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直列/並列・直交 (夢想文)
2007年 10月 28日
博物学が全盛を極めたのは、19世紀のビクトリア朝時代だったのだろうか。
世界を標本化して、形態と性質をグルーピングし近縁関係を整理して、森羅万象を百科事典に収載する営みは人間的で男性的でマニアックなものだった。
人間的と書いたのは、名前を調べ ない名前をつけてシンボル化する行動様式。
男性的と書いたのは、実用にはすぐに役立たないことにエネルギーを注ぐ情熱に。
マニアックとは、思いついてやり始めたなら果てしなく続ける性質につけた形容詞。

原因と結果をまっすぐに結ぶことができるのが、因果関係。
 例 胎児の期間形成期に母親にサリドマイドを投与すると、アザラシ肢症になる
結果に影響しているのに、必然ではない偶然は縁。
 例 エレベータが停止した階に段差があり、転んで大怪我をした。

 因果も縁も仏教用語が原典らしい。 そしてこのふたつを半ば意図的に同一視すると極論になり、極論を他人に強制すると極道になる。 インネンをつけるというのはここからきたのかもしれない。
 すべてのものにそれを生じる原因が必ずある という因果(および連鎖)の法則は釈迦が初めて「わかったぞ」と思ったときのひらめきとも言う(初転法輪とされる時期)。

ものごと(事象)が 因果関係のつながりで連結される様子は、タテのつながり(親子関係/直列)だと見て取れる。 出力結果が次の原因(入力)となる直列の関係だ。 継承され あるいは反転されてゆくさまを観察すると、対極関係(相補的な関係)もこの直列な因果関係に属するような気がしてきます。
 親が親として存在するには、子の存在が必要です。 子がないと親とは呼べないし、子はさらに子を授かることで、親になりますね。

事象が存在するために必ず関係するのが直列の因果なら、その一方、並列な要素で関係しているのが相関関係でしょう。 源流まで遡っての繋がり、もしくは最終的な出力結果としての類似性です。 親が同一であるきょうだい関係は並列関係ですし、数百万年遡ると同一人物のミトコンドリア(細胞内で核とは独立している母系独自の遺伝情報をもつ)に起源を求めることができるから、人類は皆きょうだい ともいえますね。

 実のところ、要素が直列の繋がりか 並列の関係かは、わかりにくいことが多いような気がします。
 先ほど、”対極関係(相補的な関係)もこの直列な因果関係に属する” と書きました。 自分でもこれは(電流回路を想像しても きょうだい間の資源分配を想っても)おかしな言辞のようにも思えるのですが、やはり並列な関係は対極(双極)というより 表裏な感じがしてしまうのです。
 その感覚を端的にモデルとして示すなら、地球の南北を極方向(タテ) 東西をヨコの並列方向とする感覚に示すことができそうです。
 ※ここの古い記事 > 極座標 と 直交座標

 北に移動した分だけ南からは離れます。 限界として北極と南極というどんづまりがあります。
 東に進んだ分だけ西からは離れますが、いつの間にか西に到達しています。
 地球は、(南北に)限りはあるけど(東西に)果てはねい。 そんな感じですかね。

ものごとの理(ことわり)を脳の中にモデル化する再構築力を理性と呼ぶのだと思います。
その理性の基本に、認識(違いがわかる 同じがわかる)・分析(中身がわかる)・構築(組み立てた全体がわかる) があります。 この分析と構築に通常は 「ことば」 の性質に頼りがちなのですが、対極な相補関係と 表裏にある一体関係と これらは因果関係と相関関係とに括りきれないのだと思います。 集合論(要素の一部とか重なりを示すベン図のような使い方)は可能ですが。

さらに輪をかけるのが、要素の性質によって また配列によって全体の様相が様変わりしてしまうことです。 単純な電気回路でみると、
 抵抗を 直列につなぐと抵抗値の足し算に、並列に繋ぐと逆。 → 2倍になるか1/2になるか
 コンデンサを直列に繋ぐとファラッド数の逆数で計算するが、並列では足し算 → 上記の反対
  *コンデンサは英語でキャパシタンス(Capacitance)と呼ばれ単位はファラッド[F]。 一方の抵抗はレジスタンス(Resistance)で単位はオーム[Ω]。 両者を組み合わせると発信回路になります。
もしも完全に同じ回路を電源に並列に繋ぐと、表回路・裏回路という感じで動作させることができますね。 一方を取り除いても、全体としてシステムの様相は変わらない。能率も電力消費も半分に減るだけです。

さて、直列の関係(タテの因果関係) 並列の相関関係も、どちらも必然によって結びついているものです。 少なくとも直接の遺伝子なり入力によってつながりのあるものです。
それに対して、繋がりのない いわば偶然の産物としてまったく異なる由来のものが同じような姿になることがあります。 いわゆる他人の空似です。
双子(一卵性双生児)は、ひとつの受精卵子に由来するものなので天然のクローン。 そっくりなのは当然です。 知能や反射速度などは90%以上の、統合失調症などの精神疾患でも50%の相関が得られています(裏返すと100%同じ遺伝子でも統合失調の発病に関与するのは50%)。 同じ人物が二人いるのと遺伝子的には変わらないのですね。 二卵性双生児はいわば同時に生まれただけの普通のきょうだいですから、似通る加減はそれよりも少なくなりますが、それでも赤の他人よりも似ていることが多いです。
まったく関係ない赤の他人であるのに、姿がそっくりな場合というのもあるといいます。 他人の空似として 「この世には自分にそっくりな人間が3人はいる」 という言葉がありますが、けっこう的中することがあるのかも知れません。 偶然ってそういうものでしょう。 いわば直交した関係。 偶然だけれども意味を見出したくなる偶然のことです。

偶然に見えるものの中に、なにかしら共通するものを見つける手法を、回帰や帰納と呼ぶのかもしれません。 共通する法則を追究してゆく手法です。 そこには偶然を排除する努力がこれでもかとばかりに注がれ費やされます。 偶然の助けを借りた発見というのもありますが、偶然に助けてもらったり、曖昧さに逃げ込んで正しそうに見えるものは、本物とは呼べない気がします。 それはたとえ古より長い年月を経て現代に残るようなものであってもです。 占星術や格言などが当たることも多いが一致しないこともある好例ですね。


偶然と必然とは合わせて全体になるものです。 合算して1(100%)。
対極関係に見えるものはこの性質が強いものです。 要素に共通するものがないことを、互いに素であるなんていいますけど、そんな感じ。 補集合のようなものですかね。
特徴は非対称なこと。 必然なものとみなされるほどに偶然の要素は減ってゆきます。

裏と表は、対称性がある場合ですね。 そしてプラスとマイナスが逆符号である場合に用いられます。 物質的な例では、電子と陽電子。 対になっていて合算すると消滅します。(PET検査では消滅時のガンマ線を検出して画像化しているのは有名)
電子に対する陽電子のような存在を反物質と呼びます。 質量・スピン・パリティが同じで電荷だけが逆符号。

逆 と 裏って、どう違うのかどう似ているのか、実のところ私も明確にはなっていません。
単純には、紙を上下逆さまにして見る文字のようなものを 逆 と感じます。 PCで処理するときに、左右反転と上下反転を同時におこなった場合ですね(180度反転)。
それに対し、紙の裏側から透かし読むのとか、鏡映しになった文字とかを 裏 だと感じます。 PCでいえば、上下反転のみ または 左右反転のみの処理をしたときです。(鏡の像は鏡に対し前後反転の像)

裏の裏は表(あたりまえ)、逆の逆は表(聞かない表現だが多分そう)、なのですが逆の反対って裏? だとか考えちゃうと迷ったり。。。
子供がひらがなをおぼえはじめると、ときどき鏡文字を書く子に出会うといいます。 文字全体でなく、一部分(たとえば "ね" や "ぬ" の輪になる部分)だけを反転させて書いてしまうとか。
論理学を修してない私の脳みそは、肝心な基本が空っぽなままなのかしらと我が脳を案じつつ、それでもそれでどうにかやってゆくのでしょう。 これまでもそうだったし、これからもそうして。
by bucmacoto | 2007-10-28 16:35 |   pre/pro | Comments(0)
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