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いろはうた
2006年 02月 27日
第二次大戦より前(いわゆる戦前)に、広く国民教育に使われていたものが三つあります。

ひとつは、いろは歌。
ふたつに、教育勅語。
みっつに、・・・・名前忘れちゃった(大ボケ!) < 儒教っぽい道徳律

終戦後の漢字簡略化や かな文字の統合で、旧仮名遣い(わ行の ゐ&ゑ)が入る 「いろは歌」 は、学校教育の場からはほとんど姿を消しました。
私も小学~中学校の時期に、月の異名(睦月如月…)や旧国名(陸奥陸中羽後…)と共に一度は憶えようとしましたが、結局忘れていました。
 * あの頃に憶えて、生き残った記憶は、十二支(ねうしとら…)くらいのものでしょう。
教育勅語のほうも、現在80歳以上の方々にあっては、一部を諳んじる事ができるご様子です。

いろは歌の全文は,
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
これは漢字を示すと分かりやすくなります。
また、仏教説話(いわゆる御伽噺?)の中で、トラが教えたという言句(雪山偈:せっせんげ)にある言葉と対応する内容だそうです。
c0062295_2010624.gif


驕(おご)る平家は久しからず...
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
 これは、びわ法師が語る平家物語冒頭

私は学生時代を通じてマルキスト(マルクス・レーニン主義者)の原点に憧れましたし、その一方で不本意ながら仏門に属したこともあります。
戦前の軍隊教育,ドグマチック(教条主義)な指導教育には、嫌悪感と拒絶感も強くあります。

それでも、ムツゴロウさんが書き残したような 旧制一高校(現東京大学教養学部)のバンカラと知性と神経質との共存する時代は、多くの人間が一度は通ってきたほうが望ましいと思うのです。



嵐を経験しないものには、お飾りに過ぎないような教養であっても

死を遠ざけたいだけのものには、いのちを軽(かろ)んじるかに見える蛮勇であっても

正解とされる回答をすることのみ価値を感じるものには、繊細すぎる共感であろうとも



*注* 私は 低学歴・低所得・低慎重 の3低には、自信がございます。< 見かけ倒し w

by bucmacoto | 2006-02-27 21:03 | particle
image sensor
2006年 02月 26日
人は眼球というカメラを持っている。
その網膜に当たる,イメージセンサーの歴史は古い。

初期の宇宙観測や放射線検出に使用された、写真乾板(かんぱん)。
 ハロゲン化銀(銀塩)をゼラチンで塗布して、光を検出した。
その写真乳剤ををセルロイド(易燃性で火災の多発により後年はPET)に塗布して、Filmが作られ、さらに長尺化してコマ送りによる映画が作られて、さらにカラーフィルターと組み合わせて総天然色の世界を映し出すようになった。
正確には RGBred/green/blue(赤緑青)の光の三原色を記録するのではなく、その補色であるCMYcyan:シアン magenta:マゼンタ yellow:黄)で記録されていました。
カラープリンタのインキや、オフセット印刷の4色刷り(フルカラー刷り)では、正確な黒表現をするためにblack(ブラック:黒)を加えて、CMYKで色表現します。
* これは、この世界が光の三原色RGBによって(あるいはその補色CMYによって)、成立していることを示すものではありません。
 人間の網膜にある錐体細胞の感光色素が、三種類の色に対応しているからに過ぎません。
 (一部には 色弱などの場合も存在し、その一方で 赤色を感じるオプシンを二種もつ 四波長感受の女性も存在します)
 眼球に到達する波長を、実際に色彩として一意に感じていない例として、誰でも判るのがベンハムの独楽(リンク先:wiki)の例です。 この例では白と黒の色しかないにも関わらず、色を感じとれます。 単色波長の光の下でも色が生じ,かつ見る人によって色が違うという例です。
実際、色弱(オプシンの失活がある)者の場合には、緑と赤の区別がつかないにも関わらず,青色に限定するならその明るさの強弱を健常(と呼ばれる)者よりも敏感に判別します。リンク先は出版社のコンテンツ→細胞工学:色覚 色覚バリアフリー化の取り組みについて
 ※ 秀潤社 色覚バリアフリー 細胞工学
色覚の多様性と色覚バリアフリーなプレゼンテーション(全3回)

第1回 色覚の原理と色盲のメカニズム
岡部正隆,伊藤 啓
色覚の原理と色盲のメカニズム


面白いことに、銀塩写真の歴史では、当初は青色にだけ感光感度が存在していました。 モノクローム(白黒)しかなかった頃からのこのFilmは、レギュラータイプと呼ばれています。(あるいはブルーフィルム) この時代の写真暗室は、赤色の光が当ってもフィルム乳剤には影響しないため、赤色のランプ下で現像を行っていました。
その後、感光波長領域を、青から緑まで拡がったオルソタイプが現れ、やがてパンクロタイプが現れてカラーフィルムの時代へと進みました。
 オルソ:ortho- は "正しい" "ちゃんとした" の意味で,パンクロ:panchromatic は”全整色”。

フィルムでは、感度を上げることにも限界がありました。
感度(sensitivity)を上げようとすると、解像度が低下し、同時にノイズが増えるのです。
感度-鮮鋭度(sharpness)-粒状性(noise) の三方バランスは、どれかを優れたものにすればどれかが犠牲になる性質のものでした。
* 粒子雑音 granularity noise って、グラニュー糖のざらつき感かぁ。

受光素子として、テレビ時代の幕開けと共に登場したのが撮像管(image tube / camera tube)。
 ビジコン : 残像が大きい 撮像管の原型
 イメージオルシコン : 早い動きに追従 ホットスポット(強い光)による残像が目立つ
 プランビコン : 高感度低残像なビジコン
 カルニコン や トリニコンなどもありました。
 HARPと呼ばれる撮像管は、CCDの百倍という感度。 それを生かしてオーロラ観測などで使用。

撮像管の動作原理は真空管です。
真空管から、半導体(solid state semiconductor)への流れは、撮像素子の世界にも共通してありました。
CCD(Charged Coupled Device:電荷結合素子)が1969年の10月17日に開発された。
CMOS(Complementary Metal Oxide Semiconductor)は、PCのBIOS初期値を記録する不揮発型メモリー素子として名が知られており、感光センサーとしてはCCDの後塵を拝してきたのが、近年はCCDに迫る性能を発揮するようになったようです。
第6回 : CMOSって良いの?!悪いの?! その1 デジカメの「しくみ」
CCDとCMOSセンサー - AXISネットワークカメラ - Axis Communications K.K.


時代は確実に変化していますが、高感度を追及すればするほど(むしろ高感度となったために)ノイズを拾いやすいというのは、フィルムや乾板の時代と変わりません。
熱雑音を避けるために液体窒素冷却されるCCD web.archive.org : JAXA過去ページ


普遍な原理は、不変であるかを確かめるために、時間を必要とするのだと思いました。
(書くのが面倒になると、ダジャレで逃げるくせは直らんねぇ~)
初稿 2006.2/25 0:11


原色図(自作なのでしょぼい…)
by bucmacoto | 2006-02-26 21:03 | particle
bilateral thinking
2006年 02月 26日
私の座右の銘と聞かれて、
5年前ならば,『至誠一貫』と答えたことでしょう。
10年前ならば,『反省すれども後悔せず』 と答えたでしょうか。
20年前なら,『け・せ・ら・せら(Let It Be)』 と即答したことでしょう。
30年前なら,『生き物は、誰でもみんな仲間サ♪』 が心の合言葉だったように思います。

マニュアルや規約案の作成時に、必ず再確認するのが、全体の理念でした。
(ちなみに,委員とか長からは、徹底して逃げ回った子供でした。 作成する羽目になった後年に、これが仇となりました。)

1)チーム組織の存在目的を明確にする。 < これが全体の理念
2)組織の機能と構造を分割しユニットを構成する。(既存組織であれば再定義する)
  ユニットごとの達成目的は、チーム組織全体の目的を達成する手段と定める。
3)手段(すなわちユニット単位での目的)については、その手段の最適化を妨げないこと。
  ・手段の最適化が、組織の存在目的を損なうならば、正当性に反するものとする。(リスク管理と倫理規制)
  ・最適化は、容易に達成できうる限り、行う可き(べき:行ったほうがよい)ものとする。
  ・各手段の比較(ユニット間のプライオリティ)は、静的序列ではなく、時間(頻度と処理順序)と 空間(最低限の確保と 過剰のカットオフ)とにより判断されること。

こんな観点で取り組むと、まぁ・・・いろいろとね(笑)
この手法は、問題点の明確化もしやすいのですが、曖昧であることを許されない気がして、下手をするとチーム内の反発を買うのですね。 (人望がある人 や 議論で冷静さを失わない人なら大丈夫なのでしょう。)


自分の中に、芯が通っている人,そしてその芯がぶれないということは、チームを纏める重要な資質だと思います。
 自分自身を制することに習熟した人に対し、安心感を感じるのは人情でしょう。
人格を求められると同時に、ユニットごとの特殊性(必須項目)や利失特性(ユニット内の項目優先度)を把握したり、時には言い訳への共感だって求められます。
全体が同じ目的に向かっていても、個々は別々の経路を通るものです。 経路を直線的にバケツリレーをすることで、効率が生まれます。 並走する経路を認めることで、安定性が増します。
 並走する経路が、衝突を起こさないようにとルールを定めるのが、マニュアル・規約の存在意義です。(プロセスの整理)
 上位優先であるばかりなら、チームの良さが失われ組織は硬直化します。(悪い意味での官僚主義)
 広い経路ばかりが優先なら、狭いながら重要な経路の情報は遮断されます。(全体リスクの増大=組織存在目的の無力化)
 先行進入優先を徹底しすぎると、最適化をないがしろにした(先走りの)ユニットが 中期的には増えてゆきます。

組織の効率と安定とを確保しながら、理念の実現をひとりひとりに浸透するツールが、マニュアルであり規約なのでしょう。

マニュアルなんて備忘録。 規約なんて縛るものではなく生かすもの。
 あたりまえだけど、忘れやすい。 < だからマニュアル
 わかっているけど、忙しい。 < だから最低限のきまりごと


猫型だけどアトムで育った私には、組織と個人とは 対立するものではなく、互いに入れ子なものだという気がします。
 うまく説明できないから、思いつきの一文を書いておきましょう。

世界を丸めて包み込む それがいのちのプロセス
丸めた世界を宇宙へひらく それはこころの目指す道


座右の銘
マニュアルってのは愛なんだなあ。
両方の文を読んで考えたことでした。
by bucmacoto | 2006-02-26 13:30 | duality
lookup myself picture
2006年 02月 22日
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今後は、モノクロのフォトを上げることが増える気がします。
貰ったデジカメは、以前より画素数は多いのですが、色のコントラストが過ぎてどうにも好きになれないのです。 いわゆるケバイ,ハデ目の写真が得られやすいのです。 コントラストを落とすと、中間階調の色バランスがおかしくなります。 露光不足部と過剰露光部(フィルム特性曲線の足と肩の部分)から自然に軟らかになって欲しいのに、やたら直線的な露光応答です。
正直なところ、風景写真を撮りたく思えないこの頃です。

・・・と、カメラ性能を未熟な腕でカバーするのは諦めましたんで(ちゃんとしたカメラ購入ははなから諦め)、モノクロ画像とかアップしようと思います。
画像のレタッチはやらない(トリミングとアニメーションのみに限定)と決めて始めたこのブログですが、残念ながら初志貫徹ならずでした。
追記:
この貰い物デジカメは、手術入院した際に末娘の(文字通り)おもちゃ として与えました。
かといって新しく購入もできず、(¥一円の)携帯カメラで工夫するしかないのです。
何度かぶつけ 幾度か落としましたので、こちらもピントが大いに甘いのですが…(2006.5/15)


old 3 contents with pictures
by bucmacoto | 2006-02-22 23:56 | wave
rhythmic mind
2006年 02月 19日
こころってなあに?(Vol.2) 暫定β版 の原版(初版)は見つからないのですが、リズム を見ていたら甦るものがありまして、書いています。
こころにはリズム


それがなければこころじゃない
 お日様のリズムにのって
 季節のリズムにのって
 生まれてから消えるまでのリズムにのって
 出会いから別れるまでのリズムを感じて
いきているからこころなの


リズムにはまんなかがいる


まんなかがあるからはしがある
 右足が出たから左足
 左にからだをよじったから次は右
 前に進むに前傾したら
 次の瞬間、後方に重心をためる
はしがあるからまんなかがいきる



いきる調子が狂うのは病気の元
 高く跳躍するためにしゃがみ込むのは いのちのばね
 高すぎた調子を低く伏せるのは こころのばね
 戻りにくいから病気
 戻れるから病気
調子を失ったのは老いという



老いにはふたつあるらしい
 鋭いばねを失くする老い
 と
 細いまんなかでまわす老い
 舞われないから回すってどうよ
まんなかがぶれないからこそ円熟



草木にもぶれないまんなかがある
 季節のリズムを感じるいのちがある
 太陽にだって黒点周期も自転もある
 月にだって正確な周期がある
 地球にだって生命の基準の時がある
天を巡る星にだって長大な周期がある



いったりきたりするのが周期なら
 たまにリズムを外すのはアクセント
 いつもリズムを外れるからアクシデント
 ちょっと手拍子が飛ぶことだってあるけれど
 それでもリズム周期を外さないのがこころのすごさ
こころのリズムを支えることが いのちのものすごさ


・・・・はじめ を書くつもりが、脱線したな・・・(涙)
いつか発生学の基本ドグマ 『個体発生は系統発生を踏襲する』 を要約した「はじめとおわりと再生」ってのを書いてみたいものです。
R・ドーキンス流 meme の概念の助けを借りて、gene ⇔ mene ∞ Life ってのを。
・・・やっぱ むりっぽ?
by bucmacoto | 2006-02-19 20:22 | duality
一年が経ちました
2006年 02月 19日
ここでブログ開設前には、インフォシークプロフィールの住人でした。

一年前の今夜の日付が変わる頃、エキブロ登録させていただきました。

詩織sensitive plant光る雨粒しんぞうの女 といった方々に惹かれてのことでした。
あ,忘れちゃいけない所が! シモネタの盟友 BINBOKUJIブログもありました。

過去に日記やアイデアノートをつけた事はありますが、これほど継続的にできたことはありません。
(業務日報は除きます ^^)


職場の女性職員などは、『ブログ開設するとす~ぐ8百くらいのアクセスになるよ』などと言いますし、たまに訪問するこの方の などを見ると、公開すると後悔(!)しそうな訪問者数ですが、c0062295_18591336.gif
それでも、一日平均15名という,私にとっては充分過ぎる数の方にご来訪いただきました。
また、いろいろな投げかけをコメント欄でいただきました。

そのおかげで、これだけ続いたのだと思います。

デジカメが壊れたり、デジタルVTRを家族の所へ戻したりで、当初考えていたような 風景写真と文章の モザイク構想からは外れてしまいましたが、この姿もよしといたしましょう。


一年間,どうも ありがとうございました。
by bucmacoto | 2006-02-19 19:11 | particle
干支からこぼれたネコ
2006年 02月 18日
TB to TBでボケましょう2006第1回お題発表!

中国を起源とする干支は、十干十二支(じゅっかんじゅうにし)で表すカレンダーです。
干(かん)は幹の意味、支(し)は枝の意味,なのだといいます。
今では、干支(えと)といえば十二支を示すようですが、元来は十二支なんて枝葉末節なものなのです。
元々が、子丑寅卯・・・ の十二支になんて動物の意味はございません。
後世の者が、庶民にも親しみを持てるようにと、天文先進国メソポタミア方面にあったバビロンの12星座をパクリまして、こじつけただけの存在であります。

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸(こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き)
これが十干となります。これが本幹なのです。

そして、これら全てを統べる者,そうですその根幹にあるのが、猫なのです。
全てを統べる者といえば、神様です。何を隠そう、神国とよばれた日本国は猫によって創られた国ですから当然です。
日本書紀にあるイザナキとイザナミのまぐわいは、発情猫の饗宴を表しているのです。

欧米では、人類はネズミのような哺乳類が原型となって進化したと伝えます。
ですから、ミッキーマウスは人気者であり(なんせ祖先ですから)、トム&ジェリーではトムがジェリーに敵わないのです(太平洋戦争で負けられませんから)。
キリスト教は、布教の妨げとなったギリシャの神々の中でも 病者を癒す力を持つとされた医神アスクレピオスと信者争いを繰り広げました。 結局アスクレピオスのシンボル、13番目の星座へびつかい座は黄道(太陽の通過道)から隠されてしまいました。
日本では、猫が原型となって人間に進化したのです。

十二支だって、最初は猫から始まったのです。
ずる賢いネズミの策謀に負けて、消されてしまったのに違いありません。
それでも、日本人の奥底には太古の記憶が揺らめいているのでしょう。 だから、神の祖先・猫様を粗末にした怖れを失くさないのでしょう。 猫は化ける,猫は祟る と言われるのはそうした訳です。 招き猫 などと 貧乏神に対抗できる神様として扱われるのはそのためです。
ネズミから進化したのが人間ならば、猫から進化したのが神なのです。 その末裔が日本人だと日本書紀には書いてあります。





そうして、米英連合国に完敗した日本では、ミッキーマウスも トム&ジェリーも受け入れながら、げげげの鬼太郎の中で びびびのネズミ男 をへなまずるい存在として嘲って人間の憂さを晴らすのでした。

あれ? 猫娘って、そんな重要キャラだったかしら・・・?(講評見て修正)
だけど、猫娘も、目立たないし 貧乏くさいし さえないにゃぁ。


この文はフィクションであり,,,(以下略)

子猫娘をみたいなら → small little cat


TBテンプレ
by bucmacoto | 2006-02-18 18:45 |   illusion rhapsody
バンド と ベルト
2006年 02月 17日
少し前に、バントとバトンとを取り違えていたというコメントを、読みました。
そういうのは、大有りな気がしました。
私にも カレーライスとライスカレーの区別があやふやです。

導入のぼけ具合はこのくらいで、本文にいこうと思いましたが、ここでふと思い出してしまいました。
ぼけ ってことばには、あやふや~で混沌としたニュアンスがあります。
ボケ,色惚け,呆け呆け,暈け(ハレーション)、どれもちょっとピントが外れたような、シャープさに欠けてるようなムードです。
ムードといえば、夢有塗...展開が無理っぽいので止めましょう。

さて本文です。
本文といえば、余文の反意語です。。そんなわけはありません。

今度こそ本文です。

小さい頃は、ズボンをへその所で留めるためにするのは、バンド だと思っていました。いつの頃からか、そういうものはベルトという単語を充てるようになりました。
そういえば、ズボンをパンツと呼んだりスラックスと呼んだりするのは、面倒だと思いませんか?
パンツを、男性名詞では ブリーフ/トランクス,女性名詞ではショーツ/パンティー/スキャンティーなどと称すのは、ジェンダー呼称均等の精神に反するのではないでしょうか。

また外れて脱線しそうなので、ちゃんと本文に戻りましょう。 (股を外しては脱臼です。 < こら)
バンドとベルトの違いは何なのでしょうか。
まずスペルが違います。 → Band / Belt
しかし、英語は頭文字をとった略語が多いので、そうした場合には混同しそうです。
Band の方には、一団の,ひとかたまりの,群れの といったニュアンスも含まれるようです。楽隊という意味もあるからなのでしょうか。

日本語では どちらも帯(タイ,おび)だということです。
今ごろになって、身に帯びる という意味から "帯" がやってきたのだと知ることができました。 妻帯者 というのは、妻を帯びる者なのですね。(以降,脱線文を検閲)
身体に巻きつける 幅のある(そして細長い)ひもが、帯。

バンアレン帯 は、 Van Allen belt でベルト。
小惑星帯 は、アステロイドベルト。(遠距離小惑星群は カイパーベルト)
電磁波チューナーなどでは帯域幅を、受信バンド幅などとも呼びます。

こうして見ると、ベルトとバンドというのは、同じ概念に別の呼称をつけたものなのでしょうか?
土星の環にある縞模様を描写するとかいう場合には、「5番目のバンドの中に3本のベルトがあって」 なんて風に説明はしやすくなりますね。
しかし、チャンピオン・ベルトはしっくり来るけれど、チャンピオン・バンドってしっくり来ないです。優勝した楽団に思えてきます。
ヘアバンドはしっくり、ヘアベルトはどうもなぁ。 ネックバンドはあってもいいけれど、ネックベルトだと、首輪に紐を結んでお散歩するイメージが湧いてしまいます。
ベルトコンベアーはイメージできるけど、バンドコンベアは想像つかない。
ブックバンドは本をまとめる帯、ブックベルトは本を縛って持ち運ぶような印象。

並べると、私の脳みその中では、ベルトは引き伸ばせる存在で バンドは締めたままの存在という気がします。
そういえば、中世ローマが十字軍を派遣した時、遠征に参加した兵士は妻に貞操帯をつけていったといいますが、あれはどう言うのだろう?
こう思いついて調べてみましたら、CHASTITY BELT でした。 < 引き伸ばして外せたり付け替えられたらダメじゃん。。

またまた、股の話題になりつつあるので、この辺で止めるとしましょう。
by bucmacoto | 2006-02-17 21:57 | wave
時代
2006年 02月 15日
♪ あんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ ♪ (歌:中島みゆき)




私の祖母の時代には、居間で勉強をしていると、叱られたという。
「そんな勉強なんてする暇があるなら、少しは家の仕事を手伝いなさい。」
そう言われたものらしい。

私の母の時代には、本を読んでいると、注意を受けたらしい。
「本ばかり読んでも、理屈ばかり憶える,目だって悪くなる。」

私の同時代人は、マンガを読んでいると、叱られた。
「マンガ読む時間があるんなら、勉強しなさい。」
ちなみに私は、この"勉強しなさい"の言には遭遇しなかった。
その代わりに、「お前ね~ お友達のうちに行ってマンガばかり読んで、一緒に遊ばないで帰ってくるのは止めなさいよね。」 という注意を受けた覚えがある。(笑)

私の子供たちは、こう言われる時代だという。
「マンガでもいいから本を読みなさい。テレビゲームばっかりして~(▽ε▽目)」




♪ まわる まわるよ 時代はまわる 喜び悲しみ 繰り返し ♪




私の父は、10人兄弟だった。
私が小学生になる前に、夜間高校に通う父の末弟はバイクでダンプに衝突し、5人兄弟となった。

私の母は、外地で生まれた。そこは、大陸ではなかった。
兄と共に里子となり、子に恵まれなかった育ての親から養育を受けていた。

私が子供のころには、安保があった。 アポロもあった。 アトムもいた。
学生の頃には、放射線漏洩事故(放射能漏出ではない)で改修をされながら出航できずにいる廃船近い原子力船むつの見学に行った。





♪ まわる まわるよ 時代はまわる 別れと出逢いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ ♪


人生はなのか、航海なのか分からないけれど、
たびれきらずに、後悔少なく巡ってゆきたい。

駄洒落好きはA型だというが、それも半分入ってるし、オヤジもはいってるのでだじゃれたっていいだろう。(A型がおこるぞ w)
詞とMIDI → 「時代」
リンク切れ修正:2006.5/16


More 1Song
by bucmacoto | 2006-02-15 21:26 | particle
遅すぎた222
2006年 02月 14日
エキサイトブログ開設2周年おめでとう企画:エキブロを2で埋め尽くしちゃお にTBするには遅すぎ。。
っても、はっぴぃばーすでー えきぶろちゃん♪ は書いたのですけどね。


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 これだけまじめに、高校の時に日記をつけていたなら、もう少し、ちゃんとした日本語使いになれたんだろうな。

ちょっと後悔 < 反省すれども後悔せずの座右の銘はどうした w

by bucmacoto | 2006-02-14 00:07 | wave