輝きと、灰白質のような埃の味が立ち上る。 そんな色合い。

透ける文字通りに透明な指先に、扇のように開かれたカードが柔らかく止められています。

この熱帯夜に寒いのでしょうか。 指先は微かに震えているようです。

この明るい月夜が眩しいのでしょうか。 長いまつげを半ば閉じています。

   ・・・まつげを閉じる?・・・ 自分で書いておきながら、ちょっとマチゲぇな気がします。


これは、銀ぎつねが化けて出たのでしょうか?
 ごんぎつねには泣けます。 大好きです。 けれど、ぎんぎつねとは一文字違っています。
 Firefox(火狐)は愛用しています。 でも熱感知型Silverfoxなんて物騒すぎます。
 夜の銀狐。 ソーロ・グリス・デ・ラ・ ノーチェなのですか? ・・・雄狐さんなのに髪の長いところをみると、狐界のニューハーフさんなのでしょうか。 それって間に合ってます、お引取りを。


そんな混乱した気持ちが浮遊感を招いたのでしょうか。 それとも幽体離脱の才能があったのでしょうか。 扇のカードにひらふわと煽がれて、ぼくの体は浮きあがったのでした。
正確には肉体が浮き上がったのではなくて、精神と言うか気持ちというのか、意識というのか魂と言う方が雰囲気があるのか、ともかくそのようなぼくがベッドの上空25cmほどの高さに浮かんでいることに気付いたのです。

「さあ、ここから 好きなのを選びなさい」

透明感のある手の指先が ひらひらと柔らかな熱風を送り、仄かに光る銀色の(白銀の?)髪をそよがせながらおごそかな声が響いて、扇のカードが舞い振られます。

選んでしまえば終わるのか、選ばなければ終われないのか、なにがなんだかわけわかめなのだけれども、ぼくは右端の一枚を引き抜いたのでした。 その刹那に、僕の体は100万ドルとも呼ばれる夜景の場所に居たのです。

c0062295_21342169.jpg



百という数字は、ひとつ足りないと白という数になる。 99歳のお祝いを白寿というのは高齢だ。 ・・・違った交霊だ。 ・・・まだ違うぞ!恒例だ。 ・・・くどすぎないか?
以上、ボケの好例を示そうとして滑ったというわけだ。
 好例のつもりが、飽く例 か 悪霊 を招いてしまったのは、やはり霊体離脱中だからなのだろう。

 これぞ、夢うつちゅうというわけである。


白い影が、ふわりとした髪を私の鼻先にかすめるように流して、反対側の枕もとに移動しました。

「さあ、ここから 好きなのを選びなさい」

まだ、終わってないようです(涙


もしかしたら、この選択は無限にいつまでも果てしなく続くのかもしれません。

 それはちょうどサイの河原の石積みをすれどもすれども崩されて、やり直す羽目になる境遇にも似ているのかと思って、ちょっとぞくっとしました。

もしかしたら、この肉体から離脱した浮遊感は一夜の夢のように、明るい朝日の眩しさと一緒に燃え尽きた炎の灰のように消えてしまうものかもしれません。

 それは銀の弾丸を心の臓に撃ち込まれたパンパイヤの末期のように、肉体も精神も滅び消えてしまうかという想像は、かなり衝撃的でした。


次のカードを選ぶ前に少しだけ考えてみたならよかったのかもしれません。
あるいは、カードを選ばないという選択だってあったかもしれません。

けれどぼくは何を思ったのでしょう。

 「一枚、二枚、三枚、・・・・・」

カードを数え始めたのでした。

 「・・・九十九枚。 (よし白枚だ とここで安心した理由は今もわかりません)」

そして銀色のたおやかで柔らかな髪に自分の指を触れながら、透明な女の人指し指の先をつまむようにして、一枚のカードを抜き取ったのです。

その刹那に、私は銀河の星々の中に、ミルキーウエイの真ん中に投げ込まれていました。

女の透明な身体は 無数の蒼白い光の粒となって、白金の髪は キューティクルの粒が幾千万の小さな灯となって、ぼくの身体を包みこみました。

あとからあとから、山の方角の黒い森の木々の上から、小さな光の粒が降りしきります。
つぎからつぎから、白くほの蒼くそして金色の灯かり達が舞い降りて参ります。
ぼくは無数の蛍に包まれた、白神山麓のあの夏の夜を思いだしていたのでした。



目覚めはいつもと変わりのないものでした。
朝の光が網膜を直接射るように輝いていました。
今日も暑い日になりそうです。

かつて盆を迎えると、「地獄の釜の蓋が開く」なんて表現をいたしました。 太陽の光や炎の灯かりは、金色や黄色や赤色なものです。
昨夜に私が包まれた光は、ほしのあかり つきのあかり 蛍のひかり。。 焼き燃える光ではない、静かで細く白くて銀色で蒼いひかり・冷たい光でした。

あの白く蒼い影は、蛍の精だったのでしょうか。
それとも、やはり、銀ぎつねに化かされたのでしょうか。
あるいは、寝苦しい夏の夜の夢 に過ぎない一夜だっただけかも知れません。

その答えは見つからないままでしょう。 だからでしょうか。

考えても答えはないのに、ぼくが選んだあの99番目のカードだけが、この陽光の元へ帰る唯一の道だったのだろうか・・・などとふとした想いに浮かんで漂っている自分に気付いてしまうのでした。


あの夜思いだした、白神山麓の沢を海へと膨大な数の蛍に囲まれたひととき。

もしかしたら、あのひとときは、白い神の通る道にぼくが迷い込んだから遭遇できたのかもしれません。

まぁ神の精に触れたとしても、そこは♂同士。。。 子は生まれはしませんがね。 ^^

テンプレ
by bucmacoto | 2008-08-12 07:46 |   illusion rhapsody
計算でしか考えられない
2008年 08月 01日
あなたはどこかへ向けて走っている。

あなたはこれから100kmの道程を走らなければならない。

どこへ向かっているのか?

なぜ走っているのか?

友情のため?愛情のため?金のため?名誉のため?

その理由は?

そしてその結果は?

登山家はなぜ登るのかと尋ねられ、こう答える。「そこに山があるからだ」。

走り続ける者は、やはり「そこに道があるからだ」と答えるのだろうか。

 トラバでボケましょう 2008夏 レベル4 お題発表 [別窓で飛びます]


人は走り続ける。

 自分を賭しても構わない、誰かとの約束を果たすために走るのか?

 求め続け、獲得を果たし、安息の日々を得ようとして走るのか?

 ランナーズ・ハイという陶酔感を得るために?

 達成感のために?

 それとも、何かの揺るがない対価のために走るのだろうか?


100km。 それは、水平線/地平線のところまで、22回も繰り返し走り続けて辿り着く場所。

 水平線までの距離


100km。 それを100回繰り返したなら、地球の赤道から極点までの距離。

100km。 それは、5.4ノットで十時間。

遠く遥かにも思え、過ぎてしまえば、それは泡沫のように消えゆく時間であるのかも知れない。


ぼくは、kuro坊。 視点高1.5m。 体重は内緒。
生まれた時には、父も母もいなかった。
全身硬い鎧のようなギプスにおおわれ、一歩歩くたびに息が上がる。
それが、ぼく。

そんなぼくが、100kmを走りぬこうと決めたのはどうしてかなんて、もうおぼえちゃいないこと。
初めの一日は、やっと1キロ進むのが精一杯だった。 ぼくは走ったつもりだった。 けれど他のだれもが、ぼくは「グズでのろまなカメ野郎」だとしか思えないと罵った。
それでもぼくは、最初の一日で1キロを走りぬいたんだ。 それはぼくだけの心の勲章さ。

計算では、二日目には2km、三日目には3km・・・という具合に毎日走る距離を1kmずつ伸ばしてゆけば、二週間で100kmを走破する算段だった。

 ・・ そう 計算ではね(苦笑)。
 そろばんで 1+2+・・・10まで足したら、55になるじゃない。
 20まで足したら、210にもなるじゃない。
 13まで足したら、91になるじゃない。
 だから、14日目には、ほんの9km走れば100に届くじゃない。

けれど、人生は計算どおりに行かないって事。
これだけは、学校教育では禁忌らしくて、教えて貰えなかったなぁ。。
 もしかしたら、倒壊とか敢闘では教えているのかな。
 あ。。。ムリヤリぼけようとしとるんのわかった?(笑)
 ぼくは近畿関西人らしく生きたいと思うとるんやねん。

 勉強したから、仕事くれ


わてら関西人のこと、計算高いとか勘定でしか考えられんとか、そげんに誤解せんといてな。
わてら投資はしますけど、投機はようしません。
 私財も蓄えも、何かを為すために使うことはよう惜しみません。

 カネを生かして何かを生み残すためにやるのが 投資。
 カネをまわしていずれは利殖を積み増すためが 投機。

わては、きちんとその分別だけはつけとりますさかいに。 たのみまっせ。


それにしても暑いおますな。

二週間分の水だけで走破するつもりでしたさかいに、もう水なしで3かめになりますのや。

らくだじゃあるまいし、水なしのままじゃいつまでも走り続けることもかないませんなぁ。

そうやなぁ、少しばかり汗が搾られて気持ち身体が軽くなった気もしますけどな。

何といいますかな。 ここまで乾ききってしまうと、陽炎なのか眩暈してるのかようわからんようになってしまいますな。

水のいっぱい満たされた川で涼めたら、さぞや気持ちいいでっしゃろうな。

100キロ走るってのは、ぼくにはむりだったのでしょうかねぇ。。。

 。。。

 。




「なに、これ?」

「どうした? うわっ」

「もう、ハエがたかってるから、ウジがわくのも時間の問題だねこりゃ」

「でもどうして、こんなところに? カメ? それも真っ黒の・・・」

「カメの干物って食えるのかねぇ。
 煮ても焼いても食えなくても干したら食えるとか。」

「けど、なんかこのカメさぁ。 私には、ほほえんでいるように見えるよ。」

企画テンプレ
by bucmacoto | 2008-08-01 22:26 |   illusion rhapsody
見せ掛けの本気/偽りの本気
2008年 07月 28日
やくざは、極道は、なめられたら渡世人としてあかんらしい。

 だから、はったりと見掛け倒しで、世を渡る。

 だから、やせ我慢と自己暗示の度胸で、指詰める。


親は子に、兄は弟に、世を渡る術(すべ)を言葉にして託すものらしい。

 だから、本気の言葉として、子に弟にと手渡される。

 だから、偽りの本気を本物の本気に見せ掛け、世に伝え流す。


思うだけなら、見せ掛けかもしれない。

言っただけなら、偽りになるかもしれない。

やったことだけ、本気のこととして残るだろう。

 そうして今日も極道は、指を詰める。

 慌てた親分から「とっとと病院行ってつけてもらってこい」とか言われても

 「それでは自分の気持ちにしめしがつかんです」と真顔でいい返す。


内心の、してやったりという、気持ちは本気。

見せ掛けの、眉間のしわ寄せは、偽りの本気。
by bucmacoto | 2008-07-28 22:17 | particle
白い恋人
2008年 07月 06日
"100人の友達"がいます。
100人で相談してあなたに ある贈り物をくれました。
100人で考えて"たったひとつ"ある贈り物をくれました。
"あなたを喜ばそうとした"ってことは、一目でわかる、ある贈り物。


笹野さん…笹野さん・・・笹野さんッ

強い眠気と、弱り果てて朦朧とした脳細胞とを感じながら、彼女は起きた。

「出向の時間ですよ」とチーフがスケジュールを配布する。

今月の労働時間は、過去最高の記録を塗り替えそうだった。

交通費は全額支給されるとはいえ、これほどあちこちのエリアへ飛ばされることになるなんて、フリースタイル勤務を選んだときにはまったく想像もしなかった。

道路も航路も空路も整備されているように思えるこの時代にあっても、やはりかつてのマンガにあった『どこでもドア』のような便利な移動手段は実現していないのだ。

ああ、眠い。。
ああん、あたまぼけてるぅ。。。
また乗り越すのかな。。 何度目かな。。

彼女の得意技は、「目覚ましを無視する」ことだった。
いや耳がお留守になるのだから、「目覚ましから耳をふさぐ」ことになるのか?
ともかく、実際の人間の声でないと起きることが難しいのだった。

それでもこの人件費高騰とそれに見合う高度なスキルを要求されるこの業界内で、彼女は常に上位だった。 目が覚めているときの彼女の働きっぷりは、目を見張るものだった。 そして必ずリピートの指名が入る。

だがしかし、二度目の指名に際しては、遅刻したままに赴任してしまうのだった。


笹野・葉・更紗(ささの よう さらさ)
通称:ヴェガ
血液型:A
星座:こと座
干支:うし年
特技:寝過ごし
趣味:短冊の願い事集め


100人が100人、かならず贈ってくれるという贈り物。

それは毎年、7月7日の七夕の短冊。


どうか今年こそは、
牽牛行きの出航時間に間に合って、
乳白色の天の川銀河の向こう岸で待つ
彦星様にお会いになってくださいね。

賞味期限が間に合ううちに・・・

トラバでボケましょうテンプレ
by bucmacoto | 2008-07-06 08:38 |   illusion rhapsody
M永チョコボールの当選確率
2008年 06月 13日
私は「~すべき」という表現に強い抵抗を持っていた。
仏教哲学と自称する空間に首を突っ込む羽目になって、数少ない収穫のひとつは、「可き(べき)」という書法を見つけたことだ。
このおかげで、べきアレルギーは軽減した。

『そうか、「やるべきことをやりたまえ」ってのは、
 「やったほうがよいことをやりなさい」 って言うだけのことか ♪』
 ※ 可なり = 半分以上ただしい っていう感覚で理解


ホモ・サピエンス(賢いサル,知恵あるサル)になったヒトは、更にどこに進むのかと考えて、より賢こいヒト(森羅万象を識る)や創造主(全知全能)になるのが望ましいだとか考えると、なるほど、「仏に帰依すべき」 「神に従うべき」 というベキ論も成立するのかも知れない。 < 注:逆さ論理です

ところで、「半分以上ただしい」という推論はどのようにして検証できるのだろうか。
文に証拠を求めるのか。 言に証拠を求めるのか。 (霊的・奇跡・信仰)体験談に錯覚や過誤ではない証拠能力を求めてもよいのだろうか。


私の場合は、神よりもサルに近い存在と自覚しているので、ここはプリミティブにいこう。 量から質が生まれることもあるのだろうから、数学的(算数的?)な数量に限って説を構成することにしたい。

この文を書こうと思ったきっかけ(すべて別窓)
 上記を調べるきっかけの記事 : Everything in Life is Only for Now

そうそう。 生物進化には興味のある私なのに、なぜかカンブリア期の三葉虫や古生代のアンモナイトにはさほど燃えなかった子供でしたね。
最近になってやっと、少し興味がでてはきましたが、少年期にはまるような集中力はもうでなくなりました。
そんでもって、ヒトの進化(絶滅種?)のなれの果てなぞ想像したりして。。
 川崎悟司イラスト集・横山タッコ
 上記の直上ページ:ジュラ紀・海の動物・川崎悟司イラスト集
 上記の親サイト:古世界の住人・川崎悟司イラスト集

 そして、

本文
by bucmacoto | 2008-06-13 19:55 |   illusion rhapsody
Cage理論 (散漫文)
2008年 06月 08日
ゲージ理論。 それは物理の、そして宇宙の基本にあると仮定される理論構造である。
 スペルは、(Gauge theory)。 標準理論とか統一理論という言葉と共に、今は一般常識なのかも知れない。
 ところが私がゲージのスペルに気付いたのは、今月のことだ。

ハム太郎が流行る前に、ハムスターを飼育かごを求めてDIY店に行った私は、躊躇うことなく 「ハムスター用のゲージどこでしょうか」と口にした。
鳥かごもハムかごも、げーじであると思っていた。
スペルは、Gage であると思っていた。


   あほである

more (IE6で見苦しいのは仕様です・・つまりは手抜き!?)
by bucmacoto | 2008-06-08 17:34 |   illusion rhapsody
じょうご
2008年 06月 06日
お恥ずかしい話ながら、実は じょうろ と じょうご の区別がよくつかない小学生でした。

あまり水やりに熱心な方ではなかったからか、水を入れて草花に水をかけてあげるあの容器に、雨露の如き水を降り注ぐ=『如雨露』と書いて【じょうろ】と読ませるなんて、中期高齢者が近付いた今になってやっと判りました。
育った家の裏庭に一時期、スプリンクラーがありましたが、あれは、じょうろっていうよりも回転式シャワーという感じでした。
 注:田舎なので家が広いだけで、国民平均所得のほぼ半分という家庭でした ^^;

一升瓶の醤油を小分けしたり、一斗缶の油を注ぐときに、じょうご(漏斗)は使われました。
 一升瓶=1.8リットルのガラスビン
 一斗缶=10升(18リットル)のブリキ容器
 ブリキ=スズをメッキした鋼板。 缶詰の缶と同じ材質

喇叭(ラッパ)の、音が鳴る側の形だと言えば、若い子供にも伝わるでしょうか。 (それくらいに今は見なくなりました)

『じょうご』を『漏斗』と書くなんて、実はこの年齢になるまで知りませんでした。
ろうと って読むなら知っていたのですが。。 ちゃんとIMEにも漢字登録されている由緒正しき現代語なのですねぇ。(いっとかん の方は死語扱いなのか変換してくれない)
あの尻すぼみの形状は、雨樋(あまどい)の水を抜き落とす部分や、女性用尿瓶(しびん)や御虎子(おまる)の受け口のもの。

強風でひっくり返された(そっくり返った)傘をイメージすると近いかもしれない。
こんな感じかな?

c0062295_19294338.jpg

蕗(フキ)の傘は、アイヌの伝承コロポックル の屋根でもある。
若いとこんなにも威勢がいいのですね。。 < 垂れていない


・・・シモの気配がしてきましたが、この受け口に向かって、黄金水を与えたりしたわけではありませんぞ(爆笑)。
c0062295_19415422.jpg
この季節、下宿の食卓にはよく登場するアイテムですし。。


今夜は雨の降る夜です。

成熟した大人のフキは、雨を外側へと滴らせ、
若気の溢れる子フキは、残らず呑み尽くしていることでしょう。


コメントつけてTBしたかったのだけれど、言葉がまとまらぬままにこちらへ丸投げ。

 言戯3: 近頃の若い者は… (この窓のまま飛びます)


むりやり夢想流にまとめちゃうと、大人は増幅(撒き散らす dump)と抑止(damp)を使い分けるけれど、若者はcomp一筋っていうところだろうか。
夢中になるのが、コンピュータ(computer)なのか競争(competition)なのか分らない。 けれど形は違っても、ほんの一時期の姿であろうと、大人と対等(compare)であるのだろう。

 ※ compare は差を知るため用語。
   違いを確かめるために対比・参照し、際立たせるのは contrast


ゆうめし日記
by bucmacoto | 2008-06-06 20:33 | wave