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タグ:夢想 ( 57 ) タグの人気記事
指輪物語って子供向けじゃないよね
2010年 05月 16日
指輪物語(指輪の王 : THE LORD OF THE RING)
ホビット ~ゆきてかえりし物語~(The Hottit ── There and Back Again)

両方を読み終えました。


本格的な読書から離れて久しいので、いくつか自分の拙さに気がつきました。

字形の区別があいまい
 悉(ことごと)く ⇔ 恙(つつが)なく

こう読むんだ~
 顎 : あぎと
 炬火 : かがりび
 目を瞠る : めをみはる

四字熟語
 奮励努力 < 耳にしたことなかった
 甲論乙駁 < argue for and against


トールキンの本の挿絵っていかにもイギリス的。きっちりさと繊細さとが前面にあるのに、絶妙なやわらかさをなくしてない。

John Ronald Reuel Tolkien. Hobbiton across the water - Google 検索

ついでに、1Q84(村上春樹)も
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by bucmacoto | 2010-05-16 15:39 | wave
ばくまこと予想
2010年 02月 02日
以下は、昨年師走に書いて正月に仕上げようとして、それっきり投げ出してあった投稿です。
どうも仕上がりそうにないので、Work List(途中経過)公開としておきます。
write from 2009.12/23
post at 2010.02/02



19世紀半ばの1859年には、c.ダーウィン著で 種の起源 が出版された。
その同じ年、数学の最難問のひとつ リーマン予想 が発表された。
※参考 1859年

実は、こんな番組が放映されていたらしい。

 Run King
a0004423_20375052.jpg


BSアンテナもない(そもそもTVをほとんど見ない)私なので、nhkオンデマンドで視聴した。
 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2009012141SC000/index.html
とても興味深かった。


数学上の難問として、浅学の私に思い浮かぶのは
ポアンカレ予想 - Wikipedia
フェルマーの大定理 - Wikipedia
くらいのもの。。。

けれどフリー百科事典に記されているだけでも、こんなにあるのですね。
 数学上の未解決問題 - Wikipedia


思い返せば、私は数学が好きだったのですけれど、さほど得意ではなかったように思います。
共通一時(当時、現在のセンター試験)は150点は超えたものの、165点に届いていなかった。
応用数学だって、3年ほど上の学年までは試験中の指数関数計算を級数展開で計算さしていたと聴かされていたものの、私たちの時代には試験で電卓使用可になっていた。
ちなみに私には、級数展開計算というような緻密な計算を遂行する能力がない。 三角関数の計算がたんまり出てくるフーリエ級数だって、虚数平面の考え方(複素数計算を単位円の形式で処理)を用いられるようになってやっと腑に落ちた(形式的な計算をこなせるようになった)という程度でした。

対数計算の手法で計算尺が操作できること、級数計算の手法を、あたかも小学生の九九計算のように、解を求める前提技能としていたこと。 それらのことは、電卓のないむかしだからにせよ、凄いものだと思います。
(ローマ兵に殺害されたアルキメデスとか、原論を書き上げたユークリッドとか、2千年前の知性でも、私には凄いとしか思えない。 近代(2百年前)の科学者が子供向けに書いたロウソクの科学ですら、畏敬しております。)



むかしも凄かったけど、今の電子計算機(スーパーコンピュータではなく日用品化したパソコン=電卓の発展形だと思ってもいい)も凄いものだ。
無限にあると予想されている双子素数のうち、2009年現在に知られているのが
65,516,468,355 × 2333,333 ± 1
なんていう10万355桁のものだというのを計算したのが、BOINC(旧 SETI@home の流れを汲む分散コンピューティング技術)上で動く PrimeGrid だというのも凄いものだって思うのだが。。。
(PCって私が高校卒業した頃に買えなかったHPの関数電卓の価格だよなぁ。。。今や)
 ※ Prime Number : 素数   Grid Computing : 分散コンピューティング


そういえば、この世界全体(宇宙全体)を巨大なシミュレータ・マシン(実験場)と考える見方は、古典的神話や説話、トンデモ似非科学(オカルト)や、ホラー文学(鈴木光司著 『リング』~『らせん』~『ループ』)、正統派SF(『フェッセンデンの宇宙』)など至るところで目にするもの。
宇宙全体のような巨大なものを、あるいは人智の未だ及ばないものを、人間のサイズに(または、よく知られているものに)置き換えて想像するというのは、神話であり哲学であり科学であるという気もいたします。
 宇宙は自然選択で進化する?



私の脳内で考えられることは、さほど論理的でもなければ耽美的にもなれない中途半端な夢想どまりなのですが、点描形式で書いてみたいと思います。
(前置き・・・長くて、本論が短いというクセはなおらんねぇ)

しゃれに過ぎないと思って。< 本気で考えたりしてはいけません ^^;
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by bucmacoto | 2010-02-02 22:25 |   retro/post
無使嗾主義者
2009年 07月 03日
異名同意義(対偶)な記事 > 不責ポリシー

比較ナントカの話を読む。 すると面白いことによく出くわす。

人間固有のものと思われていたものが、
 サルにも観察されたり
 霊長類に一般的だったり
 哺乳動物にありきたりだったり
 バクテリア(ばいきん君)にも同じ機能がみられたり
まったくもって視点の移動は、先入観と既成概念を覆すための風穴になると感じる。


サルには動物園のサル山に見られるように、個体密度の高まりと共に階層・階級を形成する。
いわゆる 「ボス猿」 を頂点としたヒエラルキー社会を形成する性質があるらしい。
(ボスに媚びる、上位のものの毛づくろい、同位の間で闘争、下位から搾取し時に与える)

サルにレバーを押す(仕事をする)と、餌を与えるという条件付けをする。 サルは餌を欲しさにレバーを押す。 獲得した餌を食べる。
ところが、すぐ隣で別な個体が、よりよい(よりごちそうな)餌を獲得したことを知ってしまうと、強烈に怒って餌を投げつけ激しく抗議するという。 これまでは喜んで食べていた餌が、もはや見向きもしたくなるくらいに無価値と感じさせる怒りを、不平等さという配分(これは社会を動かす燃料)に対して向けるらしい。

これ。 人間の本能なんて、サルの本能に毛が生えた程度のものだと、思った話ではあった ^^


このような怒りの矛先を向けられないように、とばっちりを受けないように、そういう意図で見せ掛けだけを繕うという戦略(嫉妬と好奇心から隠れる)は、よければ謙虚さとなるし、悪ければ虚勢となる。 < 話が飛躍気味かなぁ?

自分の認識と、相手の認識、ふたつが一致するなら仲間であるし協調できる相手とみなせる。
自分の認識に、相手の認識を合致"させる"方途として、強制・誘導(あるいは錯誤の利用)・説明・同一の体験、などがある。 共感しながら認識が一致してゆく過程は、育くみだろう。
自分の認識と相手の認識を”すれ違う”ように意図するのが、悪い意味での謙虚(見せ掛けの謙虚)さだろうし 虚勢(見せ掛けの威勢のよさ)というものだろう。


責める という行為を、迂回させて(直接ではなく間接効果を企図して)なされたのが、愚痴。
唆す(そそのかす)という行為は、エデンの園での蛇の振る舞いでもあるように、悪魔的な行為とされることが古来なされてきた。


使嗾(しそう/指嗾とも)という言葉を、昨夜知った > しそう 【指嗾/使嗾】


(意思を顧みない)強制も、(気付かせないこっそりとした)誘導も、(過剰が過ぎた)責めも嫌いなものであるが、この使嗾(しそう)も回避したいものだと思う。

それは、行うのも行われるのも、等しく嫌な気がする。


むかし ノンポリ という言葉を、ノン・ポリシー(無信条)の意味だと勘違いしていた。
(本当は、政治的無関心 = ノン・ポリティクス / nonpolitical の略)

無【しそう】主義者というものも、私には似合いそうで、意外と「あり」であるかと思った。
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by bucmacoto | 2009-07-03 00:48 | duality
夢見
2009年 06月 20日
一昨日に軽く腰を痛めた。 この時は「違和感がある」程度の痛み方だった。

昨日は激忙で、昼食が午後4時を跨いだ。 カツ丼を残してもらって嬉しかった。(5分昼食)
仕事を終えて気が抜けると、背部の違和感は体位次第で痛みと感じられる程度の強さになっていた。
百均店にて両面テーぷを購入。 戻りの上り坂では、痛い筋肉繊維を庇うように周囲の筋肉が強調してくれて、痛みを宥めつつ立ち漕ぎができる状態だった。
自室で風呂あがりにごろんと横になって、背筋を休めると・・起きるのがアイテテッっとなっていた。
ぎっくり腰寸前という状態だ。

本格ぎっくり(地方によっては かっくらせんけ だとか)は、コルセットなしでは何もできなくなるからもう金輪際ごめんこうむりたい > 2007.03/31 2007.04/20

背中に不安を背負っていたからだろう。 夢を見た。

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by bucmacoto | 2009-06-20 08:08 | wave
mild - moderate - severe
2009年 06月 16日
新型H1N1インフルエンザの WHO発行パンデミック警戒レベルが、11日付で6となった。

日本では重篤(シビア)な症例は出ていないものの、北米などに若年者の死者があることから、弱毒性という指摘があるにも関わらず、危険度は「中(モデラート)」と判断されたそうだ。 小さな危険度(軽度)のものはマイルドと称される。

  • mild マイルド (軽症)
  • moderate モデラート(中等度)
  • severe シビア (重症)


長文にてmore欄へ
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by bucmacoto | 2009-06-16 07:22 | particle
過去記事Followup
2009年 06月 07日
早老症についての過去記事 > 人には何かひとつでも平等なものがあるのか?

この記事を書いた当時(2005.10/15)、すでに BioBEAT - 子供たちの命を奪う早老症候群の遺伝子が同定された - Applied Biosystems JAPAN Ltd. ということだ。



人それぞれに、自分のブログ(my weblog)の位置づけはあるのだと思う。

私の場合は、自分の脳内エントロピーの過剰分を吐き出す(結果として脳内のごちゃごちゃ感は少しだけ軽くなる)という面がやや強い。 カテゴリ wave は、そのような溢れ出し成分が多く、実際の記事数でも最も多くなっている。(552題、次が247題の particle、125題の duality となる)

事実記事・確定記事・過去記事が、記事内容が変動しないという括りで particle になっている。

揺らぎと不変性の量子的二重性が伴うものが、duality というわけだが、残念ながらけっこう気分でこの分類自体が揺れている。 何かの機会で、自分のブログを読み返したりすると、それがよくわかる。

♪♪♪♪   ♪♪♪♪♪       ♪♪♪♪♪

波のピークに存在する成分 ~ 溢れ出した部分 ~ 変動したり脈動する要素

 そういうものと

波の底に存在する Cut-off 基準 ~ 基線(不変なbase-line) ~ 局所最適化された解

 その間にはさまれて

普遍的だったり、共通要素とみなせたり、両面性があったりするもの

 そんな要素で構成されているのがこのブログなんだろうと思う。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

うん。まあ。。あれだねぇ。。。


粒よりの記事を書き連ねることのできない人間の、不揃いな脳内meme(ミーム)を、いいわけしつつ並べてある。。。。そういう意味では、不揃い品記録というのが、当ブログの的確な特徴描出であるように思うのでありました。

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by bucmacoto | 2009-06-07 19:56 | particle
再審決定にて異例の釈放
2009年 06月 04日
wikipediaの該当記事には、削除提案が提出されている。 現在のところまだ閲覧可能。
(削除理由その他の経緯についてはノート記入もなく私には不明)
 足利事件

事件の経緯についてまとまった情報量となっているのは、たとえばこちら
 冤(えん)罪問題特集のコーナー足利事件



冤罪事件の報道を目にするたびに、私は情報【操作】にたいする自分自身の嫌悪感を再確認する。

情報は【処理】(コンパクトにまとめる・欠落部分を補完する・理解不適で誤解を含有するような情報を適切に整理する)するものであって、操作するものではない。

今回の決定は、08年2月13日の宇都宮地裁の再審請求棄却決定から一年余り。 抗告審となる東京高裁によって再鑑定命令(日本では裁判所命令としては初)、証拠能力の認定~再審決定に至った。 そして、再審開始前の釈放(これは高等検察庁の判断、異例)。 明確な物証(この場合は犯人ではないという有力証拠)に迅速に反応し適切に対応したものといえそうに思える。


 冤罪 - Wikipedia


一挙に絶対確実な正義(犯罪者を逃さず、濡れ衣を着せない)が実現することはないだろう。
そして、これからも冤罪事件は繰り返されるだろうし、天網をによる捕捉を免れる者も後を絶たないだろう。 残念ながら。

けれども、せめて、人の口に戸は立てられないけれど、自分の口くらいは慎んだ言葉を使えるようになりたいものだと思うのだ。

一次情報(つまり自分が直接に見聞きした事象)ですら、錯覚や誤解や思い違いが紛れ込むことがある。 ましてや、誰かからの伝聞・孫引き情報(この記事だって孫引き情報で組み立てられている)・風評や偏見や誇張表現、そういったものばかりで何かを確実に判断することへの畏れ(おそれ : 対極概念は粗末にする・侮る)を忘れない姿勢でありたい。 そう思う。 なかなか継続できないからこそ、何度でもそう思いたい。

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by bucmacoto | 2009-06-04 21:53 | particle
理系手段を文系社会に生かす
2009年 06月 03日
大切なのは義務を片付けることではない
責任を果たすことこそに切実な心配りがあるといえるのだ


昨夜は夢想系の文章を書いていたつもりだったが、ほとんど夢想になっていなかった。
なのでタグから夢想を外して、science に置き換えた。

念頭に浮かんでいながら、文章として明示していなかったものを、少しだけ書き置こう。

すこしだけ夢想すこしだけ嘆息
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by bucmacoto | 2009-06-03 08:13 | duality
冗長性(シンプルさ)/多様性(エントロピー)
2009年 05月 12日
馬から落馬した。 このような用法は間違いだとされている。
「馬から落ちる」ことが即ち「落馬」であるから重複になるというわけだ。

まぁ、「ラクダから落馬した」り、「牛から落馬した」りしたなら誤用であろうが、そうではないこのような いわば正しい重複ならばかまわないではないかと思っている。
微妙なのは、ラバ(雄ロバと牝馬の子)から落馬したような場合だが、「騾馬(ラバ)から落馬」ならば、間違いなく正しい日本語の用法になる気もする。

履物を履いたり、食事を食べたり、的の真ん中に的中したり、そのような用法は誤用とされていようとも強い印象を与える用法だ。

そしてこのような冗長性(シンプルな要素の反復)というものは、情報の伝達という面では堅牢性を示す。 外来ノイズのようなかく乱要因に多少侵入され乱されても、本来の情報を保ちやすいのだ。

シンプルさを失うこと、それは乱雑さ(エントロピー)の増大ということだろうか。
シャノンの定義したエントロピーは、情報量(単位はビット)を意味した。 このことを直感的に理解すると、情報圧縮が可能であるほど冗長性が高いといえるし、情報の圧縮が不可能であるような系(完全にランダムなノイズはそれ以上の圧縮が不可能)ほど多様性が増しているといえる。

シンプルさを残しながら、多様性を獲得するという、この相反要素を上手にまとめて存在することができる系統の代表はいわゆるフラクタルになるのだろう。 大きな塊と、小さな塊とが共存して、より高度(という言辞が嫌いなので メタ というほうが私はしっくり)な構造の要素になるわけだ。

日本の石造りの城壁は大小さまざまな大きさの岩石が組み合わされているから、強いのだという解説がある。 アモルファスと呼ばれる非晶性構造や(単一ユニットではなく複数ユニットが組み合わさった)準結晶の柔軟な強さも同様な強さである。

その一方、完全に均質(単調かつシンプル)である素材だって、非常に優れた性質を示すという。
純度が99.99999999%にも達するファインメタルやファインスチールは耐候性や耐腐食性能に優れ、非常に強靭な剛性を示すという。 純粋な炭素の金属結晶(?)がダイヤモンドであることは中学生の頃に学ぶ。

均一性というものは近代化の有力なツールだった。 帝国的で広汎な支配のよさは、工業化やグローバリゼーションでの、ばらつきの小ささ(粒よりさ)を普及させたことだと思う。 ISOやIEEEEのような規格化が世界の中で支配的な位置を占めることで、本当の意味で「普及」や「啓蒙」が成立するのだ。
 ※ かのイマヌエル・カントは、未成年状態(誰かの助けがなくては理性を行使できない)から脱却して、自らの理性を行使する勇気(これは権威によるお墨付きに頼るような精神の対極)を持て! という標語こそ啓蒙精神とした。 (らしい)


公平という言葉と、平等という言葉には、共通する要素と同時に両者を区別する使われ方もある。

身体が巨大で草食主義者の象と、それほどの体格ではないが肉食で食通なアリクイと、両者に同じエサを与えるようなことを公平だとか平等だとか呼ぶような気にはなれないのだが、人間社会で声高に叫ばれる それ には、そのような成分が紛れ込んではいないだろうか?

フェア(公正・公平)であろうとすることは大切だと思う。 卑怯なダーティさを排除できなくては、寄生体によって肥料も土壌も使い果たされてしまう。
しかしながら、不必要にイーブン(平等・同質)であることを求めることにも、本来の成長ののりしろを奪う・・・いわばスポイル・・・されることに繋がってゆくように思うのだ。(いわゆる悪平等)


フェアであること、それはシンプルさに支えられた概念だと思う。
権威や財力や縁故などの「本来の実力以外」の要素に拘(かか)わらずに人選や契約がなされるような、「頑固な単純さ」があってこそ公正といえるだろう。
 いわゆる 田舎的で封建的な社会の暗部を理性によって封じ込めて、成立する。

そしてフェアであり続ける限り、サイズの大小というものを問題としないのも、健全な理性のあり方だろう。
ライセンスという権威、金銭的な保証なども無用だとは思わないが、本当に有用で有益なのは、はりぼての外観(立派な包み紙や上げ底された容量)じゃあない 実質の品質なのだと思うし、その品質が悪化したり悪影響がない限りはその足を引っ張る理由など大抵が嫉妬でしかないのだろう。


社会を成立させ、発展させるには、健全な個人主義(良心の自由)も明快な組織主義(利益は個人が持ち出してはならない)も両方が欠かせないと思う。

シンプルさと多様性を共に保つには、杓子定規の善さと限界とを見極め、臨機応変さの制御と利用価値を調和させる、そんな両面対応とバランス取りとリズムのよさが求められる。。。そんな気がした。



あれれ・・・(?o?
たしか書き始めは、compare(同じであることを確かめる 対象の照合)とcontrast(違いが際立つ 対象の対比)について書こうとして、シンプルさと乱雑さって題にしたような気が・・・ ^^;
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by bucmacoto | 2009-05-12 00:11 | duality
極端な道
2009年 05月 05日
ティーンエイジ対象のジュブナイル小説に分類されるらしいが、筒井康隆の「わたしのグランパ」朗読CD(横浜CD文庫)を聴した。 二年ほど前にはやはりジュブナイル分野の「愛のひだりがわ」を読んでいる。

ハチャメチャさやスラップスティック風のどたばたギャグが売り(?)の彼の作品としては、非常に落ち着いて読める(今回は聴ける だなぁ)内容だった。 内容から極力刺激的な成分を除いて(私流に表現すると 高周波成分をマスクして)抑えた筆致で書かれている気がした。

描かれるムショ(刑務所)帰りのグランパは、いわゆるヤクザではないのだが、任侠心というものを抱いた存在として描かれている。


まぁ小説の中での話しであるし、ヤクザってやつがいわゆる日活や東映映画の題材だった頃であっても、現実の存在とはかなり違う内容として表現されているのはあたりまえなのだろう。


それでもなんとなく 「極道」 という言葉に対して、単純化したイメージが浮かんだので書き留めておこうと思う。


道を極めるとか、侠気に殉ずとか、あるいは狂気と凶器とを振り回すとか、そういうのではなくて


極道ってやつは死に場所を見つけたがっている


そういうものなんだって、思ったのだった。

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by bucmacoto | 2009-05-05 19:35 |   retro/post