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所有という無責任 共有という責任
2009年 01月 11日
自他の境界にあるのが、肌であり感覚器であり不連続さである。

切り落とすまで爪は自分の身体の一部であるが、切ってしまったならもう自分から排出されたゴミである。 唾液などは口の中に存在しているときと、口外に吐き棄てたときとで、汚物感が全く異なる。 他人の唾液や体液を許容できるのは恋人間か、愛ある治療行為に限られるだろう。 産み落とした子を舐めあげる蹄ある動物や、傷を舐めて直してあげる犬猫のような動物たちだ。

動物好きの作家といえば、畑正憲(ムツゴロウ)さんが有名だ。
私が思春期ごろにむさぼり読んだ作家さんであり、心酔していた彼の文章のおかげで食べ物に好き嫌いのない人間に育ったようなものだ。
 それ以前は、肉が嫌い(すじがある)魚が嫌い(骨がある)野菜が嫌い(泥臭い)という態度だった。
ねずみからアメーバに至るまで、解剖を重ね、解剖した生き物は味わうという彼の言葉に感化され、「ムツゴロウさんならこんなもの当然のように食べられるというな」という一心で苦手な食物を攻略していったものだった。

 Wikipediaの外部リンクにあるこのインタビュー記事が嬉しかった > Site K4

けんぼっき島や動物王国に行ってみたいと夢想混じりに願ったものだ。
 でも、動物の世話とかはあまり得意ではなかった。 なにせものぐさななもんで(笑)


所有するという行為は、獲得する行動に始まり、自分の傍らに抱えたり囲い込むことであるといえる。 所有しているにも関わらずにいつもそばに居ないという状況は、所有というよりもむしろ支配という語に近いだろう。
対して、君臨すれども統治せず という態度は、所有を保ちながら支配を委ねたような場合に当てはまる。 カネは出すけど口を出さない ── 経営権を行使しないタイプの株主さんなどはそういう感じだろう。

所有と支配とは、同根であり本来は一体でありながら理解の便宜上立て分けておるだけか。

人間に所有された動物を家畜と呼び、誰かに所有された人間を奴隷と呼ぶ。 所有者と被所有者との間には上下関係(ないしは片方を含むという意味で、大小関係)を半ば無意識の前提条件としている。 おそらく両者が対等な関係というのは、どちらかがどちらかの所有に帰属する関係というよりも、縁があって同じ空間や時間や情報を共有するパートナーの関係になるだろう。

釈迦。孔子,ソクラテスなどが人の倫(みち)に思いを巡らせた紀元前5世紀前後は、鉄器を手に入れた人類が農耕技術を発展させたと同時に戦いによって他部族・他民族を征服し奴隷として帝国的社会を形成した時代でもある。
文明の勃興は、所有によって始められ、支配によって普及し、普及した知と技術と富とは人間を他者の所有"物"である存在から自分自身を所有するという解放に至るというのがある種の理想なのだろう。 いつまでも奴隷は奴隷のまま、腐っても鯛だから上流者は偉いままっていう社会はストレスフルなものだろうから。


ちょっとばかりココロひかれた表現をしていたのが、こちらの記事
 人権という迷信 - 池田信夫 blog

名前だけは以前から目にしていたが、時に物議をかもす言動もあるようだ。
 崎山伸夫のBlog - 池田信夫という問題

視点と立場が異なれば、同じ現象を全く異なる評価をするのはいつの時代もどんな社会も同じだ。
 J-CASTニュース : 「iPhone」 販売台数でランク外に
 aki's STOCKTAKING: iPhone 3G 販売台数が680万を突破


Appleの スティーブ・ジョブズ の言辞など、そのあまりに魅了してやまない言葉のセンスと強烈な説得力によって、現実歪曲空間 (en: Reality Distortion Field) と称されるほどだという。
 有名なスピーチ2題(YouTube飛びっぱなし)
  Apple創始者・スティーヴ・ジョブスの伝説のスピーチ(1) (8:49)
  iPhone を発表するスティーブ・ジョブス(日本語字幕) (7:49)


人差し指での操作を越えた、複数の指で操作するマルチタップの研究はiPhone発売時の2007年でもかなり進んでいたという。
 マウスよさらば マルチタッチスクリーン

キーボード入力のほうが手で字を書くよりずっと早い(それに見読性が高い)私だが、十字キー主体のゲームコントローラや、テンキー主体の携帯電話はからきし扱えない者である。
タッチスクリーンでは濡れ指で水滴をつけたりして、マウスが常備されていないとポインタを動かせなくしてしまう粗忽者でもある。



自分のモノを責任ある態度で扱えないままに、共有するものを無意識であっても責任あるような扱いは困難というのが私の経験である。
所有権というのは、「私のモノ」という意識は、他人の好き勝手にさせない(=自分の支配下に対象物が帰属する)ということに尽きるのだが、私のように共有優先派のもつ所有権の裏側を眺めてみると 共有という管理責任を負わない(=どのように扱おうと他人に迷惑はかけない)という無責任さが裏づけとなっている。


立派な人が、(自分のモノと同様に)他人との共有物を大切に扱える人たち。 だとしよう。
顰蹙な人は、(自分のモノと同様に)他人との共有物を粗末にしか扱えない人だろう。

傲慢な人って、(自分のモノは大切に扱うのに)他人との共有物は平気で酷使する人だろうか。

私は立派な人にはなれそうもないし、顰蹙な人にもなりたくはない(換言すれば油断するとなってしまうということ)ものだが、絶対になりたくないのは傲慢な人 ── さかしい人 ── の部類ではある。
フラットさ、率直さ、バカ正直ってのは、ばくまことの数少ない徳目であるのだから。
 ↑ 美徳か悪徳かは別にして(笑)

 誤用法っぽいが > さかしいの記事
by bucmacoto | 2009-01-11 15:25 | particle | Comments(0)
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