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- 北の空からみなみへ -
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distinguish air (けじめ と つぐない)
2008年 03月 24日
空気というのは、どこにでもあって、ありふれた存在です。
ありがたみを感じることは少ないものです。
なくなってしまえば大変なのに。

ムードというのは、自然にできて、だから貴重なのです。
煽られたり溺れたりしては危ないものです。
それがないと物足りないのに。


GALANT's Cafe 氏が、先日の わきまえ をTB参照してくださいました。
 “空気を読む”とはなにか? - The Man
変化を感じ取ることに力点をおいてらっしゃいます。


空気の物理的な相をいうなら、気相・液相・固相があります。
液体相はダイバーのボンベの中にあります。
固体相はヘリウム充填現場で目にします。
 ※ヘリウム価格が高騰傾向だそうで、MRI装置の維持費が気になったりします。

心理的な空気の相は、どんなものかと考えつくまま並べてみます。
重い空気・ひんやり・どんより・ねっとり・寒い・・・冷たく湿った冬や梅雨の空気でしょうか。
軽やか・ふわふわ・あたたか・からり・うきうき・・・暖かいそして爽やかな春や初夏の風でしょうか。

空気なんて軽くて密度の低い存在です。 大地のように堅固でもなければ、海洋のように熱と物質を大量に溶かして佇むこともできません。
けれども、日本の四季は風によって運ばれてきます。 モンスーン気候ですから、季節風が収穫も・ビールの消費も・降雪量も決めるのです。

天を頼りということは、お天道様まかせ・風まかせ・雨まかせ となりそうですが、本当にそうなのです。 旱魃ひとつで小麦の価格が大変動することを見ても、天の力を人間が模倣するには限りがあるようです。
天の力を模倣したモデルが、科学の理論であり、技術の制御構造でしょう。

生命というシステムがフィードバックで成り立っているとするなら、神経制御はフィードバックを繰り込んだシーケンスが並ぶルーブ・ゴールドバーグ・マシーン*
 * ドミノ倒しのようにからくり連鎖の装置(下記の200番書き込みより)
   【これ、なんていうの?】 一般的には知られているが名前の分からないものを紹介するスレ


風とか空気とか、複数の人間や多数の人間の振る舞い、これら多変数の振る舞いを分析的に積み重ねてゆくのは、現実的ではありません。
ビリヤード球を同時にふたつの玉に当てた時の計算すら、スパコンでやっとなのです。
 報復衝動のルーツ (ライフゲーム回想) で3体問題に触れてます。

ところが興味深いことに、「相」として捉えた時には、直感的に結論が予想されるのが経験則であり、古人の知恵というものみたいです。
夕焼けは晴れ・朝焼けは下り坂、台風の東風は警戒・西風なら大丈夫、どれも科学的根拠なんて後付けの理屈であって直感的な結論としてはなから存在しています。
そしてこの、経験則 や 変化を予測できる という自信が誤謬(ごびゅう)を招く元にもなるのですね。
だってね、中身の裏づけがない経験則なんて、イリュージョンの積み重ねとさほど違わないものなんですから。

そういえば、クオリアという本質はひな型であり、そのひな型とはイリュージョンである。 と考えているこのごろです。
ユングの元型や共時性の思考とどこかつなるかな、と ちょっと楽しみです。

空気の醸成とか、風向きに聡いとか、空気を読めとか、どれももうたくさんだという気分が私にあります。
それらは大切なことではある。 けれど、求めたり強制したりするより、示して選ばせてあげるものだと、そういう気がしてならないのです。
言葉は現実を脳にくり込んで生まれた一種のシンボルです。 象徴に過ぎません。
空気や風向きの誘導も制御も、言葉によって容易になされる面はあります。 けれどそれを積極的に「する」ことが正しいとは、今の私には思えないのです。

偶然性の排除を突きつめ現代の文明は成立している。 これは私も同意します。
ひとつの重大事故の影に、29の軽い事故があり、さらに300の肝を冷やした経験が横たわっているという経験則も事実として受け入れられます。

けれども、偶然性を排除し尽くす方途が確実でなければ、【完全な無事故】に人々を向わせる進軍ラッパというやつは、徒(いたずら)に疲弊と閉塞感を増すだけに終わりそうな気がしてならないのです。
※天然痘は人から人にしかうつらないため種痘ワクチンにより地球上から根絶しました。
 インフルエンザはワクチンの免疫期間が短く、鳥・豚と種を越えて伝播するため根絶は困難とされています。 ウイルスの体内増殖を抑える薬が現在のところ切り札です。
 エイズはワクチンの開発がほぼ絶望のようです。 その一方で感染者のウイルスコントロール治療が成績を上げ、今ではほぼ普通の生活と寿命に近付いています。

グローバルな一般解というものは、魅力的であり(特に若い)人を魅了するものではあります。 必ずその解はある、真理はある、そういう心構えは美しく賞賛できます。
その一方でローカルな解、その場しのぎとも思える対症療法、そうした特殊解の寄せ集めでしか現実に対処できない局面も多いのでしょう。


けじめ(英語だとdistinction?) という言葉は、わきまえる・分別する・識別するという意味と共に、差別するという意味合いもあります。
弁える と 償(つぐな)う という言葉から、弁償という言葉が組み上がり、そのフィールドは弁護士さんの主戦場です。

責任という言葉に対しても、そうなのですが、私はそういった「自己批判」を他人に強制したり誘導する論調には組したくないのですねぇ。 きっと。

気づかされる って現象は、
自分が主体であって意味があり、
自分が対象となっては辛苦がある。

他人に対しては、気付いてちょうだいと願うのが精一杯で、それでいいと思っている。
(表明するが、強制できない)

そうした態度が、私に残っている 私のけじめ といえるんでしょう。


余談
 TB先の GALANT's Cafe 氏が触れていた 「変化」(微分解)について。

 この解は、スカラー(量としての値)と共に.ベクトル成分(正負方向)を含みます。

 それは、虚数成分(位相情報)も併せ持つものって気がいたします。

 表面上は正(ポジティブ)でも負(ネガティブ)でもない、微分成分。

 こうした(時間に関する)二次微分を要するケースは、パターンマッチングと非常に相性がよい気がします。
 その挙動は、ノイズや外乱成分に非常に弱いという事も(漠然とですが)感じます。


 こういったいわば「タイミングの妙」的な技術は、極道や政治屋や扇動家が血道をあげる種類のものなので、かたぎの理系や文系の人間には向かないだとか思ってみました。
 実際のところはどうなんでしょうね。。。

 ケンカ上等! ってのは、かっこいいけど周りの者が失うものも多い気がする。
 ええ,ええ。 平和主義者という名前の臆病者ですからそう思うのですよね。
 (でも卑怯者にはなりたくなかったりする・・・んで窮地に立つ。のか?)



post at 2008.03/24
last edit at 2008.03/24

昨夜は眠くてそのまま投稿したので誤変換などを添削しました。

そして、根底のテーマを明示しきれていなかったので、追記します。
(まぁ、読み取れた人にとっては蛇足です。 気のない人には読む気をそぐ配色です

雰囲気(空気)に流された場合、その責任は曖昧になりがちです。 第2次世界大戦後に、日本の戦争責任を追及する声は国内的にはそれほど強くはなかったと思います。 あの戦争は時代のせい。 あの戦争に協力することはみんながこぞってやったこと。 戦争に反対するのは非国民(臆病者)かアカ(共産主義者)か狂信者。 そういったレッテル貼りが横行し、またそういった雰囲気を畏れさせる手法が多用されました。 これは、カルト宗教の手口や、マルチ商法の騙り口とほとんど変わらないのだと思います。 そうしておいて、彼らは被害者にこう言うのではないでしょうか? 「私は強制も誘導もしていません。 ただこう言っただけです。【空気を読め】と。 」

by bucmacoto | 2008-03-24 00:55 | wave | Comments(2)
Commented by ふあ at 2008-03-24 18:31 x
雰囲気の空気感染ってあるみたいですね。
いくら元気の良い人間でも、
根暗な人ばかりが集まった所では静かになってしまうだろうし、
普段、根暗な私でも元気で声の大きな人と会話するときは
知らず知らずうちに大きな声で元気良く話しちゃったりします(笑)

あと人を引き付けるオーラを持った人もいますね。
人間の目には見えないものや
人間の耳では聞こえない周波数のものが
結構、人間に大きな影響を及ぼしているのかも?

Commented by bucmacoto at 2008-03-24 19:23
※ ふあ さま

ムード(雰囲気)の空気感染ですか。。。詩的な表現ですね ♪
ムードを楽しんだり雰囲気に浸ったりすることは私もあります。 けれども、酔わない程度にするようにしています。 まして酔わせることは控えたい。 と。

カリスマっぽい意味でのムードメーカーもいれば、癒し専門・お笑い十八番なムードメーカさんもいらっしゃいますね。 どちらかというと、私は半拍子だけ外しちゃうほうなんですよぉ。 先天性天然症候群なのかなぁ(病名つくるな w)

人間の慣性や行動に影響する物質として、嗅覚に訴えるフェロモンが有名ですが、立ち居振る舞いの美しさや涙といった視覚刺激、音声の強弱や豊かさの妙による陶酔など、五感に訴えるものだけでもまだ未解明の問題が山積です。
テレパシーや思念波、重力波交信みたいなトンデモ理論は、おそらくわれわれの死後になって、ある/ない が明確になるのでしょう。
そして、それが明らかになったとしても、【心は繋がっている・ハイパーパワーは存在し全ての生命はひとつ】といった気持ちは消え去る事がないのでしょう。

私は死後の世界(いわゆる霊界)も、念の力も積極的な肯定はしない人です。
死んでしまえばわかる ^^
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