- 北の空からみなみへ -
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プチサイクル
2010年 10月 09日
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明日の天気は雨予報に変わった。
シュラフ持参は中止。
急遽、近場のママチャリサイクリングに変更した。

追記photo
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# by bucmacoto | 2010-10-09 11:35 | Trackback | Comments(2)
秋・・といえば
2010年 09月 30日
25日の午後に、中山峠を越え洞爺湖へと向かいました。
羊蹄山(蝦夷富士)の山頂付近には、薄らと雪が見られました。
洞爺湖のぼろぼろホテルでの同期会(1学科=1クラスなのでクラス会)は道内に居る12名中8名が顔を合わせました。

秋分もすぎての数日は、夜間の気温も下がってまいりました。
そして勤務終了後には夜といってもいい、いわば秋の夜長の季節です。
先月から、NHKオンデマンド、世界史探索と道楽じみた時間の使い方をしています。

生涯 _ 逍遙の人 セーレン・キルケゴールキルケゴールのソクラテス理解などを読み、こころ 夏目漱石の読書感想文を読んでみたら、漱石を読んでいなかったことに気がついた。というか、小学校以来の私はすっかり文学という分野の作品は読んでいないことに気がついたのです。

文豪と呼ばれる夏目漱石の作品を青空文庫で読んでみました。
 夏目漱石 こころ
現代人と呼ばれる我々とほとんど変わりないこころのさまが窺えました。

次いで、レオ・トルストイ Lev Nikolaevich Tolstoi 森林太郎訳 パアテル・セルギウス VATER SERGIUS を読んでみました。
トルストイつながりで、書評松岡正剛の千夜千冊 『アンナ・カレーニナ』レフ・トルストイを頼りに、図書館で1972年刊のトルストイ全集(河出書房新社 中村白葉訳)7・8の アンナ・カレニーナ を借りてみました。
同時にミヒャエル・エンデの 自由の牢獄 も借りてみました。


「復習は我にあり、我これを酬(むく)いん」 という聖書の句が冒頭に記され、有名な一文(幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である)からはじまって、最後まで一気に読みたくなる文章の力を感じました。個人的には、レーヴィンの考え方や生き方がとても自分と重なったのですが、それはトルストイ自身の投影像でもあったようです。

社交界・・・というのは貴族がいない現代日本でいうなら、芸能界がそうでしょうか。
144ページ下段にある
『ほんとうの社交界──舞踏と、饗宴と、はなやかな化粧の社会、娼婦の世界へまでおちてしまわないために、片手でしっかりと宮廷をつかんでいる社会』
という表現など、文豪と呼ばれる人の表現力はさすがにすごいなと感じられました。


エンデの 「自由の牢獄」は、日本の星新一の作品を読むような感じを受けて読みました。


人のこころのうちを知るには自分自身のこころにあるものからしか知ることができないもので、自分のこころのうちを知るにも他人の振る舞いを眺め得た気付きが必要なものであるのですが、そのふたつは同じこころの表がわと裏がわである。という持論もあながち的外れでもないのだと、そんなことを頭の中に浮かべて秋の夜長に読書を進めてみたいと思いました。

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# by bucmacoto | 2010-09-30 01:42 | particle | Trackback | Comments(0)
秋のきのこ
2010年 09月 25日
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犬の散歩中に発見
秋ですねぇ
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# by bucmacoto | 2010-09-25 12:33
モンスター度の基準
2010年 09月 13日
定性的という言葉と、定量的という言葉がある。

定性的には、大きいか小さいか、重いか軽いか、割り切れるか割り切れないか、仮数か実数か、
などなどのことが、わかりきっている場合でも、定量化するとなるとかなり厄介な場合がある。

長さ・重さ・かさ(退席)なんかは、足したり倍したり半分にしたりという操作で一貫性ある比較が可能だけれど、態度や状態の評価っていうことになるとクリアにさくさく切り分けて捌(さば)くわけにはいかないからだ。

・・・そういえば1980年代の終わりに、セコさの単位=カラシ(納豆に付属するカラシを捨てずに冷蔵庫に蓄えるのを1単位のせこさとみなす)、気まずさの単位=ピっツァ(皆で食べていて最後の一切れだけピザが余った気まずさを1単位)なんていうのがあった。

モンスター(化けもの)という表現は最近のものだけれど、昔からいわゆるインネンをつける=ヤクザまがいってのはあった。
そういうヤクザ度・モンスター度みたいな尺度はあってもよかったのかもしれない。


マジコンでポケモン大会に出場しようとした親子! ブチギレして警察沙汰に – ロケットニュース24(β)


自分に対する基準と、他人に対する基準とが異なることを、ダブルスタンダードとか二枚舌とか自己中心的とかエゴイズムとかいうわけなんだけど、この手の精神構造ってのは差別感情とか選民意識とかととっても相関しそうにも思えたりした。
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# by bucmacoto | 2010-09-13 23:37 | quote/data | Trackback | Comments(2)
秋燕は帰り往くか
2010年 09月 13日
立秋からひと月と一週間。
3週前の夜半には、オホーツク海から昇るおおきなオリオン座も見られた。
(こういう時には、巨きいとかいておおきいと読んでみたいものだ)

間もなく仕事帰りに夕空を見上げる季節が去り、夜空を見上げる季節になる。
夕空の写真を撮っていたら、数羽のツバメが南の沼目指して夕凪の中を抜けた。
(この地域では、ツバメの姿を見る機会はごく少ないものだ)

ツバメは北で営巣し、南で越冬するという。
家をでて去るという意味では、行くとか往くと表現するのが妥当なのだろう。
(私の感覚としては、夏にやってきて冬に南の島へと帰るかのような印象ではある)

夕空にはクリオネの形をした雲が、ゆっくりと東へ向かって流れていった。
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past days
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# by bucmacoto | 2010-09-13 19:39 | wave | Trackback | Comments(2)
知らなかった熟語
2010年 09月 06日
話自体は聴いたことがあっても、熟語として知らなかったなぁ。

 [啐啄同時] 啐啄同時(そったくどうじ)

 轍鮒の急(てっぷのきゅう)

タイミングとフィッティングかぁ。。



ちなみに、そったく同時の最初の「口卒」の字は、Windows2000だと表示されないみたい。
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# by bucmacoto | 2010-09-06 00:20 | quote/data | Trackback | Comments(0)
単純日記録
2010年 09月 05日
なんだか夏が暑かった。

実家周辺から贈られたメロンを食べた後、残飯をビニールに封入して下宿部屋のゴミ箱に捨てた。
メロンは必然的に小さなハエ(ショウジョウバエ?)がわいてくるので、それを嫌ったのだ。

ところがなんとそこからキノコが生えてきてびっくりした。
今年はそれほど暑い日々だった。どうやら太平洋高気圧のさらに上空にチベット高気圧まで2段重ね状態で乗り上がっていたらしい > 記録破り猛暑、犯人は「2段重ね」高気圧  :日本経済新聞 要登録(無料)

警告:室内キノコ画像あります
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# by bucmacoto | 2010-09-05 23:31 | duality | Trackback | Comments(0)
経済学おんちのつぶやき
2010年 09月 05日
日本経済新聞が好きで、就職以来一度も取っていないのに、職場やら図書館やらで読み続けている。
かれこれ、私の半生以上そして四半世紀以上の期間になる。
ところが、経済学の概念にはどうにも理解できない部分がいまもある。

部分部分のメカニズムやプロセスを記述したものにすぎないと思っても、どうにもドグマ好き(Einsteinの相対性理論とかDarwinの進化論)なシンプルな前提から積み重ねられたものじゃないと学問・理論として正しいのかどうかを考えられないという私の脳みその事情もある。

そんな脳みそにとって不思議な理論のひとつに、「穴を掘って埋め戻すだけであっても、失業手当を払うよりずっと景気対策に有効だ」という理論がある。
たしか、遥か古代のエジプトのピラミッド建設や、日本の大仏建立などの事業も、現代と同様に需要創出のための公共事業と書いてある文章も昔からあった。(もちろん、権力者の力の誇示 と 社会秩序の構築シンボル、これが主目的なのだろうが)

社会的な安全網としての福祉と社会保障は、便乗者や悪用者(働く能力も意欲も機会もあるのに補償目当て)を排除できないとそれこそムダ金になるから、人々の倫理崩壊をきたさないためにも手当よりは仕事として与えるという部分は同意できる。
けれど、「富を分配する」ということと「富を循環させる」ということと「富を蓄積する」ことと「富を浪費する」ことと、この関係が私にはいまでもよくはわからないままでいる。

ムダな事業であっても、カネの巡りをよくすることが大事だから、、、という理論はどうにも暴論にすぎるだろう。もちろん、ケインズはそのように言ってはいないのに、そうであるかのように(内容を歪ませて)伝達した人々の罪なのだろうが。。。
 ※ わたしのようにわからないのも、罪になるのかな w


端的なはなし、

 空き缶を拾う、
 町を清掃する、
 河川を奇麗にしている、

そんなNPOに援助することは、ムダな仕事しかできない公務員を抱えるよりもよほど経済的によい選択に思えてしまう。


だが、問題は

 何がムダなのか
 何が将来に生きる投資なのか
 何を基準に誰がその【評価】作業を担うのか

なのかもしれない。


経世済民という思想はよくわからないし、民主主義という思想と社会主義という思想とはルーツは同一なんじゃないかな(弱者・少数者の権利を奪い支配するのではない世界を理想とする意味で同じかな)って思うほど政治的にも遠視(つか老眼)だけど、それでもムダっていうのはいつの間にかどこへか消えることを示すんじゃないかと思っている。
蒸発してしまう、伝達中に摩擦熱になってしまうっていうイメージだ。


さて、ムダをなくす方法ってのは難しいみたいだが、ムダにする方法ってやつはいっぱいある。
 表面上の価値を残したまま、実際の価値を減ずる。
(金の延べ棒がいつのまにかメッキとすりかえられたり、同じ簿価なのに実勢流通価格が低下したり、パッケージの中身が軽くなったり粗悪になったり)
ってのが直感的だなぁ。


世界史や日本史をこの夏は眺め見ている。
かつての世界は、奴隷制度をはじめ敗者と弱者を社会的に固定してしまうことで、社会と経済を安定させていたように思えた。
奴隷に落とされる恐怖は、刑罰と同様に、社会防衛への動機(敗けた捕虜は奴隷化されるから)となり、悪事への抑止力となった。
そういった機能はあったにせよ、身分固定の根拠が迷妄(迷信や妄想や讒言やデマ)だったことも少なくはないのが前近代時代の悲劇だと思う。


歴史の場合には「歴史に学ばなければ・・・歴史が教えにやってくる」という。そういうものこそが、「歴史の教訓をムダにした」その帰結として得られる報酬なんだろう。

そう考えると、「ムダにする」という定義を私がしてもよいのなら、

 生かすべきものを捨てること(忘れること or 殺すこと)

っていうのがしっくりするなぁ。私のでかいだけで低品質の脳みそ的には w
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# by bucmacoto | 2010-09-05 20:07 | wave | Trackback | Comments(3)
evening and day sky
2010年 08月 28日
夕空の色は重ね塗りの妙 (窓ガラスなどはなし)

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昼空の雲姿は龍のうねりを見せてくれる

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深くなりゆく色の彩
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# by bucmacoto | 2010-08-28 02:31 | wave | Trackback | Comments(2)
夕景(20100819海辺,21定点)
2010年 08月 22日
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# by bucmacoto | 2010-08-22 14:32 | wave | Trackback | Comments(2)
読書日記20100815-17
2010年 08月 19日
お盆休みは16日だけで、その日まで職場からの呼び出し対応待機番。
なので、本を読んでみた。

ちょうど図書館に申し込んであった、1Q84 Book3も順番が回ってきた。
気分はちょっと早い読書の秋となった。(夜風が涼しい季節も寄ってきた)

1Q84 BOOK3


いくつかの謎が残ったままで、1Q84年の暮れまでが書き終えられている。
ファンタジー系は好きなので、かなり興味深く読んだ。
印象的なセリフをいくつか。

p66(ふかえりにケイケンソクを説明した天吾)
「多くのサンプルを通過させることによって、ひとつの推論を事実的に正しいと見なすこと」

どこからが「多くのサンプル」とみなすか・・・ってのが大事。精度を一桁あげるに・・・つか、この場合の1桁って2.718281828になるんかなぁ?

p228(タマル)
「・・・いったん自我がこの世界に生まれれば、それは倫理の担い手として生きる以外にない。・・・」(ヴィトゲンシュタインの語録として)
参考=草稿 よりのパラフレーズ
   表象する主体は恐らく空虚な妄想であろう。

・・・げ、むずい ^^;
せめて、「観測対象とされる原点座標系(極座標)によって、絶対的な座標系を【繰り込み】可能だと考えることができるというのは、錯覚だ」というくらいのイメージで書いてくれぇ < わかってない私


p279-280(老婦人)
「(前略)・・・人は時期が来て死ぬのではありません。内側から徐々に死んでいき、やがて最終的な決済の期日を迎えるのです。誰もそこから逃れることはできません。人は受け取ったものの代償を支払わなくてはなりません。・・・(後略)」

これ、超然として(あるいは威圧的に、はたまた一方的な正義として)要求されたらやだな。
でも、自ずからそう思えるのって、必要なことなのだろうな。


p419(タマル)
「・・・経験的に言って、一度に三つの案件をうまく処理するのは簡単なことではない。好むと好まざるとに関わらず、そこには優先順位というものが生じる。」

手はふたつあるからか、両者のバランスをとりつつってのは可能っぽい。でも三つのバランスを取りながら特定の方向へ向けるってのは・・・・スパコンでも無理なことがある(かもしれない)っぽい。

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# by bucmacoto | 2010-08-19 00:16 | particle | Trackback | Comments(0)
思いつき話
2010年 08月 14日
先週、キャンプ先からの帰り道、助手席に座る息子にたずねてみた。
(この会話の伏線として、自己中心な主張をする人が、相手の非は声高に非難し、自分の非の遠因を他人や相手の行動に求めるものだという共通認識があった)

「若い頃の平等主義者が、やがて自己優先的になってゆき、終いには自己中心的になるっていうのはどうしてだと思う?」

息子はちょっと考えて
「あぁ、若い頃に年配の人に尽くした分を、年取った頃には自分も同じにしてもうらおうっていうの・・・」

私は遮ってこう続けた。
「言いたいことはわかるけど、これはそういう面をいったんじゃないんだ。
 言いたかったのは、こういうこと。
 平等主義者ってのは、自分がされたくないことを相手にやらない。自分がされたいと望むことは相手にもしてあげる。そういう心理で成り立っていやすいよね?
 ところが、価値観も違うし、ありがた迷惑だってある。それに人にやられたひどい仕打ちは何倍にも痛みを感じるし、人にやってもらった恩はいつのまにか感謝の念も麻痺してゆく。
 それを繰り返すうちに、自分は相手に100の貢献をしているのに相手からは50しか受け取っていない。こう考える。
 それか、自分はささやかな迷惑も遠慮しつつやっているのに、相手はこちらの大きな迷惑を平気な顔をしてやっているように思いはじめる。
 そうして徐々に、そのバランスを回復するために自分を相手より少しだけ優先させて、ちょうどよいバランスなんだと考える。
 そして終いには、自分の価値観をを中心にして、他人の価値観は些細なことにこだわっているだけのつまらないものだと思うに至る。
 こうして、名君は暴君になってゆく。
 自分が中心になって地球は回っている、自分の姿勢だけが揺るがない、地軸そのものなんだと思い込む。」


多くの神様(のような ヒト)にも、これはあてはまるのかも知れない。



というヨタ話(脳内で言葉だけをつぎはぎした似非ロジック)でした ^^;
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# by bucmacoto | 2010-08-14 22:10 | wave
balloon heart
2010年 08月 14日
期待や希望に胸が膨らんだ経験は誰にも一度くらいはあるものだろう。

進学、就職、移転、旅、変化、出会、好機、そういった現実が、予想(期待)を超えていると感じられたときにこころは踊り膨らんでゆく。

お金というのは脳が評価した「感謝の証」か「謝罪の証文」だというのが私の原始的な定義。
(プラスの気持ちから生まれるのが感謝で、マイナスの埋め合わせに使われるのが謝罪)
なのだが、そのお金を蓄積と集中させると資本となる。

なだらかな気温や湿度の変化は、湿度がいくら高くても雲や雨にはならないのに、異質な空気の境界では、雲が生まれ風が吹きエネルギーが顕在化する。

吸気と圧縮と点火(爆発)と排気のサイクルが、内燃機関の基本形だが、ドバイというアラブ首長国連邦の都市はめまぐるしい速度でそのサイクルを反復再生産しているらしい。日本の1990年頃のバブルの頃を彷彿とさせる熱狂ぶりだ。

 NHKオンデマンド | NHKスペシャル 沸騰都市 第1回 ドバイ 砂漠にわき出た巨大マネー


サブプライムローン問題、リーマンショック、ギリシャの債務不履行危機など、世界経済の変調の波はさしものドバイにも影響を与えたようで、現時点で世界ナンバーワンの高さを誇る高層建築 ブルジュ・ドバイの完成は一時は危ぶまれたらしい。その結果最後に完成するために貢献した人物の名を冠して、ブルジュ・ハリファとなったという。


バルーンのように膨らんで、あげく、はじけてしまえばそれはバブルと呼ばれる。
風船のように膨らんで、それが実を結んだ時に、それは未来を建設したとされる。

全体の利益を考えられるような人々を、神話的には神と呼ぶ、天と称す。
全体の利益を損なおうとも自分の利益を追求し、最悪の場合には他人の不幸を足がかりにしようとする人々のことは、非天と呼ばれ悪魔とみなされる。

お金=価値を記した証文

記録された価値が、上げ底でハリボテで中身が軽すぎるなら、それはしぼんでゆく創造妊娠みたいなバブルということになってしまう。それに人生や蓄えをつぎ込んで、価値のない紙切れだけしか残らないようにならないでありたいものだ。


投機と投資は、似て非なるものだけれど、ことにあたる時の心理は近いものがある。
 得たいものが、お金(証文)でしかないなら、それは投機。
 得たいものが、土台(礎)に過ぎずその足がかりに立ちあがるなら、それは投資。
強気なときの心理は、ほとんど区別がつかない。


思うように儲からないときに、儲けを抱えたまま逃げ出すのは投機家の性だろう。
思うに任せぬときに、サンクコストに縛られず撤退するのは投資家の勇気という。
ほとんどこれも、区別がつかない。


両者を区別する指標は、最後には、こういうことになるのかも知れない。


外からどう見えるかと気に病みながら、選択してしまう道。これは追い立てられた道。
どう見えるかよりもどうであるか、どうできるかを選択する決断。これは選択した道。


叱咤激励というのはいつも難しいものだけど、威勢のいいだけの(性悪だとこれを「愛のムチ」と称すらしい)追い立てるような言葉は避けなければならないものだと思う。
Take it easy(だいじょうぶさ吉楽にやろうぜ)といいながら、誰かを助けるために重い荷物は荒れた海に投げ捨てるような、そんな言葉は作り物でない態度からしか生まれない気がする。


ハイテンションという気分は、恋愛でも躁病でも支配的になってしまうものだけれど、その胸の膨らみ具合を熱い熱気を、まっすぐに頭にのぼらせないでいてほしい。
それがしぼんだ時にも自分で泳げる程度のものだけ持っていれば、それでいいのだから。
ほかの誰かに熱気を吹き込まなくても、その浮力をあてにしなくても、沈まないくらいで。
ね。
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# by bucmacoto | 2010-08-14 21:17 | wave | Trackback | Comments(4)