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機動戦士ガンダム00 (感想文)
2009年 08月 15日
私は宇宙船艦ヤマト世代であって、ガンダム世代ではない。(当然、エヴァンゲリオンはわからない)

小学校時代には、はだしのゲン の描画に衝撃を受け、同級生には『丸』読者で日本海軍ヲタクがいた。
そういう世代だから、ついつい『ヤマトっぽいぞ・・・波動エンジンに似てるな』『のうりょうしはって「テラ(地球)へ」の思念波みたいなものか』などと考えてしまっていた。

左右の脳半球を連絡する 交連繊維の中で、最大のものを脳梁(のうりょう)という。
これを切断する手術によって、人格の分離(2重人格)が表出することが知られている。
なので,のうりょうしは = 脳梁思波 なのかと思っていたら、どうやら 脳量子波 の語であるという。

機動戦士ガンダム00

量子という概念は20世紀になろうとするときに生み出された
量子

プランク定数や、プランク時間など、それ以上は分解できない性質の物理量だ。
(その意味では、古典的な意味での原子 = それ以上は分解できない粒子 と似る)
[J・s](エネルギー×時間)の次元(ディメンション)をもつ。
(ジョセフイン接合とかにもでてきたような気がするが・・・ネットではヒットしない)

量子には粒子の性質があり、ひとつふたつといった整数値でしか存在しない。
その反面、波動の性質もあり、重ね合わせた成分は(影響を受けないで)独立性を保ちながら重ね合わせることもできる性質がある。
そして整数での存在でありながら、確率的な存在でもある。 陽子1個だけの水素原子の周囲には電子1個が対となって存在するが、この電子は「いま ここ(にある)」といった存在ではない。 奇妙にも思えるが、「この辺りに存在する確率が0.5」「こちらに存在する確率 0.25」「こちらには 0.125」・・・といった雲を掴むような存在でしかない。 したがってこの確率的な電子の運動軌道を 電子雲(electron cloud)と呼ぶのである。 たしか そうだった(気がする) ^^;

人間の部品を寄せ集めて生命を創造しようとした失敗作がフランケンシュタインのお話だった。
部品から人間を組み上げることはできなくても、スパッと切断してしまった指や腕を再接合し神経と腱を再建し再び動かせるようにするくらいまでは現代医学でも可能となっている。
ミミズは引きちぎっても生きてゆけるし、五芒星形をしたヒトデは切断された腕を再生できる(そればかりか腕のほうから本体再生することもある)。
そして人間の脳は左右を分離すると個別の人格が表出する。

切り刻むと本来の性質を失うものといえば、電気分解され水素(H2)と酸素(O2)になってしまった水(H2O)の例が思い浮かぶ。 そうなってしまってはもはや水とはいえなくなる。
一方 どんなに小さい欠片になろうと H2O の水分子を保っている限り、その小さなちっちゃなひとカケラは水だといえる。 (気相なら水蒸気 結晶なら雪とか氷 と呼ばれ方は変わるかもしれないが、水であることは変わらない)

とはいえ、例えば生石灰(石膏)に付着し取り込まれてしまった水分子は、水分子であるけれどもはや炭酸カルシウムと結合してしまったということもできる。 焼きあげて水蒸気とならない限り、決して離れることはできなくなっている。 このような水分子を結合水という。 雑巾を絞ればしたたるような浸み込んでいるだけの水は自由水であり細菌などは自由水がないと繁殖できない。 この原理で、乾物やエジプトのピラミッドに安置されたミイラは、腐敗から守られているわけだ。

ガンダムダブルオーに出演(?)する量子コンピュータは、ヴェーダと名づけられている。
古代インドのサンスクリット語(梵語)で 知識 を意味する。< ギリシャ語のソフィアに相当
梵字では वेद と書くのだという。

R.ハイラインのSF「2001年宇宙の旅」に出てくるマザーコンピュータは HAL と名付けられていた。 IBM(International business Machine)のアルファベットより一文字先んじた文字が選ばれたという話は有名(本当かどうかは知らない)
手塚治虫のマンガ「火の鳥 未来編」の地価都市メガロポリス・ヤマトに君臨する電子頭脳の名は、ハレルヤでした。 ユーラシア大陸に存在するメガロポリス・レングードの電子頭脳と言い(?)争ってヒステリックに戦争をおっぱじめるコンピュータでしたね。

00タイプのガンダムマイスター(ガンダムの操縦パイロット)に アレルヤ・アプティズムという脳量子波使いがいる。 セカンドシーズン4話冒頭でアレルヤ(allelujah)は生きていることへの感謝のことばというくだりがある。 現実の言葉ではハレルヤ(hallelujah)こそ感謝と祝福であり賛美の言葉なのだが、彼にその名前が表出 ── 彼は二重人格を有し 片やアレルヤ 片やハレルヤ ── している時には、自分が生き残るために仲間を撃ち殺した人格となっている。
odd eye (右目は金 左目は茶)であり、攻撃的で生への執着が強く本能(反射)全開のパフォーマンスを見せるハレルヤの状態は、躁病の様相。 一方、通常時のアレルヤの状態では、内向的で内省的、反射よりも思考的・思索的な態度に終始する。 その様子は鬱病にも見える。
しかも、二重人格なのだから 統合失調症(Schizoid 分裂病)の様相も示している。

 YouTube - GUNDAM 00 Tribute to Allelujah Haptism

 以前もodd eye で書いた気がしていたら、あった > 2008.11/03 の記事

金色の瞳は脳量子波が使える状態というのが、この作品のシンボリックな表現形式だ。 (テレパシーの様に意思疎通ができ、憑依して相手を制御でき、第六感=つまりは勘=が研ぎ澄まされており、いわゆる 新人類・ニュータイプ・人類進化形 を象徴している感じだ)


テレパシーは古典的にもSF系アニメで多用されるアイテムだ。
私は以前、思念波というものに、重力波を関連付けたアイデアにはまったことがある。
恒星が超新星爆発する際に発生する(という説がある)重力波と、思考伝達の伝送波である思念波とが同一の物理プロセスで伝播するというアイデアだった。 自然界のよっつの力(グルーオンや核力のような強い力、原子崩壊で作用するような弱い力、電磁気力、重力)のうちで最も粒子性が薄く検出困難で場(フィールド)を伝播する。 そんなアイデアだった。


量子には、面白い性質がある。
1個 2個 3個・・・のように整数でしか数えられない粒子としての性質があるにも関わらず、強さが半分になったり重ね合わせたりできる波としての性質も併せ持っていることだ。
wave - particle duality (波動性と粒子性との二重性)とはよく言ったものだ。
整数(より厳密には自然数)でカウントするしかない「粒」であるのに、陰へ回り込んだり複数経路を通った証拠の「干渉(波の位相で強め合ったり、打ち消しあったり)」もする。

重ね合わせという性質は、確率という考え方と相性がよい。
回り込みや干渉の性質は、位相という概念で捉えると都合がよい。
ノイマン型コンピュータで使われる情報量の単位は、bit(ビット on/offの二値表現)で表される。
一方、確率と位相とを併せ持った量子型情報量の単位はキュービット(量子ビット:複数の信号状態の重ね合わせ ベクトルや虚数平面のモデルで値は表現)が最小情報単位として使われる。
端的に表現するなら、次のようなイメージだ。
これまでのbitでは「北か南」という二極でしか情報を表現できなかい
量子ビット(quantum bit または qubit あるいは cubit)は「北緯xx度 東経yy度」のような中間的な情報量をとることができる。
北極が1(on)で 南極が0(off) この二点でしか表現していない情報を、北緯0度(赤道上だから1となる確率と0となる確率とが等しい点)東経135度(時間位相で9/24[時間]だけ進んでいる)という感じで表現できるわけだ(たぶん)
bitには位相がないけれど(まぁ北極点や南極点は終日同じ高さに太陽があるからなぁ)、量子bitには位相を認めるほうが自然な感じがする。


量子コンピューティングは、まだ実機が存在せず、チューリング・マシンやノイマン型コンピュータを本当に超越した計算能力を発揮できるのかは未確認。 それでありながら・・・

・・んっと、いや・・・よくワカランことへのコメントはやめとこう ^^;



時折、相手に存在する矛盾を明確にしようとして、この手の二重性を指摘しているだけのことがある。

   社会のルール(軍紀や遵法精神) と 個人の思い(家族や愛するものへの一途さ)

   行動制御の弱さ(罪の意識の弱さ) と 社会認識の強さ(便宜要求の強さ)

これらは互いに相反する関係なのではなく、相補的なものでもなく、独立して存在する二重性として認めなくては脳内でこんがらかる(もつれる)か衝突する。


もしかしたら、逆相関(つまり 70%の的中率を誇る天気予測より 10%しか当たらない天気予測の方が「確実」だということ)であることと、独立であることは脳の中で混同されているのかも知れないと思う。
相関性(直列に結びついた因果関係+平行して位相が揃う相関関係)と独立性(互いに素知らぬ無関係という関係)とが 「相反して相補的な」ものであるのを、必ず回避・反転させてなくてはならないという思い込み。。。 そういうものを廃絶することが、理性の力であり、本能への道標となる志(こころざし = 変わらない信念)なのだろう。


   認めること と 否定すること

   戦うこと と 戦いを根絶すること


どちらか二者択一にしか答えがないのじゃなくて、どちらも亡くさない(一度は諦めても再び拾い上げに立ち戻る)態度にこそ、第3の道とか 真の進化とか あるような気がする。


中学生の頃には、アカ(共産主義思想かぶれ)傾向だったから、靖国参拝を(侵略行為の既往ある国の)公職者がしては「ならない」という意見だった。

今の私は、公人たる本人の意思 で行えばよいのだと思う。

見せかけと偽りの言葉と行動を重ねるよりは、率直に真意を示せばそれでいい。
(私個人の趣味 = 靖国参拝で侵略戦争の犠牲となった、中国~朝鮮半島~東南アジアの人々、そして侵略的戦争遂行を強制された日本人への哀悼。 そうした思いでありたいとは思う)

気になった・初めて知ったキーワード集
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by bucmacoto | 2009-08-15 21:44 | duality
つもり
2007年 09月 22日
つもり違い十ヶ条
真言宗 智山派 薬王院(高尾山)
日本経済新聞 朝刊 一面コラム 春秋 より孫引き

高いつもりで低いのは 教養
低いつもりで高いのは 気位
深いつもりで浅いのは 知識
浅いつもりで深いのは 欲
厚いつもりで薄いのは 人情
薄いつもりで厚いのは 面の皮
強いつもりで弱いのは 根性
弱いつもりで強いのは 我
多いつもりで少ないのは 分別
少ないつもりで多いのは 無駄


こういうことかな?
   つもり積もって、誤認が習慣になると →
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by bucmacoto | 2007-09-22 22:13 | quote/data
何もかも失いながら何かを得て何かを与え得る人がいた
2007年 05月 30日
c0062295_2057633.jpg
こちらの紹介で知ったこの本。
がっちり2週間かけて読み終えました。
(初版初刷のため表紙が現行のものとは異なっています)

決して泣けるような種類の本ではないと聞いていたのですが。。。 自省録以来の勢いで私にハートヒットしてくれました。

ということでばくのひとつ覚えな引用文を記載します。
注:この本は著者は没しておりますが、出版社が出版著作権を保有しております。
 もとより引用という いいわけで文を紹介しているのが、私の『引用文』です。
 権利当事者より侵害の申し立てがあり次第、即刻にこの文章は公開終了します。


そうそう、この本とは関係ないけれど、図書カードを差し込む袋にあった台詞が結構気に入りました。 そこでその図書館カードにあった添え書きをまず引用しましょう。
この書を用い給え
されど虐使した給う勿れ
蜜蜂は百合を汚さず
唯味を捉えて去るのみ

ウイリヤム・モリス

地面の底がぬけたんです
   ある女性の智恵の七三年史
   著者:藤本とし
       図書コード(旧) 0036-0012-3015

p11-16 くだける
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by bucmacoto | 2007-05-30 23:30 | quote/data
YOUTH ~ 青春の詩
2007年 01月 17日
かつての連合国総司令マッカーサーが、そして松下幸之助氏が座右の銘としたといいます。

※再認識するきっかけとなったページは → サミエル・ウルマンの青春の詩

[#IMAGE|c0062295_21233267.gif|200701/17/95/|mid|1333|603#][#IMAGE|c0062295_2124512.gif|200701/17/95/|mid|512|631#]


漢文調訳詩(スクロール版)
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by bucmacoto | 2007-01-17 21:51 | quote/data
紹介文@第25回 全国中学生 人権作文コンテスト 入賞作文
2006年 06月 12日
第25回
全国中学生 人権作文コンテスト 入賞作文集
発行者

法務省人権擁護局
全国人権擁護委員連合会


※ 本紹介文による転記につき、冊子発行者より転載許諾を得た。
(許諾確認先:法務省人権擁護局 人権啓発課 @ 2006.6/12 13:59)


すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神を持って行動しなければならない。


世界人権宣言 第一条


Page 24-27
法務副大臣賞


梅雨に入った日


埼玉県・***中学校 三年

 今年関東地方が梅雨入りをしたのは六月十日の金曜日だった。僕はこの日を絶対に忘れないだろう。
 僕の兄は障害を持っている。今年の三月、越谷養護学校の高等部を卒業した。そして、就職のために毎週木曜日、ハローワークに行き、そこで紹介された会社へ面接に行く。六月までに三度行った。結果は全て不採用だった。
 兄は自分の障害を自覚している。不採用の通知が来ると、その日は落ち込む。でも翌日から
「また木曜日にハローワークに行ってくる。」
と明るい声で話す。
 兄は僕に色々な事を話してくれる。面接の時、ハローワークの担当者に
「この子は言葉がはなせるんですか?」
「突然、暴れたりしませんか?」
と目の前で聞かれて悲しい思いをしたこと。その会社の一つは障害者雇用で日本でも有名な会社だったこと。
「僕はまだちゃんと喋れるけれど、障害で筋肉をうまく動かすことができないから、突然、大声を出すように見える人だっているんだ。みんな健康な人と同じように話したいんだ。何で分かってくれないんだろう?」
と兄はちょっと怒った口調で僕に話をした。
 六月九日木曜日、兄はハローワークに行った。そこで紹介された会社は今までの中で家から一番近い所だった。自転車で五分、歩いても一五分の距離だった。そして、翌日の六月十日、梅雨に入ったこの日、兄は母と一緒に面接に行った。学校から帰ってきた僕を待っていたのは、嬉しさを隠し切れない兄の笑顔だった。
 「採用されたよ。」の言葉をきっかけに兄の言葉は止まらなかった。本社は群馬にある二十人位のネジを作る会社だということ。工場長が自分を一人の人間としてキチンと対応してくれたこと。実際に作業をさせてもらって、障害をもつ自分でもやっていける自信があること。頑張れば正社員になることができること。他のパートのおばさんたちも一人の人間jとして扱ってくれたこと。十三日の月曜日から働けること。兄の話は止まらなかった。だから僕は、嬉しくてたまらなかった。
 十一日の土曜日、僕達家族は兄の就職祝いを兼ねて食事に出かけた。途中で寄ったホームセンターで百九十八円の中国製の傘に目を止め兄が母に聞いている。
「お母さんこれ買っていい?」
普段滅多に物をねだらない兄にしては珍しいなと、僕は思った。三種類の色の中から一番地味な色を兄は選んだ。その日の夕食は本当に楽しく過ぎていった。
 十二日日曜日、お昼前に電話が鳴った。母が出た。電話している母の顔が曇った。涙声になった。電話は工場長さんからだった。「群馬の本社の社長に兄の採用を伝えたところ、もし万が一怪我でもしたら会社としては責任を取れない。と言われた。だから、今回は、採用を見合わせたい。」との電話だった。母からその話を聞いた兄は何も言わず二階の自分の部屋に上がっていった。昼食にも夕食にも兄は降りてこなかった。

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by bucmacoto | 2006-06-12 18:24 | quote/data
[自省録] 解説
2006年 06月 09日
解説@神谷美恵子 より抜き書きした

τà  ειs  εαυτóν

(原題スペル不確か)
p209.
二 「自省録」の思想内容について
 マルクス・アウレーリウスは早くからストア哲学に傾倒した。彼はこれを主としてかの奴隷エピクテートスの書きものを通して身につけたらしい。そして一度この思想を受け入れるや、終生変わることなくこれを忠実に守り通した。したがって「自省録」に現れた思想は、一言にしていえばストア哲学である。マルクス・アウレーリウスを通して現れたストア哲学とはドンなものか、ごく簡単にその概要を記してみよう。
 ストア哲学は紀元前三百年にゼーノーンが創始し、以来マルクスの時代までには四百年以上も伝統が続いており、マルクスはいわばその最後の代表者であるともいえるのである。この哲学はギリシャの地に発祥したが、一旦ローマ帝国に輸入されると、ローマ人の男性的実際的気質によく合っていたと見えて、この地において大いに栄え、セネカ、エピクテートス、マルクス・アウレーリウスなどを生んで、いわゆる後期ストアを形成した。後期ストアの特徴はツェラーのいうように、その思想内容が著しく宗教的色彩を帯びてきた点にある。すなわち「哲学は初期の人びとの場合のごとく何の欠乏も感じない精神の自由な活動にあらずして、道徳的感情的渇望を満足させる方法」となってきたのである。
 ストア哲学は三部分に分かれている。すなわち物理学、論理学、倫理学である。(…中略…)「自然にかなった生活」というのがストア哲学の基調であり、この自然とは宇宙を支配する理性ないし理法を指すのである。しかし物理学も論理学も倫理学に対して従属的な位置におかれ、道徳的な生き方を導き出す基礎として必要なかぎりにおいてのみ意義を認められた。(…中略…)
 ストアの倫理は幾つかの信条ドグマ──すなわち真理と認められるもの──を基礎として打ちたてられている。この信条に従えば宇宙は一つ、すなわち神も物質も一つである。(…中略…)
 ストア哲学によれば、人間は肉体(肉)、霊魂(息)、および叡智(指導理性トロヘーゲモニコン)から成る。指導理性は宇宙を支配する理性の一部、すなわち神的なものの分身であって、これが人間の心の中に座を占めるダイモーンであり、人間の人間たる所以のものである。
 以上のような信条ドグマから我々の神、人、自己にたいする義務観念がひき出される。すなわち神々にたいする敬虔、人にたいする社会性コイノーニア、自己における自律自足である。
   …中略…
 すべて理性を持つものは同胞であるから、我々人間は一人残らず宇宙国家の市民であって、互いに睦みあうべく創られており、宇宙的な仕事に協力すべくできている(ⅠⅠ 1, 4,Ⅴ 8)。たとえ我々に悪いことをする者があっても、我々はそういう人々に対して善意を持ち続け、そのあやまちを正してやるか、それができなければ彼らを耐え忍ばなくてはならない。
   …中略…
 死後の運命についてははっきりした信念はない。そのまま虚無に帰するにしても、他処へうつってある生存を続けるにしても覚悟はできている、という態度であった。自殺に対しては、人間が道徳的な存在を続けることができないような場合に限ってこれを是認する。しかしこれについては特に慎重を要する、というのであった。(Ⅹ 8,その他)
 以上が「自省録」にあらわれた思想のきわめて大まかな要約である。これを通して見れば、マルクス・アウレーリウスはエピクテートスのあまりにも忠実な弟子であって、そこには思想的に何の新しい発展もない。(…中略…)この教えは不幸や誘惑にたいする抵抗力を養うにはよい。我々の義務を果たさせる力とはなろう。しかしこれは我々の内に新しい生命を湧き上がらせる底のものではない。(…中略…)力の泉となるには全人格のありかを根底からくつがえし、おきかえるような契機を与えるものが必要である。それはストア哲学にはない。
 しかしこのストア思想も、一度マルクスの魂に乗り移ると、なんという魅力と生命とを帯びることであろう。それは彼がこの思想を身をもって生きたからである。生かしたからである。(…中略…)「自省録」は決してお上品な道徳訓で固められたものではなく、時には烈しい怒りや罵りの言葉も 深い絶望や自己嫌悪のうめきもある。あくまで人間らしい信条と弱点を備えた人間が、その感じ易さ、傷つき易さのゆえになお一層切実にたえず新たに「不動心アタラクシア」に救いを求めて前進して行く、その姿の赤裸々な、いきいきとした記録がこの「自省録」なのである。
 この求道の記録は古来数知れぬ人々を鞭ち、励ましてきた。その中にはシュライエルマッヘル、メーテルリンク、ルナン、テーヌのごとき人々を数えることができる。なかんずくメーテルリンクの著書 "La Sagesse et la Destinée" の思想に酷似することを O.Kiefer は指摘しているが、まさにその通りと思われる。
 宇宙観、自然観は変わってもこの書は決して古びないであろう。なぜならば「マルクス・アウレーリウスの宗教は……絶対的宗教である。それは一つの高邁なる良心が宇宙の前に面と向って据えおかれたという簡単な事実の結果として生ずるものである。これは或る(特定の)人種や国に属するものではない。いかなる革命も進歩も発見もこれを替えることはできない」からである。

三 「自省録」の構成、文体その他について
   …前略…
 マルクスは幼少の頃から修辞学の訓練を十分受けていた。しかし哲学に志すようになってからは文学的虚栄心を斥け、できるだけ飾り気なくものを書こうとつとめたらしい。したがって青年の頃フロントーにあてて書いた手紙の文体から見れば「自省録」の文章はきわめて簡素で時にはぶっきら棒でさえある。自分ひとりのために書いたせいでもあろうが、ひとり呑み込みで、全然他人に理解できぬような場合もある。しかしこのごつごつした、無駄のない文章には一種の厳しい美しさがあり、力がある。
   …後略…

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by bucmacoto | 2006-06-09 13:40 | particle
自省録より( 引用追記)
2006年 06月 06日
6章 p82.[5] もっともよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ。
p92.[36] (前略…)あらゆるものの源泉を考えよ。

7章 p109.[29] 想像力を抹殺せよ。(…中略…)人が過ちを犯したら、その過ちは、これを犯した人のもとに留めておくがよい。

8章 p124.[4] よし君が怒って破裂したところで、彼らは少しも遠慮せずに同じことをやりつづけるであろう。

9章 p157. [38] もし彼があやまちを犯したとするなら、悪は彼のところにある。しかしもしかすると彼はあやまちを犯さなかったのかもしれない。


[備忘録]
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by bucmacoto | 2006-06-06 01:08 | wave
抜き書き引用文(@ISBN4-00-007077-0)
2006年 06月 05日
※ この引用文は 本文不完全準拠です。

ワイド版 岩波文庫
77
マルクス・アウレーリウス
自省録
神谷美恵子訳
─── 故三谷隆正先生に捧ぐ ───

ISBN4-00-007077-0 C0310 P800E
定価800円(本体777円)

第一章

p8.
 Ⅶ(7) ルティクスからは、自分の性質を匡正し訓練する必要のあるのを自覚したこと。詭弁術ソフィステイケーに熱中して横道にそれぬこと。理論的な題目に関する論文を書かぬこと。けちなお説教をしたり、道に精進する人間、善行にはげむ人間として人の眼をみはらせるようなポーズをとらぬこと。修辞学レートリケーや詩や美辞麗句をしりぞけること。家の中を長衣トガで歩きまわったりその他同様なことをしないこと。手紙を簡単に書くこと、たとえば彼がシヌエッサから私の母に宛てて書いた文面のごとし。また腹を立てて自分に無礼を加えた人々にたいしては和解的な態度をとり、彼らが元へもどろうとするときには、即座に寛大にしてやること。注意深くものを読み、ざっと全体を概観するだけで満足せぬこと。冗舌家たちにおいそれと同意せぬこと。(…後略…)

 Ⅷ(8) アポローニウスからは、独立心を持つことと絶対に僥倖をたのまぬこと。たとえ一瞬間でも、理性以外の何物にもたよらぬこと。ひどい苦しみの中にも、子を失ったときにも、長い患いの間にも、常に同じであること。同一の人間が一方では烈しくありながら、他方では優しくありうるということを生きた例ではっきりと見たこと。(…略…)友人たちから恩恵と思われるものを受けるに際して、そのために卑下もせず、そうかといって冷然と無視もせず、いかにこれを受けるべきかを学んだこと。

p10.
 ⅩⅠ(11) フロントーからは、暴君の嫉妬と狡智と虚偽とはどんなものかを観察したこと。また一般に我々の間で貴族パトリキィと呼ばれている人たちは、多かれ少なかれ親身の愛情の欠けていることを観察したこと。

 ⅩⅡ(12) プラトーン学派のアレクサンドロスからは、「私は暇がない」ということをしげしげと、必要もないのに人に言ったり手紙に書いたりせぬこと。また緊急な用事を口実に対隣人関係のもたらす義務を絶えず避けぬこと。

第一章を結ぶ語句
 ⅩⅦ(17) 神々からはよき祖父たちを持ったこと。またよき両親、よき姉妹、よき師、よき知人、親類、友人たち、──をのほとんどことごとくがよい人びとであった── を持ったこと、そして彼らのうちなんぴとにたいしても過ちを犯さなかったこと。もっとも私は機会があれば、そのようなことをしでかす性質を持っているのであるが、神々の恩恵により、かかる試みに私を逢わすようなまわり合わせが起らなかったまでのことだ。
 (…中略…)
 人が金に困ったり、その他の必要に迫られているとき、これを助けてやりたいと思うたびごとに、それを実現するに必要な金が私にはないといわれたことはただの一度もなかったこと。(…略…)
 (…略…)また私が哲学が好きになったとき、ソフィストの手に陥りもせず、論文を書くために腰をすえたり、三段論法を分解したり、天体について観察したりもしなかったこと。
 なぜなら以上のことは皆必ず神々と運命の助けによるからである。
グラン河畔のクヮディ人たちの間にて記す


第三章

p34.
 Ⅴ(5) 何かをするときいやいやながらするな、利己的な気持ちからするな、無思慮にするな、心にさからってするな。の考えを美辞麗句で飾り立てるな。(…中略…)曇りなき心を持ち、外からの助けを必要とせず、また他人の与える平安を必要とせぬように心がけよ。(人に)まっすぐに立たせられるのではなく、(自ら)まっすぐに立っているのでなくてはならない。


すごいなぁ,2千年近く前の皇帝陛下。。。
君(=自分自身)に対する言葉が これほど厳粛だからこそ 唯一の哲人為政者=五賢帝の最後のひとり として歴史に残っているんですね。

たまには見習いたいものだ。(毎回は絶対にムリ w)
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by bucmacoto | 2006-06-05 13:31 | quote/data
引用文 from ISBN4-622-00641-3
2006年 05月 25日
神谷美恵子の ひとりごと

書名:神谷美恵子 人と仕事 (ISBN4-622-00641-3)

p.86
 まん月に近い月の光がすべてのものの上になめらかに流れて、今朝あけがたに地球から初めてのロケットが到着したことなど知らぬげの静けさである。
 あわただしい開けくれの中から、ようやく少しの落ち着きを見出しつつあるような昨今、せめて子供たちの寝静まったあとのひとときでも部屋に一人座して、あれこれとひとりごとを記してみたいとあらためて思う。
(一九五九年九月十四日)



p.106
自己に対する態度をよく分析してみること
・自己とのたたかい。
・自己に対する虚栄心。
・許容、微笑。皮肉。すてばち。 ─── 「自分に対していやなんです。」
・神がそこにはいってくる場合。
 「自分はみられている、さらされている。」 神がないときは、だれかが神の代わりをつとめなくてはならない場合が多い。
(一九六一年二月四日)


目に見えぬものの心理学
 ひとたび生き甲斐を失った人には、単に同価値の代償が与えられても、それではやって行けない。なぜなら、それもまた失われることを彼はあまりにもよく知ってしまったからだ。世界の構造そのものが変わらなくてはならないのだ。

 あたたかいもの、しめったもの、それが生命を育むものだ。
 冷たいもの、鋭いメスのようなもの、それが生命を認識するものだ。

自己に対する態度のさまざま
感心して自己を眺める。
人に感心される自分を感心して眺める。
自分とたたかう。
自分に対してうそをつく、ふりをする。
自分に対する虚栄心。完全癖「一挙によくならなければいやだ。」自分に対してはずかしい。
低い自分を拒絶する。みとめようとしない。自己嫌悪。
自分を観照する。エステティッシュなものがグロテスクになるのをふせいでくれる。ほほえみをもって。皮肉をもって。許容──「こんなものだ」──
自分をすてばちな態度ですててしまう。
自分に対する残忍な態度。
神が入ってくるとき。
みられている、さらされている。
ありのままの自分を投げ出す、はだかのまま。
髪の命令のきこえてくるときは、自我は全く統一されてしまう。しかし、きこえぬときは、命令は記憶としていつもそこにある。また実体性意識として働きかけてくるときは、それに従わなければ人類が破滅してしまうという感じがおこる。
よろこびと意味感の関係。
感情の記憶について。古い情動ショックがいつまでも価値観、意味感を左右する?

 夜一時。ホワイトヘッドは人生の最高の価値は審美的なものだ、と言っている。そうかもしれぬとこの頃だんだん思うようになってきているのに気がつく。倫理感覚が審美眼に支えられているものであることに私は長い間気づかなかったし、読んでも理解できなかった。しかし、たしかにそうなのだ。これが欠ければ、どんな理想でもグロテスクになり、人間性のよきものを破壊してしまうのだ。
 たとえば不幸になるとわかっていても結婚せよとか、ナチスのユダヤ人絶滅策とか。
(三月九日)


著者略歴 + あるふぁ
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by bucmacoto | 2006-05-25 21:41 | quote/data