2008年 06月 04日
post at 2008.06/04 センス(sense)ってやつは、ある種の才能と同じで、先天的な成分 と 環境によって磨かれる努力、両方が必要だろう。 人類のほとんどが3色色覚であり、4色色覚の鳥類や、紫外線領域を見ているミツバチのような目で世界を見ることはできない。 先天性色弱の者は、欠損しているオプシン(視物質)の色を濃淡で判断することしかできない。edit title spell at 2008.06/26 儚いシーン(scene)ってやつは、ある種の恋愛 や 夢のように、瞬く間に消えてしまうから美しいのかもしれない。 そのきらめきに気付き写し撮れるようになるには、センスが要求されるのだろう。 山菜取りに連れられ、いくら教えられても、私は上手に見つけることができない子供だった。 ゼンマイみたいに際立った特徴のあるものならともかく、ほとんどのキノコや 根菜や 葉物の山菜は、私が通り過ぎた後からいくらでも採れるという間抜けぶりだった。 蜻蛉(かげろう)といえば儚い命の代名詞で、陽炎(かげろう)は遠い光景が蜃気楼のようにゆらめくシーンを連想させる。 春のごく短期間だけ咲く花のはかなさを、スプリング・エフェメラル(spring ephemeral)(リンクは、この窓で跳びます)と呼ぶそうだ。 紹介した先のブログは理科(science)の先生であるらしい。 化石ハンティングに来道なさることがあるようなのだが、道産子で田舎育ちの私よりもずっとよく北の自然を観察なさっているようだ。 そういえば化石を見つけるのが私は苦手だった。 (学研の)「かがく」大好き少年だったのに、その中に書いてあるような「工事現場や、できあがったコンクリートの表面に顔をのぞかせる石にも、化石は見つけることができます」ということを成功できたためしがない。 縄文のいっぱいついた土器と磨かれ黒光りする石器をごろごろ拾える場所に行って、土くれをたっぷり持ち帰るのがせいぜいだった。(今はもう拾えなくなったらしい) 道に転がる石にも、川に転がる石にも、歴史が凝縮されたロマンが詰まっていると脳みそでは分っているつもりでも、それを見つける感覚も 拾い上げる注意力も 磨きだす労力もないことには、仕方がない。 少ないながらも、せめて文章と絵(フォト)の才能くらいは人並みにしたいというのは、私がこのブログを続ける理由の4~5番目の理由である。 小学校の頃、苦手だった作文や詩作に対し、実に ンじゅう年ぶりに取り組んでいるのだ。(私は授業でも講義でもノートをほとんど取らずに済ませたため、働くようになってから悪筆と遅筆で非常に苦労した) 先に紹介した スプリング・エフェメラルの7番目の記事で取り上げられているエンレイソウ(延齢草)は、北海道にできた最初の大学(北海道大学)の校章でもあるそうです。 リンク先にあるフィボナッチ数列の部分の記述は興味深かったですよ。 ※ 誤解されないように書いておくと、私は北大卒業ではありません でも北海道大学は散策しても楽しい好きなところです。 フォトはクルマバソウ(リンク先は別窓)を見つけたので撮ったもの。 (つうか、撮ってから調べました ^^ こちらのはより鮮やかでかわいい みぃ~つけた♪: クルマバソウ) 私が見たのは、全て8葉の輪生(っていうのかな?)でしたが、葉っぱの数が6~10枚までの幅があるようです。 車輪が回った(八方に広がった)様子を示す法輪は仏教のシンボルですし、7と言う数字は多くの文化圏で幸運の数(ラッキーナンバー)であり魔法数(マジックナンバー)であるようです。 人間が一目見ただけで一度に記憶できる数字の桁数もおよそ7桁であるのだとかいいます。 3という数字も三位一体(さんみいったい)とか、特別視されやすい数ですね。(私が好きな数でもあります) サイエンス(科学)には、百科学(博物学)の帰納的要素と、技術学(演繹して実験して検証)の要素とが混在します。 フィードバックとシーケンシャルとの、両方向があってこそまともなセンスが育まれる気がします。 これは、経験による知 と 思索による知 との調和があったほうが美しくまた分りやすい展開になるからでしょう。 よく収集され、吟味され、帰納された知 = 知識 (標本的知識) アイデアと創意に富み、演繹が有効な知 = 知恵 (発明的理論) どちらも互いに尊敬し合ってほしいものです。 私はどうにも好きになればいんですよねぇ。【知識ばかりで知恵がない(専門バカめ)】 とか 【思い付きばかりで実績も経験もない(ノーエビデンス野郎)】とかの、いわゆる 「目くそ鼻くそ論争」ってやつがねぇ ^^;
by bucmacoto
| 2008-06-04 02:49
| duality
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Comments(4)
こんにちは。
3Sの定義ですか。 整理・整頓・清掃は習ったような気がするけど、 私はどちらかと言うと、SとMの定義の方が関心が ・・・ ヾ(--;)ぉぃぉぃ こんなアホなことばかり考えているから、 知識も知恵もつかないんだよなぁ。 最近はアホがうける時代なので、過ごしやすい半面、 日本がどんどん違った方向に歩みつつあるような気がします。 知的ジョークとお笑いとアホが同立で混在しちゃってるのかも。
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bucmacoto at 2008-06-05 20:52
♪ ふあ さま
整理整頓清掃の3Sまでは職場限定で励行してよいと思います。 ですけど、+清潔 +しつけ ってゆう5Sってのは行き過ぎ (>。<; (私の能力を越えている w) 汚れは落とす(必要に応じて消毒)ってのまでは清掃の延長でいけるけれど、 清潔ってなると、ぼさぼさ寝癖で失格。 しつけ(躾)ってなるとこりゃもう、ほとんど管理者の主観を伺うような感じになりそうで退散です。。。悪霊退散っ(爆) ほうれんそう(報告,連絡,相談)ってのも、始めた当初は 報告 = 縦線(部下から上司へ) 連絡 = 横線(他の同級職位へ) 相談 = ランダム(直接の繋がりにとらわれず) ってものだったと聞きました。 役に立つ教え(知識とはいえない知恵)ってのは、伝承で変質(権威化)しやすいのかもしれません。 (なので私は、コンサルの話はもう本気にしたくない ^^)
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fossil1129 at 2008-06-05 22:36
豊かな少年時代を過ごされたようですね。
(学研の)「かがく」なんか買ってもらえない家庭だったし、 身近に石器や土器、化石が見つけられる所なんてありませんでした。 オッサンになっても 石を追いかけているのは 少年時代の鬱屈した思いを晴らしたいという 補償行為でしょうか(自虐)。
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bucmacoto at 2008-06-06 00:29
♪ ふぉっしる さま
豊かといえば豊かに見えるのでしょうね(苦笑) 鉛筆も消しゴムも、そしておやつも月に200円の小遣い(小学2年~4年)で賄うというのが我家の方針だったので、当時は買い食いできる家の子が羨ましかったんですよね~ ^^; トオハト・キャラメルコーンとか、食べられない高級お菓子だったので、スーパーで100円以下だと買ってしまうのも、たぶんリベンジだと思います(笑)。 お菓子屋の子供って、お店のものは一切食べられなかったのですよ。 小学校の頃は親って厳しいですよね。 学研2誌「かがく」「がくしゅう」は、当時の購買率は50%程度でしょうか。 地域としては、営林署・教員などの公務員の家庭は高級で教育熱心なイメージでしたが、学校には 「そぼろでんぶ」(ピンク色の甘い魚粉)の替わりに砂糖をかけてきた子もいたそうです。 後年教員になった下宿仲間から、当時私の地域に赴任していた方の話として聞かされました。 私はそこまでは貧しくなかったので、カレーライス弁当(たっぱ入り)をよく持参して通いました。 食べる時にはドライカレーの出来損ない。。 (子供はどうしても、弁当箱を振り回したくなるらしいです ^^)
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