2010年 08月 14日
期待や希望に胸が膨らんだ経験は誰にも一度くらいはあるものだろう。
進学、就職、移転、旅、変化、出会、好機、そういった現実が、予想(期待)を超えていると感じられたときにこころは踊り膨らんでゆく。 お金というのは脳が評価した「感謝の証」か「謝罪の証文」だというのが私の原始的な定義。 (プラスの気持ちから生まれるのが感謝で、マイナスの埋め合わせに使われるのが謝罪) なのだが、そのお金を蓄積と集中させると資本となる。 なだらかな気温や湿度の変化は、湿度がいくら高くても雲や雨にはならないのに、異質な空気の境界では、雲が生まれ風が吹きエネルギーが顕在化する。 吸気と圧縮と点火(爆発)と排気のサイクルが、内燃機関の基本形だが、ドバイというアラブ首長国連邦の都市はめまぐるしい速度でそのサイクルを反復再生産しているらしい。日本の1990年頃のバブルの頃を彷彿とさせる熱狂ぶりだ。 NHKオンデマンド | NHKスペシャル 沸騰都市 第1回 ドバイ 砂漠にわき出た巨大マネー サブプライムローン問題、リーマンショック、ギリシャの債務不履行危機など、世界経済の変調の波はさしものドバイにも影響を与えたようで、現時点で世界ナンバーワンの高さを誇る高層建築 ブルジュ・ドバイの完成は一時は危ぶまれたらしい。その結果最後に完成するために貢献した人物の名を冠して、ブルジュ・ハリファとなったという。 バルーンのように膨らんで、あげく、はじけてしまえばそれはバブルと呼ばれる。 風船のように膨らんで、それが実を結んだ時に、それは未来を建設したとされる。 全体の利益を考えられるような人々を、神話的には神と呼ぶ、天と称す。 全体の利益を損なおうとも自分の利益を追求し、最悪の場合には他人の不幸を足がかりにしようとする人々のことは、非天と呼ばれ悪魔とみなされる。 お金=価値を記した証文 記録された価値が、上げ底でハリボテで中身が軽すぎるなら、それはしぼんでゆく創造妊娠みたいなバブルということになってしまう。それに人生や蓄えをつぎ込んで、価値のない紙切れだけしか残らないようにならないでありたいものだ。 投機と投資は、似て非なるものだけれど、ことにあたる時の心理は近いものがある。 得たいものが、お金(証文)でしかないなら、それは投機。 得たいものが、土台(礎)に過ぎずその足がかりに立ちあがるなら、それは投資。 強気なときの心理は、ほとんど区別がつかない。 思うように儲からないときに、儲けを抱えたまま逃げ出すのは投機家の性だろう。 思うに任せぬときに、サンクコストに縛られず撤退するのは投資家の勇気という。 ほとんどこれも、区別がつかない。 両者を区別する指標は、最後には、こういうことになるのかも知れない。 外からどう見えるかと気に病みながら、選択してしまう道。これは追い立てられた道。 どう見えるかよりもどうであるか、どうできるかを選択する決断。これは選択した道。 叱咤激励というのはいつも難しいものだけど、威勢のいいだけの(性悪だとこれを「愛のムチ」と称すらしい)追い立てるような言葉は避けなければならないものだと思う。 Take it easy(だいじょうぶさ吉楽にやろうぜ)といいながら、誰かを助けるために重い荷物は荒れた海に投げ捨てるような、そんな言葉は作り物でない態度からしか生まれない気がする。 ハイテンションという気分は、恋愛でも躁病でも支配的になってしまうものだけれど、その胸の膨らみ具合を熱い熱気を、まっすぐに頭にのぼらせないでいてほしい。 それがしぼんだ時にも自分で泳げる程度のものだけ持っていれば、それでいいのだから。 ほかの誰かに熱気を吹き込まなくても、その浮力をあてにしなくても、沈まないくらいで。 ね。
by bucmacoto
| 2010-08-14 21:17
| wave
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Comments(4)
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jemini-web at 2010-08-16 00:35
ブルジュ・ドバイ(放送当時)を見た時の第一印象が「おい、これは現代のバベルの塔かよ」というものでした。
その後の世界経済の流れを見ていると、旧約聖書の「エホバくだりてかの人々の建つる街と塔を見たまえり。 いざ我らくだりかしこにて彼らの言葉を乱し互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。ゆえにその名は バベルと呼ばる。」の一説が重なって、同じような事が古代にもあったのかな、という気がしてきます。 その時はバブルがはじけて人々がブロック経済を組んでしまい、人々がバラバラになってしまったって事を示してるのかな、って。 そして現代人はWW2の教訓から今の所かろうじてそれを免れているんじゃないか、って。 まあ何にせよ、これからの時代「見極める目」というのは自分で養っていかなければ後悔する事になるんでしょうね。
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bucmacoto at 2010-08-16 19:04
● ぢぇみに さま
共通であり普遍であること と 多様性を保ち自由であること、この両者の価値のどちらが殲滅されてもシステムは瓦解するのだと思います。 バベルの塔の寓話(神話)を改めて読むと、『神の怒りを買った』=[破壊された]のではないわけですね。 権力者の支配のコツとして、「恐怖・分断・日常への埋没」とか多用するんですけれど、神ってのも同様な手段で人々を支配下に置こうとしたんでしょうか。 ドバイの塔が神の怒りの対象になるなら、イカロスの翼を超えた高みにあるGPS衛星や気象衛星、惑星間探査機ハヤブサなんてとっくに神に破壊されてそう。。 見極める目ってのは教育と学習で、共通性に習熟し多様性を保つ人々に備わってゆくものなんだと思います。カーボンコピーなだけでもだめ。唯我独尊なだけでもだめ。 それにしても地上800メートルとかまで一気に水を揚げるとなると、(1大気圧=10メートル換算で)80気圧以上の加圧が要る計算ですけど、段階的に揚水してるんでしょうね。
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jemini-web at 2010-08-17 18:55
> ドバイの塔が神の怒りの対象になるなら、
ブルジュ・ハリファが神をも恐れず「高かった」のは、地価・テナント料だったんでしょうね。 「沸騰都市」での印象はまさに「ドバイの全てが投機対象になってしまっていて、実際の財貨の"価値"と"価格"のバランスが取れていない」という感じでした。 投機行動が集中してしまうと、その財貨の見た目の需給バランスは取れていても本当の需給バランスとはズレが生じる。 そしてそれが何かのきっかけで具現化すると、神はその見えざる手を動かしてホイホイと需給均衡点を落としてしまう。 ズレが大きいほど神は手を激しく動かすから、人間には怒りの鉄槌のように思えてしまう。 と、まあそんな感じでしょうか。 ...ニーチェはどうやら神様を殺したけど、手は見えなかったのでそのままにしたんでしょうねぇ(^ ^;
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bucmacoto at 2010-08-17 19:39
● ぢぇみに さま
> ブルジュ・ハリファが神をも恐れず「高かった」のは、地価・テナント料 うまいっ! 座布団800メートル分っ < 確実に崩壊 ^^; 価値判断は脳が外界を評価した結果として生じます。 価値判断の評定を共通尺度(金銭)化したもの = 価格。 価値が高く、価格が安い = これが「お得」と呼ばれる状態。 【価格が上がる⇔価値があがった】という錯覚 (これって = なのか ≒ なのか ≠ なのか見極めるには、人では手に余る) ところが巨視的に(天上の視点からの鳥瞰図みたいに)眺める人からは、おそらく一目瞭然。 で、タイミングを心得て資金を引き上げ(売り抜け)る人ってのが必ず、山ほどの破産・倒産者たちの影にいたはずなんですよね。。。 実際の価値と、かりそめの価格と、この見極めを冷徹にできる人々が多いと安定するわけですが、多すぎる(?)とはったりきかないんで祭りの勢いは生まれない。 やっぱり、お祭りといえば空中に浮かぶ軽やかな風船みたいな輝きが、人の心を浮き立たせるのでしょう。 < ぉ、かなり無理して題字に戻したな w
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