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相反則不軌
2009年 01月 04日
写真化学に属することなのか、光学写真(銀塩)の現像過程で、単純計算どおりの結果が得られない例がある。
写真の濃度(黒化度)は、露光量によって決まる。 その反応の様は、ごく少ない露光なら徐々に、やがてほぼ直線的な比例関係に至り、最後には飽和する(更には反転する → リバーサルフィルムで使用されるソラリゼーション域)。 この関係は、横軸に露光量 縦軸に黒化度(濃度)をとったグラフで見るとわかりやすい。
ほぼシグモイド曲線となる関係だ。 下図は Wikipediaより画像形式改変の上 転載
 シグモイド
c0062295_17293533.gif


フィルムの特性曲線(露光曲線 / H-D curve = Hurter-Driffield curve / film charactaristic curve などで検索すると見つかる)では、露光量を横軸にとる(フィルムの特性解析上、正式には対数値)。 横軸の露光量は Log E(相対露光:Relative Exposureの対数)、縦軸となる濃度は Density であるがこれは Log(入射光量/出射光量)のことである。
単純に濃度=2 なら、光量が 1/100 に減っている。普通の光学Filmでは黒化度2.5(つまり500分の1)で、乳房撮影用(医用)Filmでも黒化度4.3(2万分の1の透過光量)程度が上限となる。


Filmの特性解析(sensitmetry)では、光の量とフィルム濃度は一意に(1対1に)決まると考えられるのだが、実は例外がある。

ここで、光の「量」というものを考えてみよう。

コップなどで水の量を測(はか)るときには、貯めてから量(はか)る。
光の量を測るときには、これはフィルム(臭化銀などの銀塩の潜像形成)や輝尽性蛍光体(エネルギートラップを有する蓄光型物質)で計測することになる。

量るときに考えられる別の方法は、水なら流量(秒間何リットル流れているか)と使用時間(その流量が何秒間続いたか)の積だ。 流量[mL/sec]×時間[sec]=計測量[mL] というわけ。
光の場合、光の強さ(単位面積あたりどれだけのエネルギー量か)と露光時間(フィルムが光にさらされた時間)の積が、露光量となる。 光が半分でも露光時間を倍にしたら、同じ露光量と見なしてもよいというわけ。 10の光を10秒間というのと、5の光を20秒間というのは、光量としては同じなわけ。
そして、やっと相反則不軌の説明に・・ B&W Photography - 相反則不軌
 簡潔な短文なら > 相反則不軌

 手抜きじゃん。。021.gif




実は大晦日の夜、赤ワインを半分も飲まないのにテレビ点けたまま寝落ちてしまった。

目を覚ますと、テレ朝の 朝まで生テレビ の放送中のようだった。
目を瞑りながら、小一時間ほど聴いていた。
フリーター、正規雇用、季節雇用、派遣・・・など、日本がバブル後の不況と、その対応としてグローバリゼションを受け入れることで産み落とされたドライな雇用形態を議題としていた。

昔は、田原総一朗の強引で恣意的な司会に立腹していたものだが、今目を瞑って耳をそばだてているとバランスの取り方としてはごく真っ当なものに思えた。 これは私が歳をとったせいなのか。。

経済とは、経世済民がおおもとの根底にあるのだろうが、現在は貨幣を通じた活動のみが経済とされる。

・有限な資源(材ともいう)をどう分配するか。
 ○ 基準は何か ⇒ 公平 それとも 過去実績に比例
 ○ 目線はどうあるべきか ⇒ 未来・次世代・負の遺産を残さない それとも 過去・立役者・遺産を食い散らかさない
 ○ 決定プロセスは? ⇒ 識者・賢人によって定める それとも 民意の集約(闘争か放棄)か

・経済システムのひな形はどれが適切か。
  家族主義的(効率よりも血縁・地縁・家長の方針優先) それか 組織主義的(客観理念との整合・資格試験や検定重視・能力主義)

このような観点から視点を定めてみないと、細部に流されたり煽られたりしてしまうのは議論という場の性質からして、必然的になってしまう。 ようは、議論が勝ち負けの場になってしまい、正しいか誤りかの思考の場ではなくなってしまうのだ。 勝敗よりも正誤を志向した名議論というのは意外と少ない。(特に政治の場では)


んで、ほろ酔いのままつらつら思ったのは、限定的な資源の分配で、無限論を内包するような循環論に立った見解に組するのは要注意だということ。 そして同時に、分与や配分を論議するときに「結局は同じ」なのか「結局は違う」のかを言葉(語調やイメージ)に頼らないで判断しくれないと、景気や雇用の政策なんて 相反則不軌の現象のようにわけのわからない(現象自体は当然でも知らないでいると計算が全く合わない)ままに効果が消えてしまうのじゃないかと思ったのだった。

無限論を内包する ってのは、具体的にいうと
 ・ これまで新油田が発見されてきた ⇒ だから今後も発見され続ける「はず」
 ・ ウランより重い元素は自然界に存在しない ⇒ プルトニウム再処理で無限に増殖可能
 ・ 神は全てのものを必要なだけ与えてくださる ⇒ 本当に枯渇したら救済の奇跡が見られる
  (もしくは、世界を終末させる意志の表れだとか)
というような、思い込みを客観的な因果関係であるかのように主張する論陣のこと。

相反則不軌ってのは、(リンク利用の手抜きで)最初に書いたように、掛け算の積が同じでも効果は異なる結果になりがちということ。
 ・ 時給10円の昇給は、週40時間で年52週間休まず働いた場合に、2万800円の増収になる
 ・ 水道料(下水量も含む)が月1700円値上がりすると、上記の増収分は吹っ飛ぶ
 ・ 十年間の継続勤務者に、20万円の一時金を提供する
上の三つは金額としては同じでも、効果(心理的評価や経済波及度)がおそらく違ってしまう。



水を量る時には、水流量×時間 という フローと時間の積 としてはかる方法と、計量容器に蓄積させてはかる方法とがある。 フローから算出する方法 と ストックで計測する方法と二通りあるわけだ。 (本来はどちらでも同じ結果となるはず)
両者であまりに異なる場合、水流量計の限界である(かすかな水流では計測から漏れる)ようなフローの誤差の場合と、貯めた計量容器から蒸発や漏水で失われているようなストックの不備の場合とがある。

お金には、フローの性質(気持ちを乗せて運ぶ,情報を担って伝達される)と、ストックの性質(資本,あるいは基本的な材)とがある。
そしてストックであるかのように見える場合(例えば金のような希少金属)でも、価格の変動は時にみるみるうちにストックの価値を減少させる。
 貯めてあるお金の価値が見る間に消えるインフレ例 ⇒ 2008.12/23

かつて(バブル崩壊後の慢性的デフレ下)の日本で、ストックの過剰が経済活動の重しになっていると言われた。 いわゆる 3つの過剰=「設備の過剰」「債務の過剰」「雇用の過剰」だ。
そういわれるとそうなんだなっと何となくわかった気でいたのだが、このストックをフローとして流動化することがかつての日本の【構造改革】の基本戦略だった。
・ ゆりかごから墓場まで の高福祉であったが、英国病に苦しんだイギリスの轍を踏まない
・ 産業別労組の力が強すぎて、コストの下方硬直性を示しているアメリカの二の舞をしない
・ 英国は資本自由化・福祉のビジネス化・労働のサービス化(製造業的な労働からサービス業的な労働者へとシフト) ── いわゆるアメリカンスタンダード ── で復活した
そんな感じで、ストック的なものをフローに過ぎないとして流動化したのだ。

知的資源・科学立国 ── 人材重視 ── という標語はそのままで、実際にはストックであったはずの人材は取替え可能な人員へと置き換えられ、知的資源は必要なら外部から(MBOで買収,アウトソーシングで外注,人件費が安くて学力ある人間は海外で手に入る)導入することもためらわない環境を構築してきたはずだ。
少子化の時代を迎え、きつい・きたない・給料安い 仕事は、海外からの留学(という名目のビザ)生に割り当てて、経営者・役員・専門職(スペシャリスト)だけをストック(人材)とみなし、その中間の調節弁・緩衝用員としてフローな人員を配置する。
そういう枠組みでやっていこうとしたように思える。



しかし、考えてみて欲しい。

かつての英国が英国病として苦しんだ最も大きな理由は、階級社会であったということだ。
階級社会とは、親が資産家なら子も高い教育を受けて資産を受け継ぎ有利にスタートできる社会、労働者階級の子は自力で努力する以外には何も資産を持たない無産階級からの出発となる社会だ。 その社会では、社会が発展期にある時は無産階級から実力を認められて「のし上がる」チャンスがある。 けれども社会や経済の停滞期には限られたパイ(働き口・社内ポスト・報酬や給与)を分け合うにあたっては、「それまでの実績」(過去の蓄積=ストック)を強く考慮した配分となる。
金持ちの子はお金持ちに というメカニズムが働くわけだ。 それが階級社会だ。

かつての日本の強さは(そして弱さは)人々の同質性・均質性にあった。 一億総中流時代と呼ばれるほど、高学歴高給取りと古参社員との差は小さかった。 新入社員の年間所得が350万円で役員レベルが1千万なんて組織はさほど珍しくもなかった。
 おそらく今でも、大学病院や学校や警察あたりはそれほど当時と変わっていないだろう。
フラットであって、平等な待遇があって、だからこそ金銭よりもやりがいや満足感を得ることが重視され、同時に組織に対する影響力(これは私用に流用すると横暴な権力ともなる)と報酬とは切り離されてきたといえるような気がする。
おそらく日本版の【構造改革】で目指すべきことだったのは、蓄積されるべきストックが蒸発したり漏水したりで流量の累計に見合わないという状況だったのだ。 カネをつぎ込んで、仕様以下の性能や耐久性しか得られていないインフラ(社会資本)。 予算を消化(つまり帳面上の実績化)していなければ次年度の予算が得られにくくなるという理由で競合して行われる年末の道路掘り返し。 そのようなフローの蒸発や漏水による、投入資本(これは多くが借り入れ)に見合わない貧弱設備(しかも数だけは過剰)を繰り返して、「雇用の確保だ」「未来への投資だ」という人間は、(私に言わせるなら)人材失格。 せいぜいワークシート上の帳尻合わせを行う人員としか思えない。。。 < 言いすぎかしら ^^;



コストには、フロー(流動)としてのコストと、ストック形成のためのコストがある。

実績に連動するのが本義の役員報酬や賞与は前者だろうし、子供に与える教育は後者であろう。
また、限られた資源なら、例えば教育資金を、
・ 能力のある有望な人間のよりいっそうの向上のために使用するのがよいのか
・ ハンディキャップのある自立もままならない者への、重点的教育に充てるのか
といった問題は必ず生じてくる。
階級社会を止む無しと思うものは前者を、公平さが正義と思うものは後者を支持しやすいだろう。

これはどちらも欠かせないことで、本来は相反するのではなく一体とみなせるものだ。(暴論)


暴論を正当化する根拠を書くには、私の筆力はなまくらなので書かない。


しかしヒントくらいなら書いてもいいだろう。

どんぶり勘定という経営手法がある。 全部でひとつ、全社で1つの金庫に全収入を入れ、その上でそこから各自に分け前を与えて、明日の仕入れ分を残し、あとは親分が総取りする。 その親分は子分たちが金に窮したら貸したり与えたりもするし、設備の修理や更新の手配も引き受ける。 つまり 会社(組織)≡社長(親分) というわけだ。 いわば「朕は国家なり」という意識ですね。(これはルイ14世の言葉というが、証拠がなく後生の作り話とも聞く)

近代経営やチーム重視・組織(システム)優先という立場は、上記の独占(集権)の弊害を緩和させて、部分部分を明確に区別することで不正蓄財や流用を防ごうというものだった。 経理の担当者が置かれ、予算と支払いを管理して見えにくいムダ(備品や消耗品の欠品に備え、横流しに対抗する)を排除できる。 その効果が専任の担当者や外部会計士を雇用するコストよりも大きいからこそ、中間管理・外部管理の形で組織管理することが合理的なわけだ。

どちらの形態であっても、長所も短所もある。
人治による良さは、家族的なこと。 人間味があること。 よくないことはボス次第だということ。
法治による良さは、有能な人材を登用可能なこと。 公平なこと。 悪くすると形式的官僚主義。



効率というものを考えるとき、必ず「分業」というものがついてまわる。
「餅は餅屋に」というわけで、専門の人間のほうが手早く正確に無駄なく仕事をやり遂げるので、そういう人間に任せたほうが結局はムダがないとう考えか方だろう。

安価に散髪を行うシステムなど、まさにその例だ。(と、想像する)
・ 低技能低賃金の者に、雑用を任せて、顔そりや洗髪などに特化し、技能の必要な部分は少数がそれを専門に行うことで効率的に多くを捌き、高賃金者の数を絞り技能を高める。(作業の分散と集中)
・ 低賃金層に技能の習熟を促しながら、選別し階層を設け、差別化を維持するが、同時に低技能者~中間技能者の層を厚くすることで高技能者の負担感を緩和し、高賃金への天井感を打ち出す。
・ 顧客の技能面への不満を最小に、価格面での満足感を打ち出すことで、組織の達成感を強調し中小独立事業者への優位性を刷り込み独立への意志を萎えさせる。
・ このサイクルは周辺に征服すべき(低効率で高価格の)独立時業者が存在する限り、拡大再生産される。
まぁ、マルクス流に書くとこんなシナリオだろうか(背伸びだ w)。

帝国主義というのは若い頃は是非とも殲滅したいものだった。
けれど今では、『規格の共通化』『普遍な価値観の共有』『分業による効率の向上』など、いわば「どんぶり勘定とシステマティック経営のいいとこ取り」を実現するひとつの手段として功もあったと思っている。
悪いのは帝国主義というシンボル中心の運営自体よりも、
・ 奴隷制度。 市民は平等,属州民は奴隷か劣等民。 差別や階級制度とそれによる搾取を行う。
・ 法治を装っておいて、賄賂や便宜供与による個人的で恣意的な運用。
・ 粗悪な模倣による制度や偽宝に、本来の材が流れ出す(詐取を受ける)
というような問題だろう。
 ↑ これ【帝国主義】といった制度上の構造問題ではないよね。 実のところ。
 文化とか、内省とか、人間性とか、そういったものがより大きい成分だ。




飛躍して、私が望ましいかもしれないと思っている制度やシステムを直感的な比喩で書いてみよう。
それは
「両端を折ってあわせる」
という折り目正しい(?)やり方だ。

特殊学級(障害者などへの教育空間)と特別学級(高学力選抜組)とを、共有させてみるのである。
中間の95%の者は普通学級での勉学でいいだろう。
だいたい、「わからない人間に教えていたら自分の勉強が遅れる」なんて発想は、学習実力がない査証ではないか。 本当にわかる人間は、先生がなかなか先に進まなければ勝手に教科書なり資料なりを読み進めてしまうものではないか。 学校で教える事象なんてたかだか安定しきって評価が固まった表現でしかないのだから、Webで調べようが図書館で確かめようが専門家の意見を聞いてみようが内容自体には大差がないだろう。(ま,専門家の話ならよりわかりやすいし興味深いというのはあるだろうが)

というシステムが、どういった影響を学ぶ者に及ぼすのかと考えてみるのも一案かと思う。


相反則不軌の現象には、短時間過ぎることによる直感的理論とのズレと、長時間低照度過ぎることによるズレとが両端で起こっている。
(この不軌の現象は、高照射量領域での反転=ソラリゼーションとは別である)

もしも高学力者がエリートとして市民を残らず導く存在であるべきなのであれば、上の端っこと下の端っことを実感として熟知しているほうが間違いは少ないということだ。

高貴なる者の義務(ノーブレス・オブリージュ:noblesse oblige)とはそういうものだろう。


   かなり前の記事 > internal war
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by bucmacoto | 2009-01-04 00:25 | duality | Trackback | Comments(0)
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