2008年 11月 03日
私はガンダム世代ではない。
ほんの少しだけ年下だと、もろに1stガンダム世代なのだが、当時の私はテレビのない学生生活だったしなにより放映圏外の県であった。 友人の部屋でサザンは見られても、ガンダムのことは知らなかったのだ。 いまさらながら、ガンダム00(ダブルオー)のネット放映を見ている。 脳に改造を受けたアレルヤ(同体内のもうひとつの人格=ハレルヤは消失)の瞳は、左右の色が異なっていることに気付く。 白猫に多いと言われるが、犬などの他の動物にもある色素発現の左右差らしい。 「Odd-eyed」 Flickr: Search ※ Oddは、奇数とか不揃いの意味。 対語は Even(偶数や対称の意味)。 子供と一緒に、ぼのぼの、カードキャプターさくらなどのアニメは見ていたものの、年長系のアニメ作品は(スタジオ・ジブリの劇場公開作品群を除くと)宇宙戦艦ヤマト以来の全作視聴を gundum 00 で目指しているのである。 子供の頃に、あるいは思春期や青春期に受けた深い情動っていうのは、かなり後年まで影響を残すのだと思う。 半日休みだった土曜日に、巡回先のコメント欄(ここ)で【発明の名称】若い男性の人格形成の方法」なるものを見つけた。 特許となるかどうかは論外であるが、仁侠映画 や アニメ や イデオロギー や 宗教 などといった「文化活動」が、精神の成熟・・・ひいては人格形成に大きく影響することは論を待たない。 ※ 体育活動(運動会)以外のインドアないしはエクステリア(庭先)の活動を文化活動と定義する。 文化祭で行われるような活動なら、お化け屋敷 も 模擬店 も文化活動とする。 オカルト(超常現象・超能力)や 神話(おとぎ話)のような、「身の回りでは遭遇しないが、もしかしたら・・・と信じ込むとわくわくする話」というやつは、毒にもなるしクスリにもなるだろう。 そして、わくわくするような「ありえない話」を真に受ける感性というものは、他人を理解したり異文化を受け入れる場合には、欠かせない素養でもある。 ※ 自分を相手に置き換えて(つまり共感して)、多くの理解は成立する。 かつての子供たちは、おままごと(お人形さんごっこ)で母性や商取引をシミュレートし、チャンバラやピストルのおもちゃで戦闘や策略を知り、卑怯なことをやられた悔しさと 自分がそれをやった後に来るむなしさを感じ取った。 現代ならさしずめゲームでの対戦や、サークルやチームを通じて合従連携してのミニイベントがそういった模擬体験の場になるのだろうか。 人生はゲームに過ぎない とまで言い切られると反発を感じるが、多くの若者が世情から感じ取っているように、「ゲーム性」を保持しているのが人生の一断面ではある。 ※ 株や投機や融資には マネーゲームの様相があり、商活動に伴う宣伝には情報操作ごっこの様相が見え隠れし、ボランティアや布教活動であろうと評価を得るために行うようになっている場合もある。 ゲームと言う用語は広範な概念(お遊びの意味から、ゲーム理論など現実モデルを扱う哲学的示唆に至るまで)を含むが、ここでは、「勝ちか負け」ないしは「損か得か」の結果を目指す場合にそれをゲームと定義している。 教育とか修養とか自己鍛錬とかの視点から眺め見ると、試合の勝ち負けも競技の勝敗も受験の合否も、単なるゲームの結果とみなすことができる。 文から誤解されやすいものと思うので同じ意味を別な表現で繰り返すと、 ゲームの結果は単なる結果であって目的ではない。 自分に "何が残り最後まで根付いたか" ということが(教育や自己能力向上の意味では)目的に相当する。 スポーツを通じ、体力や気力を養った経験は多くの人があると思う。 一方で、文化を通じて、生活技術や気持ちの持ち方を体得した経験者も多いだろう。 文化活動は、どれだけ根付くか ということが重要視されるものだと言う気がする。 例えばその活動で受賞を重ねても、それが審査員を買収した結果だったり、薬物ドーピングや盗作の結果だったとしたら、それは かすめ盗ったものに過ぎない。 根付いた結果ではもちろんない。 横道に話が逸れた。 現代のアニメの話だった。 アニメの中でよく取り上げられる題材に、超能力・超常現象・壮大さといったものがある。 これは、神話・おとぎ話で語られる手法そのものである。 主人公は窮地に陥りながら苦しみと悲しみを乗り越える。 あらゆる奇跡がそこでは具現し、特別な力と特別な運命とが物語を織り成してゆく。 デフォルメされた特別なできごとを通じて、普通の大切なことを理解してゆく。 ※ 訓話的になりすぎないくらい抑えた方が、子供はよく記憶にとどめる(興味深い) 子供たちは「たからものを発見する」名人であり、その才能によって物語の中からいろんなたからものを見つけてくる。 教えられた宝物よりも、自分で見つけた宝物のほうに愛着を持つのは自然だろう。 それが、自分を励まし続けるようなものである限り。 ・・・だからって、フィギュアに全身全霊を込めて、子孫も残さず職業を通じた社会参加もあまりせずっていうのも。。。まぁ、道楽程度で周囲を巻き込まない範囲ならアリでしょうか。 こういうのはちょっと困るけど ^^; > 人形の投棄で殺人事件騒動 文化といいえるかどうか微妙なものに、コレクションがある。 もちろん国家や財団が蒐集する美術品などは立派な文化活動なのだろうが、コイン(硬貨)や切手を蒐集しまくりその値上がり益を狙うとなると、これは趣味なのか投機なのか曖昧だ。 そして市場参加者が多くなりすぎると値上がりしなくなる(物価上昇分だけ事実上目減りする)という現象も、現実世界の投機行動と同じようなゲーム性に支えられていることを示している。 そして本当に(ゲーム性の要素以外で)楽しんだり打ち込んでいる限り、それは自分の中に根付く可能性があるのだと思う。 高校の頃に再放送されていた「宇宙戦艦ヤマト」シリーズを、父の友人の電器店主から借りたビデオで全録画し、さらにそれを高校の視聴覚教室のVTRでダビング編集していた私のかつての活動は、文化活動と呼べるかどうかは(そして何かしら根付いたものかは)甚だ疑問ではあるのだがなぁ。。。(苦笑) 「灼眼のシャナ」 一話~六話(無料配信中) TVアニメーション「灼眼のシャナ」公式サイト 子供たちが以前「ワンピース」にはまっていた。 旅先でもそれだけは欠かさず見ていた。 私の好みとしては、「存在」って言葉をキーワードにした、この手のものの方に(オカルト臭が多少感じられようとも)惹かれてしまったりする。 存在、そして記憶。 存在の証(あかし)を遺したくて、人は生きるという面が多分にあるし、記憶に止めたくて何かを残そうとする行動に駆られる。 そういうことを感じ取れる作品だと思った。
by bucmacoto
| 2008-11-03 21:38
| wave
|
Comments(2)
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eikcaj at 2008-11-09 18:02
オイラはガンダム世代です! ガンプラ(ガンダムのプラモデル)を買うために小学生の頃、早朝からオモチャ屋に並びました!・・こまっ太
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bucmacoto at 2008-11-09 21:30
● こまっ太 さま
アニメでいうと、ヤマト世代~ガンダム世代~エヴァ世代という流れありますね。 ちなみに私のちょこっと上世代だと、ゴルゴ13や空手バカに大はまりだった様子。 ちなみに私がムーミンといえば、『ねぇムーミン♪』の歌でして、スナフキンがギター鳴らしていたものですが、湾岸戦争時代の『楽しいムーミン一家』ですとスナフキンはハーモニカ演奏になっていますね。 ぼのぼの の動画配信を心待ちにしていたりします。(ナディア同様に録画して娘に送るつもりなのでした♡)
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