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タグ:若者への手紙 ( 17 ) タグの人気記事
balloon heart
2010年 08月 14日
期待や希望に胸が膨らんだ経験は誰にも一度くらいはあるものだろう。

進学、就職、移転、旅、変化、出会、好機、そういった現実が、予想(期待)を超えていると感じられたときにこころは踊り膨らんでゆく。

お金というのは脳が評価した「感謝の証」か「謝罪の証文」だというのが私の原始的な定義。
(プラスの気持ちから生まれるのが感謝で、マイナスの埋め合わせに使われるのが謝罪)
なのだが、そのお金を蓄積と集中させると資本となる。

なだらかな気温や湿度の変化は、湿度がいくら高くても雲や雨にはならないのに、異質な空気の境界では、雲が生まれ風が吹きエネルギーが顕在化する。

吸気と圧縮と点火(爆発)と排気のサイクルが、内燃機関の基本形だが、ドバイというアラブ首長国連邦の都市はめまぐるしい速度でそのサイクルを反復再生産しているらしい。日本の1990年頃のバブルの頃を彷彿とさせる熱狂ぶりだ。

 NHKオンデマンド | NHKスペシャル 沸騰都市 第1回 ドバイ 砂漠にわき出た巨大マネー


サブプライムローン問題、リーマンショック、ギリシャの債務不履行危機など、世界経済の変調の波はさしものドバイにも影響を与えたようで、現時点で世界ナンバーワンの高さを誇る高層建築 ブルジュ・ドバイの完成は一時は危ぶまれたらしい。その結果最後に完成するために貢献した人物の名を冠して、ブルジュ・ハリファとなったという。


バルーンのように膨らんで、あげく、はじけてしまえばそれはバブルと呼ばれる。
風船のように膨らんで、それが実を結んだ時に、それは未来を建設したとされる。

全体の利益を考えられるような人々を、神話的には神と呼ぶ、天と称す。
全体の利益を損なおうとも自分の利益を追求し、最悪の場合には他人の不幸を足がかりにしようとする人々のことは、非天と呼ばれ悪魔とみなされる。

お金=価値を記した証文

記録された価値が、上げ底でハリボテで中身が軽すぎるなら、それはしぼんでゆく創造妊娠みたいなバブルということになってしまう。それに人生や蓄えをつぎ込んで、価値のない紙切れだけしか残らないようにならないでありたいものだ。


投機と投資は、似て非なるものだけれど、ことにあたる時の心理は近いものがある。
 得たいものが、お金(証文)でしかないなら、それは投機。
 得たいものが、土台(礎)に過ぎずその足がかりに立ちあがるなら、それは投資。
強気なときの心理は、ほとんど区別がつかない。


思うように儲からないときに、儲けを抱えたまま逃げ出すのは投機家の性だろう。
思うに任せぬときに、サンクコストに縛られず撤退するのは投資家の勇気という。
ほとんどこれも、区別がつかない。


両者を区別する指標は、最後には、こういうことになるのかも知れない。


外からどう見えるかと気に病みながら、選択してしまう道。これは追い立てられた道。
どう見えるかよりもどうであるか、どうできるかを選択する決断。これは選択した道。


叱咤激励というのはいつも難しいものだけど、威勢のいいだけの(性悪だとこれを「愛のムチ」と称すらしい)追い立てるような言葉は避けなければならないものだと思う。
Take it easy(だいじょうぶさ吉楽にやろうぜ)といいながら、誰かを助けるために重い荷物は荒れた海に投げ捨てるような、そんな言葉は作り物でない態度からしか生まれない気がする。


ハイテンションという気分は、恋愛でも躁病でも支配的になってしまうものだけれど、その胸の膨らみ具合を熱い熱気を、まっすぐに頭にのぼらせないでいてほしい。
それがしぼんだ時にも自分で泳げる程度のものだけ持っていれば、それでいいのだから。
ほかの誰かに熱気を吹き込まなくても、その浮力をあてにしなくても、沈まないくらいで。
ね。
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by bucmacoto | 2010-08-14 21:17 | wave

2009年 09月 06日
真実の勇気と
見せ掛けのそれと

切実な忍耐と
脅えに過ぎないそれと

かみひとえに分かつものは
潔さ

そう
なのかもしれない


brave : (危険や困難に出会っても恐れない)勇敢な,勇ましい

いえね。 ブレイブ・ストーリーという言葉に反応してみたのです。 ^^
アニメ映画『ブレイブ・ストーリー』の主題歌ってこういうのだったのですね。

 さくさく : 捧ぐ
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by bucmacoto | 2009-09-06 18:03 |   pre/pro
自由と法
2009年 06月 20日
市議会の定数が、わずか5議席!?(市長職を含む)
 米フロリダ州ブルックスヴィル市
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日本の村議会でもそこまでコンパクトな議会というのはないだろう。。と思ったら、人口がわずか7千人ほどの小さな市でした Brooksville, Florida

日本で推定人口が最小なのは統計表によると北海道歌志内市で5千人未満。市議会議員定数は10という。


冒頭のフロリダ州ブルックスヴィル市職員の服装規定に下着着用を明記するのも、その条例案に市長が「選択の自由を奪い取る」として反対票を投じるのも面白い話だった。
post at 2009.06/20
last edit at 2009.06/23


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by bucmacoto | 2009-06-20 21:48 | duality
少女A 少年B
2009年 06月 02日
中学から高校の思春期という名の反抗期真っ只中の頃は、「試験のために勉強する」ということに反抗心を燃やしていた。

 試験ってのは、実力を試して自分の自然な状態を測定しなくては意味がない。

そういう考え方だった。

まぁ、与えられた勉強はしたくない(勝手に読み進んだり調べまくる乱読方法でしかアタマに残らない) という、偏った脳みその性向があった天邪鬼だったのだろう。

その残渣からだろうか、「健康診断前だから節制する」という感覚が実のところよく理解できないでいる。 実際の 普段の 自然な状態をモニターせずに、そのときだけの好成績ってのに何の意味があるのかと思ってしまうのだ。 < ちなみに息子には「親父のそういうとこは、オレと違うね」と言われた


小学校の頃には科学者になりたかったが、理数系だけでそういった方面に進学できるはずもなく、結局は技術系の道に進んだ。 保父の道へ進むか、電子工学科に行くかと迷って、結局は保父は諦め工大は辞退して中途半端な道を選んだわけだがニッチな職業ながらそれなりに満足している。

大学生協で初めてサイエンス(現・日経サイエンス)を見たのは、1980年の夏休み前だった。
間もなく定期購読を始めた。 それは結婚後自宅を購入して小遣いの資金繰りに給するまで15年間続いた。

当時のサイエンスの名物コラムに、マーチン・ガードナーの 「数学ゲーム」 があった。
その後、ホフスタッターのメタマジックゲームや エッシャーの世界 マンデンブロ集合などの記事を読むにつけ、やはり私の脳みそでは「とてもじゃないが科学者にならずに正解だった」と思い知った。 > 歴代コラムこちら Scientific American - Wikipedia, the free encyclopedia
日経サイエンスは、非専門家のための科学「雑誌」なのだが、私にはその程度であってもかなり苦労しないと理解不能(時には苦労した挙句に理解放棄)だったからだ。
別冊サイエンスで、この数学ゲームや パラドックスや aha!思考の部分だけの分冊を買い集めていたことが懐かしい ^^


さて、その数学・パズルのコラム欄はその後消失していたが、このたび 「パズルの国のアリス」という名目で新たにスタートしているようだ。

アリスといえば、ボブとの通信・・・というのは、暗号通信などの常連といえる設定だが、日本語でいえば、少女Aと少年Bとでもなるのだろうか。。
(DOS時代ならきっと 太郎と花子だったんだろう ^^)


現在はWebでも内容を見ることができる。
初回5月号のつかみの問題はこのようなものだった。


ひっくり返して,ひっくり返して…表は何枚?

問題:アリスの目の前にトランプのカード52枚が裏返して並べてあった。見ていると,ねずみがやってきて,すべてのカードを表にして去っていった。次にオウムがやって来て,左から数えて偶数枚目のカードだけをひっくり返していった。さらに, アヒルが来て,左から数えて3枚目, 6 枚目……と3枚目ごとにひっくり返していった。このように,動物たちが次々とやって来て,n番目の動物は左からnの倍数枚目のカードの裏表を反転させていった。最後に52番目となるドードー鳥が来て,右端のカードをおもむろにひっくり返して去っていった。このとき,表になっているカードの枚数は何枚だろうか?


問題・回答は こちら(この窓のまま飛びます) > パズルの国のアリス:日経サイエンス

more(最近のサイエンスの話題)
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by bucmacoto | 2009-06-02 03:00 | duality
日記録みたいな手紙みたいな
2008年 12月 13日
昨夜から降っては止み、止まりきらずにまた降る雪で、今朝は針葉樹林も白帽子を緑の葉の上に乗せていた。

終日氷点下の真冬日になりそうな予報にも関わらず、日中の最高気温が0.4度を記録したためだろうか。 それとも陽光の熱が白銀の表面を解かしたからだろうか。 夕方の道路は見事な氷路となっていた。
私の目の前で左から来て右折を中途半端に止めた車と、右から直進しようとして微調整を失った車とが、ゆっくりとオフセット衝突した。 低速なので破損もさほどではないようだった。

慣性の法則が、摩擦力を遙かに凌駕するのが冬のアイスバーンである。


心の慣性は、習慣と呼ばれるものだろう。
世代を超えた習慣は、本能とも習性ともカルマ(業)とも呼ばれている気がする。
そして、慣性の力は、外部からは意志の力に思えるものだ。
しかし、内なる観点からは、慣性に流され続けることは、欲求に負けていることと大差のないものに思えるもの、というの見立ても一片の真実を含んではおるまいか。


お前も私も、「継続は力なり」ということは承知している。
それなのに、習慣化することも固定化されることも苦手な「躾けの身に着かない」タイプだ。
慣性飛行よりも、やる気になったときに航路を自力で制御することにわくわくせずにはいられない。


けれども忘れないで憶えておこう。

人生はグリッドの良好な道ばかりではないし、滑るばかりで局所の踏ん張りが利かない道もある。
そして何より、外から見える慣性力でしか、人は他人を理解できない。

このことは、(自分を語るときに)注意しておこう。
そのように、(相手を解るときに)自戒しておこう。
身のたから、それはよき習慣。 心のたから、それはよきやる気。


やる気のもと=脳の側座核は、やり始めてはずみがつかないと、やる気を出すことができないものなのだ。

 追記)雑学知識4 やる気の出し方
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by bucmacoto | 2008-12-13 00:01 | wave
一貫性
2008年 08月 18日
 美意識とは意志の属性

これは、私も思っていたことだが、神谷恵美子も書いていたことである。
 検索して出てくるかと思ったが記録を残していないようだ。 神谷恵美子

好きと嫌いという反応は、人間以前にもある。過去の記事
 生体の内部としては、快と不快の反応(情動)を起こすことで知られる。

快か不快かということは、実は意外と紛らわしいことがある。
 脈拍が上がり、息苦しく、汗ばんで、思考がまとまらない。
このような情動反応は、恋の反応でもあり、同時に恐怖や嫌悪の反応でもある。

好きだったはずのものを、毎食毎日、延々と食べた経験がある人は、多くがそれを嫌いになってしまうという。
その一方で、さほど好きでもなかったはずの子供時代の食事が、「おふくろの味」「日本の味」「ばあちゃんの味」として、年老いてからの何よりの好物になることもある。

好きなものを嫌いになる、逆に嫌いなものを好きになることは、多少は誰でも持っていることだろう。 食べ物でも、洋服でも、ライフスタイルや言葉遣いだってそうだ。

好きになりたいのに好きになれないことがある。
嫌いになりたくないのに嫌いになってしまうことがある。
気持ちいいのに逃げ出したくなることがある。
気持ち悪いのに留まり続けてしまうことがある。

このような矛盾した心理は、ストレスと呼ばれる。
 (stress:外力による変形が本来の意味)
心理的なうんちくに走ってしまうと、意外とものが見えなくなるので、即物的(身体に即した)ところで考えてみよう。 それは くすぐり である。

笑顔については、次のような見方がある
「相手への威嚇」を途中で解除して緩めた表情が笑みである < ラマチャンドランに触れた記事
「くすぐったさ」はある程度安心していなければ感じない感覚である。
親子間やパートナーとの間でならこそばゆい感覚であっても、警戒する相手にそれをされたら恐怖だろう。 自分の内側に近い柔らかな部分を相手にさらして触れることを許している時点で、笑いと同様に許容できる相手であることを示す情動反応といえるだろう。 > たとえば、こんな感じ(別窓ひらきます)

くすぐられて、こそばゆさに溺れた時の笑いの発作はかなり強力だ。
 涙が出るほどのたうつことがある。
 やめてくれと怒鳴りだすほどに苦しいことがある。
 手を離されても、再度近くに指が近づけられただけで、触れる前から笑い転げる。
笑いの原点は脳内モデルの再編成(既成概念のひっくり返し)以外に、くすぐり効果・こそばゆさ感覚にもあると思う。


さて話を「美しさ」という点に戻して、美意識は意志に属するという点に還ってみよう。

子供のころの素朴な感覚は、意外と環境から学び取っている(意図的ではない教育の成果)ことが多い。
カタツムリは飛び出た目玉を触れると引っ込むといった反応を含めて子供たちのアイドルだが、ナメクジは殻がないだけで毛嫌いされてしまう。 キャラが明確でアニメの素材にもなりやすいカメやカエルは歓迎されるのに、ヘビ・トカゲ系の出現には恐怖する。 これらはジェンダーと同じく、文化的な背景(半ば人為的な環境)から学んだものだろう。

そして、このような学習を通じて繰り返された反応は、習慣化して固定化している点で意志と非常に似ている(おそらくは等価なもの)。
 * 習慣と意志とは、無自覚的(無意識)に成立しているか、意識的なポイントを通過しているかだけしか違いはない(つまり同じもの)という仮説を私は持っている。

くすぐりに対抗する技を取得した人はおそらく多いだろう。
くすぐりに反応できなくなってしまった人もけっこういるだろう。(うつとかでもそうなるようだが未確認)

肉体的な「くすぐり」は、思春期以降はほとんど消えるのが現代の文化である。
 もしも人前で、男女間でそれをしたら 「ちちくりあってる」とか言われる。
 もしも人目を避けて、職場でそれをふざけてやったら 「セクハラ」が成立する。
それに代わる言語的なくすぐりというものが、「修辞」であり、「おだて」「おべっか」「おせじ」といったメッセージなのだろうか。 修辞に触れた記事

よく功名心とか名誉欲といわれるものは、何かを成し得る原動力になり、また同時に何もかも手に入れ燃え尽き衰えた老人が求めてしまうものでもあるようだ。

そうしてみると、弱点をさらして喜んでいられる「くすぐり」というやつは、重要な癒しとなるアイテムなのだろう。


美しさの要素として、対称性・規則l性・鮮鋭さがあげられることは多い。
 横道だが、オダギリジョーの妻の対称性の高さは 100万分の1 という記述がある。
しかしながら、あまりに端正な人工物の美しさは、しばしば時代とともに人工美から単調さに変容する。 輪郭を強調されすぎた顔はパンダ顔ともケバいとも言われてしまう。

対称性や規則性や鮮鋭さといったものは、おそらく数学的な美しさに通じる美。
人工美はそれを追求して生まれた美しさ。 機能美もそうだろう。

けれども、きっと人が最後に求めてしまう美しさは、故郷の風景や 生まれてから食べさせられ続けた食卓の味わいといったものなのかも知れない。 そうしたものに癒されてしまう、それを心地よい(快)と感じてしまう性質があるように思っている。

一貫性とは、(長期的にも)変わらないことであって、短期的な「ぶれやぼけ」を超えた(つまりそんなものはあっても無視してしまう)概念なのだと思う。 美意識なんてものは、決して一夜漬けや詰め込み教育の成果としては得られないものだろう。

短期的には一定でも中期的に変化してゆくものは 意思 と呼ぶことができる。
いつまでも対極的に変わらないそして変えようとは思えないものは、意志と呼びうる。
好きであって心地よくて、その好みが変化しにくいという点で美意識は意志の属性なのだと思うわけだ。

そして美しさってやつは、押し付けてもいけない、無理強いしても得られない。
 これが 「キレイっていうものです} って誰かに命令されて思えるものではない。
それは教育の成果ではなくて、学習の結果なのだと思う。


だからもう一度、自分の一貫性ってやつの源流を いいわけや誇張や修辞を抜きにして見つめなおしてくれること。 それを、このじぃじから次世代への望みとしたい。
自分で、自分の生き方の美しさくらい、ちゃんとうそ抜きで考えてみたいじゃないか。
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by bucmacoto | 2008-08-18 21:39 | duality
ふく随想 (夢想)
2008年 08月 14日
ふくれる といえば、不満顔のことだ。
むくれる といえば、怒った顔のことだ。

むくむ といえば、腫れぼったくなること。
 ⇒ 浮腫んで ますか
ふくらむ といえば、バブルのような泡風船のこと。


小さなことが大きくなることを、育つという。
小さなことが大きくなることを、ゆきだるま式という。

小さなことを大きくすることを、誇張という。
小さなことを大きくすることを、めりはりをつけるという。


見せ掛けとうわべは、服のようなものだろう。
見せ掛けとうわべは、化粧のような身だしなみなのだろう。

見せ掛けもうわべも気にしなくなったら、枯れたということだろう。
見せ掛けもうわべも気にしなくなったら、虚飾のような嘘に疲れたということだろう。


小さなものが小さくなってゆくことは、消えてゆくこと。
小さなものが小さくなってゆくことは、とけていってるさま。

消えてしまったものをあるということは、事実の隠匿だろう。
消してしまったものをあるということは、幻の捏造だろう(創造ともいう)。


誰かが言ったよ
「嘘はいけない。 けれど、隠すのは嘘じゃない」ってね
誰かに言いたいよ
「都合の悪い(マイナス)ことを隠すのは、都合のよい嘘をつくのと違うのか」って


怒りの顔は むくれた顔。 それは不公平さを感じた顔。 不正を感じた顔。
不満の顔は ふくれた顔。 それは不平等さを表した顔。 傾きを感じて鼻腔を膨らます。

子供が大人になったねと言われるとき、顔はよそ行きの服をまとう。
子供が大人になったねと言われたとき、服は誰かと同じもの。

大風呂敷を広げるような者は、若造と呼ばれた。
大舟に乗った気持ちでいる者は、落ち着いた大人と呼ばれた。

お風呂の番台で、子供は小人料金を払って湯船に向う。
大人の解いた風呂敷から、タオルと石鹸と湯桶を受け取る。

汚れた服を脱いで、清潔な下着を用意して
汚れた体を泡立てて、痒くなった皮をこすり落とす

綺麗な水は、かつての汚水のなれの果て。
汚れた水を好むような菌は、ばい菌と呼ぼうか…
それとも汚れを濾(こ)して再生する、清掃菌と呼ぼうか…

汚れを小さく切り刻むこと。 これは、分解と呼ばれている。
汚れを置き去りにして集めたもの。 これは、蒸留水って呼ばれている。

むくれた顔もふくれた顔も、
まわりに誰もいなくてもそうした顔をしているなら、
それは真剣っていう気持ちなんだ。

分解しているさいちゅうは、誰でもそんな顔になるらしい。
誰かに見せ掛けるだけの(ふりだけの)本気さは、どうにもくさいというらしい。

臭いか いい匂いか なんて
腐敗と 発酵との 違いと同じことかもしれない。< 菌がやってることは同じこと

嫉妬と 真剣とは 意外と似ているのかもしれない。
 焼け焦げて落ちてしまって地獄
 燃やして昇華し尽くしてこそ天国

「他人の不幸は蜜の味」 なんて言うことば
悪くも取れる、よくも思える

若さとは、何もつけ足さないこと、そして、何も隠さないこと。
そんな風に考えている人々は、いま、どれほどいることだろう。


明日は、終戦記念日。
今年は、暑い夏だった。

ことわざ通りならば、冬は大雪になるはずだ。
ことばの技 が  風刺・教訓・知識・興趣などをもった簡潔な言葉。なだけならさみしい。
本当になってこそ、ことわざ(言業) 言葉と出来事。言葉と事件

本当の事だから、変わらなくても そう 変えなくても、きっといいのだ。
post at 2008.08/14
last edit at 2008.08/15


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by bucmacoto | 2008-08-14 23:17 | wave
axis
2008年 06月 22日
軸線のことを、英語では axis(複 axes) という。(らしい)

 軸に沿って直列に並ぶ = たて
 軸に垂直な方向に並ぶ = よこ

これは先の記事に書いた定義だ。


縦に並べた伝送方式を シリアル・バス といい、横に並んで同時に伝送させるのをパラレル・バスという。 これはPCでのお話しだ。

シリアルバスは電気信号としては扱いやすい。 よくコンピュータの原理として 0(off)か1(on)かの、デジタル値(中間値=小数値 はない)で処理していると書かれているが、それを単純に符号化してやるだけでよい。 信号線が少ない設計も可能なので、ケーブルやコネクタが安上がりにもできる。

そして、このシリアル転送を同時に多発的に行うことで、高速化を果たしたのがパラレルバスだ。 タイミングを同期させれば、一度のクロックサイクルで複線化した信号を転送することができる。 信号線が複数(バス幅の数+共有アースの数だけは最低でも要る)なため高価になりやすい。 また、並行する信号線に(同時に異なる)シグナルが通ることになるので、相互に干渉しやすい(クロストーク)。

シリアル(直列)の転送は、高速化しやすい。
パラレル(並列=横並び)転送は、同期化しやすい。

 ※ 処理系(CPU)の パイプライン と マルチパス の関係も同様のトポロジー位相幾何学


直系の親子関係が継承される繋がりかたを 「縦のつながり」 といえるし、血縁に依存しない横方向のつながりは、「横断的な関係」ともいえる。
 因果関係は縦の関係、縁故(親子以外の縁戚や地縁・同窓)は横の関係だろうか。

 封建的・保守的 という概念は、縦の印象が背景にあるようだ。
 改革的・公平 という志向性は、横の印象が前景に迫ってくる。

相互に繋がりのなかったものが、それぞれの性質に合わせて規則正しい秩序を獲得してゆく様子を 自己組織化 という。 これは横のものから縦のものが生まれてくるという自然の摂理だろう。 だってほら、他人だった者同士がつがいとなることで、縦の血縁関係を生むじゃないか w

 組織というものは、縦の成分を抜きにしては機能もしないし、継続もできない。
 社会とか生態系は、横の成分を無視しては、最終的に破局に至るしかなくなる。


中学か高校で、ゲゼルシャフト(会社など目的をもった社会)とゲマインシャフト(地域コミュニティなど相互扶助を前提とする共同体)を習った。 これは、タテ成分が強い(目的志向で手段は代替できる思想)か、ヨコ成分が強いかの違いともいえるかな? ヨコ成分てのは プロセスと位相関係重視 なんだろう。


かつて パソコン通信に夢中になった人々(私も例外ではない)にとって、見ず知らずの 職業でも 地域でも 学校でもない ── それらの縛りから切り離された ── 偶然で自然発生的に生まれた関係というものがとても魅力的だった。
それは、インターネット黎明期に燃えた人々もそうであったろう。
そして、Web2と呼ばれる Blogのような手軽さで普及期を迎えた時も。

新しくも未知な軸が生まれる予感は、縦の序列や 画一した横並びに飽いてしまった時に、既存の揺るがないかのような縦の構造に、予想外といえる大きな力を及ぼすのだろうか。
 ・・・というか、ベクトル(位相)のずれた力が加わっているように見えている ── 歳差運動 ── だけか、新たなエネルギー(この場合はブレが安定化に向かう)が供給されているのか、それは歴史を見るような大局観から見通せるものかも知れない。



直交する座標系は小学校から目にする形だが、この軸の目盛り方で直感的に視覚に訴える変種がある。 (片)対数グラフというやつだ。

logarithmic axis of coordinates
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by bucmacoto | 2008-06-22 21:44 | particle
to capacitance robots
2008年 06月 07日
アンドロイド と ヒューマノイドの違いがわかるかい ?
 android は、男性もどき
 humanoid は、人間もどき
 ※ ここにあるのは、詩もどき ばかり

サイボーグ と ロボットの違い、解かるかい?
 cyborg は、機械化された人間
 robot は、機械の道具 人間代わりの奴隷
 ※ 制御を受けても人間。けれど、操作まで受けるなら より機械に近い


レジスタンスリアクタンスはどう違う?
 resistance は、直流交流どちらでも変わらない なのにすぐにヒートアップ
 reactance は、交流だけ見せ掛けだけの擬似抵抗 抵抗を通されたって発熱しない
 ※ 誘導性リアクタンスは位相を進め、抵抗性リアクタンスで位相は遅れる

インキュベーターとリアクター、なにちがう?
 incubatorreacorも、似てるけど
 勝手にうにゃうにゃ動く生物(なまもの)が出てくるなら、孵化器・保育器・培養器
 組織立っているのに命令を待ち続け、間違った設計で暴走や全滅するなら反応炉


 アンドロゲンは男性ホルモン
 リアクションは対人反応
 ハクションするのは大魔王(ふるいぞ)

リアクションに長けたロボットは、ヒューマノイドに近付いたのか?
くしゃみしたなら「オカゼデスカ? ワタシ ハ シンパイデス」と音声合成する電脳は、
アンドロイドにふさわしい人工頭脳と言えるのか?


フィードバック と リアクション
 受け止めてそれを入り口へと返す、戻してあげる
 それだけのこと、それは同じ
 定常相を保つからfeedback、位相に依存するからreaction

フローを受け止め円滑にするから、商人は重宝がられ、
ストックを投資し拡大するから、投資家は貴重がられ、
氾濫した流れも澱みも許さないから、公務というやつは尊貴なのだ

仕事と使命と任務は似ている
自信と傲慢は似ているのに違う

 侮(あなど)ること
 蔑(さげす)むこと
 蔑(ないがしろ)にすること

ちょっぴりゆき過ぎた自信に、これをトッピングすると、立派な傲慢ができあがる。
 ※ ふむ。。自戒しよう。
自信のなさを、これでラッピングすると、傲慢さが際立つ嫉妬心が焼きあがる。
 ※ むむ。。自省しよう。

【男の焼きもち真っ黒け】 と言うけれど、
微妙な空気を読む才能と 軽妙な空気を醸し出す才気とは
じいっと嫉妬心に心焦がした末に得ることも多いらしい。


マスコミに叩かれ、誇張された世論に曝(さら)され、
頬袋に詰め込んだ餌と 心に溜め込まされた鬱憤とに
悩み苦しむ人々の 声なき声 と泣き声に
声援する人だっている(かも知れない)

法に則(のっと)り、規範に鋭敏に生きる姿は賞賛されていい
 それがスクリプトに従った自動操縦でない限り
 それが公平さに隠した私腹の肥やしでない限り
 それはラッピングされたものでなく、ほんの少しのトッピングで充分だ

 どうか手足を縛らないで
 どうか手足を縛られないで
 どうか心を支配しないで
 どうか頭を支配されないで

仕事に職務に服従はつきものだけれど、
 良心の自由 と言う不服従の権利だけは
蹂躙されないことを 蹂躙してはいけないことを
法の親分(憲法)は 19条で謳(うた)っているのだから
 ※ 表現の自由(21条)よりは優先度が高そうだ



ロボットにならないで
リアクターに終わらないで
たとえサイボーグであっても
良心回路は失くさないで(笑) < ※やりすぎやん(電波っぽぃゎぁ)


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by bucmacoto | 2008-06-07 22:34 | wave
評価(判断)と目的と手段と
2007年 10月 11日
親の言葉となすびの花は、千にひとつも無駄(or 仇)がない
なんて言葉は、おそらくは実感とかけ離れた言葉である場合もあるだろう。
 ※ なすびは咲いた花が必ず実をつけると言われる。 親の言葉もそうなのだという意味。

 親にとっては、「うちの子は言っても言っても言うことをきかない」 という嘆き。
 子にとっては、「うちの親はわけのわかんないことを無理強いしようとする」 という憤り。

 実になる言葉。 身につく言葉。 というものとは視点に依って異なることが多いもの。。
 *シンメトリックなことばで、以前こんな記事も書いたっけ → http://bucmac.exblog.jp/d2006-03-02/

 がらくたな情報からはがらくたな結論しか得られない > garbage in garbage out (GIGO)
 がらくたから好結果を得ることもまれに = とんびが鷹を産む,ひょうたんから駒,掃溜めに鶴

 評価には、常に二面性が存在するような気がします。
 ひとくちに二面性といっても、表裏関係(表の面積と裏の面積が比例する:正の相関)と対極関係(正解と不正解:合算すると和が一定)とがある。 ことばだけでで考えるとどちらも 反対側 ってことになるからややこしい ^^;

 長所と短所とは、表裏関係の好例でしょう。 同じ行動を他人からみると やさしさ になったり よわさ になったりします。
 当然ながら、やさしい≒よわい 面はあるけれども 強さ≠劣る というものではありません。
 ↑ 弱い力で撫ぜるのはやさしく撫でる とは言うけれど それは優劣とは無関係ですから

 対極関係には できた/できない(正解・不正解) のような白黒どちらかの値をとる性質のものです。 もしくはそのできた程度(できない程度)の濃度分布として表されます。
 webスタイルシートのRGB表示で使われる輝度の強弱でみると視覚的 ♪

  color:rgb(255,255,255)
  color:rgb(204,204,204)
  color:rgb(153,153,153)
  color:rgb(063,063,063)
  color:rgb(000,000,000)

 10進数で 0~255なのは、コンピュータが二進数(組み合わせると16進数の表示が便利)を基本とした体系だからです。
  10進数のゼロ 0 は、16進数で 00h。 < 最後の h はhexadecimal number
  そして10進数の255は、16進数の FFh。
 8bitで表示できる濃淡は、わずか256階調だけなのです。。

もしも色調の濃淡で見分けをつけるとしたら。。。
 センター試験の今の配点と言うのは知らないのですが、共通一次試験と言われていた頃は、5科目各200点満点で、総計1000点満点でしたから これを濃淡で表示させるには力不足です。 4点刻みでしか区分できません。
  (ちなみに、人間の目で同時に識別可能な濃淡というのは、8bit~12bit程度と言われています。暗所で強力なバックライトを使用した場合で、10~16bit)
 10bitにすると 1024段階になるので、大学入学試験程度でもきちんと識別可能になります。  (ちなみに、キロビット,キロバイトとは、本来は1024ビット,1024バイトを意味します。 10進数とはずれるのですが、営業的に水増しして見える表示が優勢でありますね)

 さて、見え方で絶対値を判断することはできるのでしょうか。。。(?。?;
 以前に超常現象の謎解き紹介記事にもある、象徴的な図形を見るとどうにもそうとは思えないのです。
  Checkershadow Illusion
c0062295_21342490.jpg
A と B の色の濃さはまったく同じ
  MIT(マサチューセッツ工科大)教授の作った有名な図形。
post at 2007.10/11
last edit at 2007.10/17
categorization change at 2007.10/13


More(個人色がより強し)
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by bucmacoto | 2007-10-11 22:42 | particle