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公 vs. 私  仕事はどちらがメインでしょう
2005年 09月 11日
「お店を勝手に撮らないでくれませんか!」というのを読み、
私は生家が製造販売のお店だったこともあり、考えてしまいました。

仕事をする場。
商いをする人には、それはお店(商店)ですね。
作成をする人には、それは工場(工房)でしょう。
調理をする人には、そこは厨房(作業場)でしょうか。

仕事というのは、社会へ開かれていてこそだと思うのです。
「お店のものは決して我が家のものではない」 → 仕事のものは私物とは分け立てよ
単純ですけれど、これを 「当たり前」 の感覚となるように育てられました。

お店の菓子を食べたければ → 小遣いからちゃんと代金を支払って食べなさい!
幼稚園仲間に店頭の菓子をくすねて分け与えて捕まった時 → 友達も同伴で正座で説教20分
 このときは、生まれて初めて 本気で情けない & 恥ずかしい思いをしました。


著作権,肖像権,意匠,特許,,,さまざまな権利があります。
 これらの基本は、仕事として公的に認められた権利でしょう。
 (他者・他社による無制限な流用に歯止めをかけて,偽物による被害を防ぐ)
提供する側(作者・製造者)の権利を守り、同時に、提供される側に本物で正当なものと保障する。
これらは、「公」(公開され)ながら 無制限無分別に他者が所有権を主張することを防止します。

その一方、個人情報(「公」ではない「私」の部分)保護においては、非公開であることが前提となっています。
 たとえ個人が一定の場所に公開をしたものであっても、他者である第三者がばら撒けない。
私的なもの(プライベート)については、守られるというのが原則だと思います。
 (とはいえ 生命を脅かす暴力などは、家庭内であれ個人の希死願望であれ 外部干渉もあり)

現実には、公な仕事 ~ 私的な趣味 の区別は連続していて分けられない微妙さもあります。
しかしながら、「仕事」である以上は、「公」なものであるという感覚が私には強いです。


冒頭に紹介したお店で、「写真を撮らないで」と言った女性の感覚は、その意味では私には理解が出来ません。
それは、私が男であり、女性の「慎重さ・危険回避」の感覚を直感的には解かぬからでしょう。

NPOの例もありますが、公的な(社会性のある)仕事であっても直接の報酬とはリンクしないで働く人々もいます。
そのような人々を私は尊敬していますし、憧れもあります。

・・・だからこそ、

仕事=公 ⇔ 個人=私

この基本形は守ってほしいし、それを常に意識していてこそ組織というものは、まともであるのだと感じるのです。

仕事の目的を最優先 → 病院なら患者,政党なら民

それでこそ支持されるんじゃないかなぁ...と思います。

目的を手段に貶めた組織って言うのは、いやなものです。
 患者を食いものにする病院,国民を餌でしか釣れない政党 < 好きな者はいないけど騙されやすい
あの手この手と、あらゆる手段を用いることは悪いことではありません。
 むしろ,最善の手段手法を検索するには、欠かせないことだと思います。

組織内の役割・権限というものは、正しく目的に沿っているから公に認められ,
組織人の良心・信条というものは、私的ではない公的な利益を与えるから許される。

ということで、選挙に行きますけれど、内情は霧の中のように不確か・・・・苦笑

記者に働きかけたりして、情報操作をしてそうな政党にだけは入れないようにしようっと。



仕事には「責任」が付きもの。

責任には大きくふたつあります。
ひとつは,義務(しなければならないこと)を ちゃんとしてなくて起きた事象についての責任。
 *裏返しの義務=禁止事項(してはならないこと)をやってしまって起きた事象についても含む
ひとつは,権利(することが許されているもの)を乱用して起きた事象についての責任。
 義務として課せられてはいない & 罪として禁止されてはいない ← このゾーンへの裁量権行使

対価(payment)を受けての、「仕事」であるから、前者が大きいのが普通なのだと思います。

それでは、対価と(等価)交換されていない仕事というのは、後者ゾーンが大きくなりやすいのでしょうか?
これは、実社会では、ケースバイケースであって、いわば玉石混交になりやすい気がします。
 ほとんどシロートの道楽に近いようなボランティアから、時にはその道のプロを凌駕するケースまで。
リタイアした経験者のボランティアや 熱意と求道心に溢れたボランティアの活動は、ほとんど芸術的な素晴らしさを感じます。
そういった「優れた」ボランティア(奉仕)精神に対しては、事前の報酬は取り決めていなくとも事後の褒賞を与えたりしても構わないというのが私の考えです。

実世界では、そのような優れた仕事に対して シロート仕事程度の「プロ」さんが資格や既得権を振りかざす例もあるように思います。
 勿論、専門的な知識と技能と経験(修練)が必要な分野と言うのは存在します。(医療など)
しかし、政治と言うのはアマチュアにプロとしての仕事をさせる場ではないでしょうか。
軍事的な専門家よりも、投票で選ばれた政治家の代表に統帥権を与えている(シビリアン・コントロール)ことにも、その思想が垣間見える気がします。

試験を突破したなら、能力ありとみなす制度。(これまでの司法試験など)
これらは、家柄(血筋)や縁故ではなく公平に能力あるものを遇するという意味で、中国の科挙制度に源流を求められる優れた面もあります。
選挙と言うのは政治家にとって試験であり、一発勝負ですから一夜漬け(試験の時だけ)にも走ることでしょう。(笑)
運・不運もありますが、その時だけの政治家だらけにならないように祈りたいものです。

認められても,認められることが無くとも,仕事をこつこつ続けている人々に対して、
私は応援したい。
認められなくとも,認めさせるために大袈裟なパフォーマンスを控える人々に対して、
私は尊敬を保ちたい。

そう感じた選挙日でした。
by bucmacoto | 2005-09-11 12:24 | particle
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