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無題
2008年 02月 27日
先日15時間の手術、そして翌日に3時間の手術を受けた肉親から、電話で相談があった。

  高分化型脂肪肉腫

それが病理診断の結果だった。 二日後に退院する。

実家は田舎住まいなので、追加の(再発予防的な)放射線治療を受けるとしたら再度一ヵ月半ほどの入院をすることになる。 大学病院の主治医も、「(放射線治療を)ぜひ受けなさいとはいえない」というスタンスであるという。

一般論しか言えないと断りつつ、私はこう答えた。
「肉腫だから悪性だと説明は受けた? そう。 高分化型ってことは低分化なやつに比べて、非常にたちがいい。 けれど逆に放射線感受性は高くない。 そして放射線治療では唾液が出なくなったり、涙が出なくなったり、味がおかしくなるとかの副作用がある。 だから、問題は放射線治療の効果の程度だよ。 もしも再発抑制効果が高いなら受ける価値はある。 再発した時に【受けておけば大丈夫だったかもしれない】って思わないからね。 逆にあまり効果に期待できないような気休めの治療なら、あとあとまで残った副作用に、【なんでこんな後遺症が残ることをわざわざやったんだろう】って思うよね? だから、どの程度の効果があるかを確かめてから、その上で 『やったから大丈夫だった』 とか『無駄なことをしなくてよかった』ってどちらにしても後悔しないように決めたらいい。」

大急ぎで、脂肪肉腫をwebで調べると、低分化型ってのはなくて、粘液型・円形細胞型・多形細胞型そして(高)分化型の4種であった。 速攻で追伸メールを送った。
文中で、粘液型は放射線によく反応すること。 円形細胞型・多形細胞型は予後不良(5年生存率20%)。 それに対して、高分化型と粘液型では予後良好であること(5年生存率75%)。 高分化型脂肪肉腫では化学療法はあまりやられていないようなので、追加治療を受けるとしたらやはり放射線治療になること。 だからやはり、主治医にどの程度の効果が期待できるのか確かめて自分で決めたらよいと思うこと。
これらを書いた。


かつて私が就職してすぐの時期に、親・兄弟・従兄弟・親戚に 『がんの告知を望むか』と口頭アンケートした。 当時はまだがん告知に対して否定的な空気もあったようだ。 (就職先の大学病院は、原則告知。 個々の事例によってケースバイケースというスタンスだったように感じていた。 そしてこれは私の考え方でもあった。)

結果は見事に半分になった。

 「治るがんなら告知を。 そうでないなら知らせないで欲しい」

それと

 「どんな場合であっても、必ずきちんと知っておきたい」

この二つに、きれいに分かれたのだ。
我が家の家族は全員が後者だった。 (父はちょっと曖昧だったかな)


脂肪肉腫を調べていて目に止まったこちらの記事。(別窓)

 脂肪肉腫という病気

結局、一時間以上かけて全文を読んでしまった。(全43ページ)


力のある文章と、ウソを書き込まない正直さと、安易なうそに流されまいとして葛藤する素直な文章に、涙したりもありました。
印象的だったのが、悲しみ嘘でもいいからの中盤部分。

「お父さん、お疲れさん。」
目を開け、口を開けたままベッドに横たわる義父の亡骸に、明るい声を掛ける義母。
「管を抜いてやってください。」
穏やかな声のまま医師らに伝える義母。

石のように動かないままの医師と看護婦。
すでに電源が切られ、コンセントが抜かれた心電図計・・・それはもう、死亡確認がされた後だということだ。
義父に安らかな最期を迎えさせてあげたかった。
義母が、家族が、積極的延命を希望しなかった理由が他のどこにあるというのだ。

それを、「ただ義父が死んでいく様をなにもせず放っておいて欲しい」という意味に解釈する人物に、
そして実際にそんな行動を取れる人間に、医師である資格はない。
もちろんその医師と看護婦が今夜どのような状況で勤務していたのかは知らない。
心電図計の片付けはおそらくマニュアル通りの彼らの業務のひとつだ。
でも亡くなる患者の手を握ること、そして亡くなった患者の瞳を閉じることは、多分業務マニュアルでは義務づけられていない行為なのだろう。それとも後で「死後の処置」のときにやればいい、そう思っている?
それにしても、義父の臨終に際し、心電図計の片づけが義父の瞳を閉じることにも優先する、その感覚が、許せなかった。

『治せないならせめて看取れよ!』


 私はドライに見られることが多く、またそう言われても仕方がないと自分で思うくらいに合理性と原則を優先する。 情を無視はしないし尊重するが、ルールより優先はしない(少なくとも自分の行動に関してはそう)。
 そしてそれ(私の中の合理性)は、『自分にできることをする 自分がやってあげたいことをする 自分と相手のために』 という暗黙の前提にのっかっているやわな合理性だ。

求められることをすることが修行というなら、求めることを追及することは修道と呼ぶのだろうか。

違和感も不思議さもそして、感動の正体も、分らないならせめて記しておこう。

同じこころが、そして違うこころが、いつか 同じ現実に巡りあわせる時のために。
by bucmacoto | 2008-02-27 00:38 | quote/data
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