2006年 05月 01日
私の中には 妄想がある。 ベストセラー[第三の波]を読んでから、四半世紀を経ても 今なお消えない妄想がある。 私の中には 幻影がある。 過去の士農工商の身分社会は、今もなお心の奥にひっそりと息づくかのような 幻影がある。 A.トフラーの説く、狩猟社会 → 農耕社会 → 工業化社会 → 情報社会 の流れは、 私の中で、 風と地層の時代(階級社会) → 海洋の時代(階層社会) → 空と宇宙の時代(クラスタ社会) このように変容して根付いてしまった。 ギリシャ神話の混沌のごとき, 力 と 運 と 偶然との、風の時代は過ぎ逝きた。 野を駆ける獣を、空を翔る鳥を、地に実る果を草を、刈ること そして狩ることで 生き抜いた時代は, 大地に種子をまいて、地を削って水を流し込み(あるいは氾濫を待って)、実りを得る時代へと。 それは、地層のごとき階級社会の始まりでもあった。 「過去の実績」 という ご先祖様の実力が 今世の地位を定めた時代である。 序列の固定された時代。 生まれが、血筋が、実力とともに(時にはそれ以上に)優先して考えられた時代である。 その序列の堅牢さは、あたかも地質時代の地層のよう。 工業化社会の到来は、神に仕える巫女・神官の系譜である貴族階級の権威と権勢とが、入れ替え不可能なほどには堅固ではないことを知らしめた。 大きなものは善であり、偉大なものは神であった時代は、ゆっくりと だが確実に変化をはじめてゆく。 荘園 ・ 国家 ・ 帝国 大きい存在は 相変わらず 深い水底であらゆるものを搾り しかし存在が力であった構造優位の時代は、機能が力となる時代へと静かに舵を切りはじめた。 力は地位の裏付けがなければ、世に出ることが適わなかったのが 地質時代(封建時代)。 力がその能力次第で、(天運もあるにせよ)地位と名声とを得ることを認めはじめた時代。 地質のような バウムクーヘンのような 固着した面ではなく、海流の循環のように 池湖の対流のように 水温の変化で入れ替わる。 たとえ流氷に閉ざされることがあったとしても、冷たい氷の訪れは豊富な 冬は春のために、 命のために、 やってきた。 構造よりも機能が大切。 これは航海時代(海洋の時代)の約束事。 すぐに破れる帆はいらぬ。 すぐに壊れる計器は困る。 船頭がいなくても嵐でない限り、船は進む。 船頭が多くては山に登るかもしれん。 船頭よりも漕ぎ手が 機関室が 燃料こそが大切なのだ。 ・・・pause・・・ 書きかけ未公開が溜まりすぎだ。。。 (って公開作業途中も増えすぎだ!) アイデアノートなブログだから、ま,いっか w 初稿(α版 ver. 0.1):2006-5/1(ぉMay Day だ)
by bucmacoto
| 2006-05-01 22:18
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