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feed-back / feed-forward
2006年 11月 20日
> 彼女がいないと全くモテないのに
> 彼女が出来た途端にモテだすのだそうです

このありそうな感じのする法則は、ここで見つけました。(別窓で開きます:TBしています)
The Man 自信溢れるオトコ
ニ ノ チ カ : 「モテる男」と「モテない男」は、どこが違う?

動物の世界であれば、ゆとりのないオスというものが敬遠されると言うのは、ありそうなことである。
その野生の世界にあっては
  • 餌(食料)を集めることが確保することができない。
  • 生活するに足るだけ十分なテリトリー(なわばり)を持たない。
  • 外敵から身を守るkとができない。
  • 病気や老いにより力を失った。
  • 自分を守るだけで精一杯で、家族を守れない。(あるいは守ろうとする性質がない)
などを示している可能性が高いからである。
 健康で能力に溢れ、なおかつそれらの力を他者(つまりメスや子供)のために存分に発揮してくれるオスでなければ、自分の子孫を残す相手として選びにくいのだ。

 では、そういった能力や健康や性質を、メスはどのようにして選ぶのでしょうか?

 こおろぎのメスは、そのモノサシとして羽を震わせて奏でる歌声を頼りにするようです。
 クジャクのメスは、オスの広げた羽のバランスや模様や痛みのなさで相手に惹かれるようです。
 これらの判断材料は、一見生存とは関係のない特徴であるように思えますが、先に述べたような 病気・弱さによるケガ・遺伝子の異常性(奇形や発生障害)・お手入れ能力(きちんと清潔にそして病気を免疫できないと羽は傷む)などを反映する面がありますので、一定の合理性があるわけです。
 生存するに足りるだけのエネルギーと資質を備えていて、さらに充分に余力がある。 そういう意味合いを生物はその(余分とも思えるような)飾り付けや余技に見出すのです。

 それではサルの仲間であるヒトではどうなのでしょう?

 人工飼育下にあるようなサルでは、野生のサルとは異なった形態の群れを形作ります。 いわゆるサル山と呼ばれる、ボス猿を頂点とした序列的な社会です。 そこでは餌の分配も若いメスとの交尾機会も、ほとんどの優先権がその序列に従うように見えます。 いわばハーレムの王様が一匹で、他のオスはそのおこぼれに預かるだけであるかのように見えてきます。
 その一方で、野生のサルでは生活環境しだいで序列のゆるい群れを形成することもありますし、生活圏や種によっては(例えばオランウータンやゴリラのような大型類人猿)、一夫一婦に近いパートナーシップをとることが多い場合も見受けられます。 またサル山のサルであっても詳細な観察結果によると、メスは必ずしも力のあるオスを好むばかりではなく、力の弱いオスや序列からはぐれたかのようなオスに対して交尾する機会を与える性質もあるようです。 これらの結果には、遺伝子の優位性を追求するばかりではなく、遺伝子の多様性を維持するための本能であるという解釈も存在します。(ただし、研究者の間で合意を得ているとはいえないそうです)

 ヒトの女性が男性を選択しようとする場合にも、先のこおろぎやクジャクのような尺度が働いているように思えます。
 うたが上手,楽器が上手,絵が素敵,文章が美しい,論理が精緻 ・・・ などは、必ずしも生存や生活能力を 一意に示す(全体として人間を評価した価値)とはいえなくとも、女性にとっては男性に魅せられる要素となりえます。
 異常遺伝子という観点からは、ここのライフログにある天才と分裂病の進化論にあるように、芸術的才能や数学的才能そして聖職者資質などは 統合失調症や躁極性障害などの精神疾患遺伝子と重複するものでありながら、ネアンデルタール人(旧人:ホモ・ネアンデルターレンシス)から現生人類(ホモ属サピエンス種)が分岐するに至った決定的な要素であるとみなされています。 (なお、医師・弁護士・科学者・技術者・聖職者などにそれらの疾病発生が多いように見えるのは、遺伝子:才能のせいなのか特殊な環境下に置かれたためかは、きちんとした見解が出せないようです)
 一見、破滅的に思えるロックボーカリストや、危険で無鉄砲に思えるレーサーや極道などに強く惹かれる女性が存在すると言うのも、そういう───多様で特徴的な遺伝子を保存する───意味では合理的かつ本能的な、多様性を通じて安定した種を保存しようとする遺伝子の巧妙なしくみであるのかも知れません。


 ところで、システム工学や制御理論・信号増幅や情報工学・生体科学に触れた方なら馴染み深い言葉に、フィードバック(あるいはフィードバック制御)があります。 一般に日本語では負帰還制御(ネガティブ・フィードバック・コントロール)と呼ばれるものです。 これは系(システム)の恒常性を保つ働き全般を通じて、組み込まれている仕組みです。

 入力信号が → システム(系)に入ってそこから → 出力信号を得る

 この出力信号の変化を、入力の制御に反映させる

 ループ(戻り線)を描いているため、フィードバック・ループとも表現されます。

 出力信号を反転させて(つまり出力が増すと入力を減らす)制御すると、ネガティブ・フィードバック:負帰還 と呼ばれます。 系の恒常性(安定性)に寄与します。
 出力信号の増減をそのまま入力を煽る形で影響するなら、ポジティブ・フィードバック:正帰還と呼ばれます。 系の状態(ポテンシャル準位)の変化を加速します(遷移・転移)。

 後戻りをして制御をする方法が feedback であるなら、連結されたシステムの先の方(下流)を制御するしくみの場合を、feedforword 制御と呼びます。 これは、多重連結システム(例えば原子力発電所)のような、出力結果が明らかになってから入力制御してしいては、クリティカルな(余裕や代替手段のない)状況に対応できない構造で用いられます。 人間で言うなら、ヒトの顔を認識する特別な経路や ヘビの様な物体に情動的に反応する反射経路を思い浮かべるとピンと来るヒトもいるかもしれません。

 このようなシステムの制御方法理解は、工学で発達したものですが、元来はサイバネティクス(生命工学)の分野から出現した言葉(概念)です。 さらにシステム工学に応用されそこからさらに社会現象を理解するシステムダイナミクス手法(ローマクラブ報告が有名)を理解する概念ともなりました。
 システムという定義をどう捉えるかですが、私個人としては 「入力→処理→出力」 をユニットとする組み合わせられた組織だと捉えています。 そして同時に、各要素内には必ずサブユニットが存在するという捉え方です。 ようするに、『入れ子構造(ロシアのマトリョーシカ人形みたいな)⇔フラクタル性を内包する全体』 をシステムという概念によってわかったつもりになっています。

 ほとんどのシステムの設計や運用においては必ずといっていいほど、fail safe(フェールセーフ:誤操作や突発事故への回避策)が考慮されます。 その設計思想が直感に反する操作性を有していた場合は高度に訓練された人間であっても誤った対応をしがちです。 有名な例では、墜落したエアバス社の機体では、緊急安全装置が稼動中には人間の操作と逆な動作をしてしまう特徴があり、それが日航機墜落に至った重要な要素であるというものです。(その後、これらの教訓と現場の声に押されて、設計仕様変更がなされたと聞きます)
 たくさんの段階を積み重ねてしまうと、全体像を見失ったり、間違いを見落とすことは実際の世界では多発します。 原因(入力) ⇒ 結果(出力) の因果関係が明確であるかのように思えても、システム全体としての挙動は不確定だったり不安定だったりします。 あるいは安定に見えて、いくつかの前提要素が変化するとそれまでとは打って変わった動き方をすることがあります。 現実の世界を 「考える」「論理的に理解する」「深く理解する」 努力は、目に見える現実をより精緻に脳内に 「現実モデル(写像)」 として再構築しているわけです。 そこには誤差があり、錯覚が紛れ込みやすく、既に頭の中にあるバイアス(偏り)の影響を受けます。
 論理的な判断というものは、本質的に二値化された(真/偽 or 善/悪 or 美/醜)の連鎖によって形成されます。 そういう意味では 論理とはシステムと同じともいえるでしょう(ちょっと暴論 w)。

 種の進化や保存の様相をシステムとして観察するなら、その様子は、(小さく観察すると)無目的に不合理な選択を重ねながら、大きな時代の流れの中では(最適解とはいえないまでも)妥当な解決を果たすように振る舞っています。
 サル山の中で、低位であったり群れから阻害されているかのようなオスに対して、一部のメスが(あるいは一時的な行為として)受け入れようとする行動を示すのは、優秀な遺伝子のみを後世に残す観点からは不合理でも、環境の変化や社会の激変に対応する柔軟性を種が保つためには不可欠な行動バリエーションなのでしょう。
 そのような "合理性を越えた妥当性" を示すのは、天啓と呼んでもいいでしょうし、直感と呼んでもいいでしょう。 R.ドーキンス風に、遺伝子からのメッセージであるという理解もできます。


 異性に対して、好きや嫌いの反応は、きわめて個人的な事柄に思えます。 人類の遺伝子がどうのだとか、種としての多様性が安定するようにだとか、個々人が考えているわけではないようにしか見えません。
 それでいながら、全体としてひとつだけの価値観に収斂しようという流れがあるなら、必ずと言って良いほどそれに抗う流れが出てくるものです。 なにか一方だけに寄ってしまったり、何かを無駄だとか無くしてしまえといういわば偏り(片寄り?)への自動調節機構が遺伝子の奥底から自動発動されてゆくみたいに感じられるほどです。

 ここで、冒頭の 「余裕の感じられる」 状態になって、男はモテる事例に戻りましょう。

 ・・・ 個人的には、「これはあります」 と、そう思うのです。

 彼女いない暦=2x年 を誇り(ぇ? 誇るなって?)、初彼女=婚約者=成婚相手 という恋愛経験の乏しい私でもそう思います。
 "オレはどしてこんなにモテ無い君なのかな~" と、友達の彼女を見るたびに溜息したり、恋のキューピットや相談相手にはなれるのに自分はからきし・・・ そんなこちらとしたら、その変化にはとても驚いたものです。 (そおゆうお話は、こちらが孤独で飢えている時にお持ちください。 ってゆう感じかな)

 ただこれは、論理的にはおかしな感性なのですね。 > パートナーのいる男性に惹かれる

 競争の激しい相手 よりも 青田買い。 < 見る目があるならコレが確実
 修羅場が控えるよりも穏便に。 安心して。 < スリルが好きだとか言うなら別です ^^;

 それでも、やはりヒトという種は、「ゆとりのある = 落ちついた = 安心」 という自動連鎖判断に引きずられて、この先も女性は互いを切磋琢磨して 時には獲得競争を経なければ価値を感じられない感性に騙されながら、この先も未来永劫に渡ってパートナーの男性を選んでゆくのでしょうか。

 モテナイ君が長く、その点でヒガミ根性が根付いただけなのかも知れませんが、個人的には 「見てくれ優先」 「お芝居上手」 「おだてとなぐさめのテクニックだけ」 という男性には、あんまり遺伝子を残して欲しくはないぞ。

 うーん。。。やっぱり恋の話題には卑屈な心情がにじみ出てしまう気がする。。。< 自虐 ^^
post at 2006.11/20
last edit at 2006.11/22





冒頭リンク先の記事から張られている リンク先コメントに、ありましたね。

(他人のブログにあるコメントなのでそのまま引用はできませんが)
自己嫌悪に陥った時に ⇒ 相手を嫌いになってしまう (ゆがんだ形の甘えの心情)

自分の中で何とか(崩れかかった)バランスをとろうとして、自分の本心とは反対の行動をしてしまった経験というのは、頭でなくて身体(行動)で重ねてからやっと 自分が自分の心に出会える そういう機会になるものなのでしょうか。
by bucmacoto | 2006-11-20 01:16 | particle
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