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死を思う機会 (ガンダム感想文#3)
2009年 08月 30日
生老病死。 これは釈迦の説いた四苦である。 そしてこれは文化や文明が高度になるに従って、安易に扱ったり生々しすぎると禁忌(タブー)とされるようになっていく。 そんな気がしている。

生は、生命体の基本活動(生殖・代謝・自己管理)。 そうなのに、基本中のキホンである生殖行為は、あからさまにしてはいけないというのが文明国のしきたりだ。
老いは、生きとし生ける全てのものに訪れる。 病や事故で寿命を全うできない場合以外は、必ず直面する。 それなのに(だから と言うべきか?)、衰えること枯れ果てていく様子にはあからさまな視線を投げかけては失礼であると見做される。
病もまたしたり。
死に至っては、盛大な祭りとしてパフォーマンスで死の生々しさを中和することが文化的な葬儀であるとされる。 節回しの妙を披露するかのような読経も、現実性と論理性よりも心に落とし処をつくるだけという説法も、(パフォーマンスと思えば)なるほど腑に落ちる。


ごく身近な身の回りに、老いも死も病も隔離されて実感としてわからなくなってしまうというのは、若者の成育環境としてはどうかと思う。

死が身近にある状態は、戦場であり戦争であり疫病の蔓延した状態の場合だ。 もちろんそのような環境が望ましくはない(可能であれば根絶したい)ものであることは論を待たない。
しかしながら、「死」という現象を実感あるものとして捉えることができないで成長することにも、危うさと脆さとを感じてしまう。

人間の生死を軽んじすぎるのも考えものだが、荘厳さに覆い尽くされて実感が伴わないのもまた考えものである。


宗教の原初のかたちは、おとぎ話 ── 神話 ── であろう。 そう思っている。

アニメやSFというのは、原題のおとぎ話であるのかも知れない。

世界のしくみやありようを、わかりやすい物語にして子供たちの心に伝えてゆく。

そういう意味で、宗教と同じ効果を担う面がアニメやSFにはありそうな気もしている。
(星新一氏の文学作品などは、大人の視点で見てもなるほどと思わせる視点がしっかりと埋め込まれていたりするようだ。)


今回は、ガンダム00 セカンドシーズン6話(ファーストシーズンからの通産で21話)の 「傷痕」 での死に際してなされた呟きから引用しよう。
 このガンダム00シリーズの脚本は 黒田洋介 氏です。
 著作権は 毎日放送 / Sunrise にあります。

かのために生まれ、かのために死す。
それを運命というなら、あがらう事かなわず。
見えない道を旅し、行き着く先にあるものは、
命の終焉。
それこそが、神の導き。。。


かつて「ふしぎの海のナディア」 での埋葬シーンを取り上げた > 北の夢想科学小説 : 『Peach Boy Episode2』 の 没ネタバレ

アニメというつくりものの物語の中でのことだけれど、信頼し身近にいてくれているという安心感を実感できる人が死んだときの悲しみは、こういった物語の中でシミュレートされなければ共感や同情にはつながらないように思う。(軽薄な錯覚でわかった気になる てのを覗く)



このガンダム00での登場人物は、心に傷(トラウマ)を有して生きている。

 神に忠実であろうとするために、聖戦に参加するために、実の両親を殺害したせ者。
 (テロリストとしての殉教精神を洗脳的に植えつけられた)

 テロに巻き込まれて両親を失った者。

 戦争の武器として生み出されたデザインベイビー。

 人類を導く存在として人為的に生み出された偽の新人類。

 優秀さのあまり、誤情報による同士討ちで仲間を大量死に導いた者。


実際の歴史を見ると、凄惨な戦いの果てに、同士討ちをしたり仲間を食べたりした史実すら存在するという。
歴史に学ぶことは必要だけれど、歴史を押し付けたり押し着せることには慎重でなくてはならないと思っている。 なぜなら、何が事実で、何が憶測で、何が捏造(妄想)であるのかが、戦争という極限状況の中では見分けられなくなるためだ。 デマが事実に成り代わってしまうことすらあるのだ。
(意図的なものもあれば、偶発的なものもあるにせよ。だ)


複雑で難解なこともある現実の世界を、わかりやすくも実感を伴って展開されているのがよいおとぎ話というものであるなら、この作品はまさしくそういったもののひとつだと思った。
(かなり絶賛したい)


作中で、「直感(本能・反射)と思考との調和」というくだりがある。 < 脳量子波使いのせりふ

思考によって本能を抑圧すること。 それだけが理性という考えには私は同意しないから、そのくだりに込められた思想には共感できる。
互いに独立しながら、互いを認め合う。 波と粒子と両方の性質を保ちながら、互いの性質が決して消えないのが量子(quantum)の振るまいだ。

人間は二面性をもっていたり、二重性をもっていることが普通な存在だけれど、常に矛盾を抱えて生きているものだけれど。。。 それでも相手を自分の映し鏡にして自らを反省したり、自分の中の他人の声を心の糧にしながら迷いに折り合いをつけることができる。

生を考えるに、死を想う。
そして、死の実感を 老いの恐怖を 病の苦痛を抱えながら、今を生きて明日を創る。
そういうテーマがよく練りこまれていることに感心したのでした。



そういえば,このストーリーの主人公 刹那(せつな)の名前に、「せつない = 心に抱くしんみり感 = 慈悲」という連想を禁じえなかった。
もうひとり、沙慈という少年(副主人公?)も、自分が漏らした情報で人々が虐殺されたという罪の意識によって逃避的で傍観的なキャラクターを脱して成長してゆくように描かれている。

空腹は最大のごちそう(*) という面はあるにせよ、その手法をあからさまに利用するような教育手法には絶対に反対したい私です。
(それでは、家畜の飼い慣らし=躾 や 洗脳 と同じやり方にすぎない。)
(*) あるお金持ちがいた。
この世の山海珍味をあらかた食い尽くし、何を食べてもうまいと思えなくなっていた。
そんなときとびきり美味い精進料理を食べられる寺院の話を耳にした。
そのお金持ちはその寺へ出向いたが、住職は金を積まれてもその食事を出すことは出来ないと言う。

「それではどうしたら・・?」

住職の言うには、寺の坊主たちと同じ修行をした者にだけ精進料理を与えることが出来るのだということだった。
そのお金持ちは早速寺に泊まり込み、日の出前に起床し、寺の門前を掃き、本堂の床を拭き清め、兄弟子や住職たちの食事をつくり、全てのお勤めが終わって兄弟子たちがみんな食事を終えて後片付けをすっかり済ませてからやっと念願の精進料理にありついた。

小さな茶碗にほんの少し残った米を湯で増やした雑炊と、梅干と昆布の佃煮とひと握りの豆粒。

その粗末な食を喉に流し入れながら、金持ちは涙を流して感動した。

「こんな美味いものが、この世にあったのか。。。」


空腹は最大のごちそう(おかず)。。。ではあるけれど、それをあまりに振りかざす考え方には同意できないのが私の考えである。

感謝を知るために、罪を押し付けたりするやり方はどこか歪んでいるようにも思えるからだ。

しかし、悲しみや憎しみに身を焼かれるような痛さと焼きつきを感じたことで、他人の痛みや苦しみを本当にわかるという面も確かにある。


そして、それは ── そのような苦しみや悲しみは ── 押し付けてはならない、押し着せてはいけない、けれどもそれを奪い去ってもならない。
そういうものが、愛と憎しみと悲しみと慈しみの陰には、あるのだと想う。

 抱えた荷は、時にはおろして休むことも必要。 < 聖書にこんなのあったな

 傷ついたなら、避難する場所だって要る。 < サンガ(仏教教団の梵語)本来の意味は待避所

抱え込んだ気持ち、それを愛とも呼び、執着とも呼ぶ。
それを奪ったり押し付けるのではなく、そっと相手に任せてあげるられる。
それを自然に出来るようになること。。。

そういうものを私は成長と呼びたい。
死を迎えたときに、こころ静かに受け入れられたなら、それを私は「神の御許へ行く」「成仏」なんて呼んでもいいと想うのだ。

こぼれ話 ~ かの
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by bucmacoto | 2009-08-30 21:39 | duality
情報処理と情報操作と情報抽出
2009年 08月 22日
タイトルだけはものものしい。。。 まるで「情報三権」とでも銘打つ勢いだ 。(笑

先日のガンダム00の感想!として書きたかったのに結局書き忘れたテーマは、こういうものだった。
  • 情報操作
  • 洗脳
  • 虚飾(どうであるかよりどう見えるか)


情報というのは、脳内モデル(脳に投影された現実の写し絵)だと思っている。
言葉というのは、脳内の対象物を仲間わけしたり構造化するためのシンボルと思っている。
そして多くの若者は、現実を感じ取ることよりも、言葉から感性で読み取るほうが得手である。


一般論としてこの性質ってあるようだ > 疑念
(このサイトは既に休止しています)


ガンダム00(ファーストシーズン)の冒頭、ノイズ交じりの通信機から機関銃のパラパラ音にオーバーラップしながら、少年兵へと延々と語られる言葉。。

この戦いは、神の御前に捧げられる 聖戦である。
伝統を軽んじ、神の土地を荒らす不信仰者どもに、
われわれは鉄槌を下すのだ。
不信仰者どもに屈服してはならない。

我々は戦いに死すことによって、
神の御許へ、
導かれるだろう。

(以下、永遠に繰り返し・・・)


若者の脳というのは非常に合理的だ。
曖昧なものよりも、シンプルで明確なものに心引かれ、自分の心の中に信じることで力を発揮する。
先日の懐メロ それが大事 の歌詞でも「信ずること」原点なのは同じだという。
  歌詞の「それ」とは何を指すのか


情報を扱うに、
  • 処理 : process
  • 操作 : control = local feedback
  • 抽出 : query, links
という3分割の視点から考える。

情報処理には、「意図」はない。 つまり、定式的で決まりきった伝達経路に従うだけのシーケンシャルな制御だ。 ノイズ混入のようなケースで再送を求めるような誤り訂正の制御はあっても、その先どうなるかとは決して考えない。 社会的な役割なら官僚的な経路である。

一方、情報操作では、情報断片の挿入・置換・欠落(隠蔽)を駆使して、信じ込ませる ことを目的に行われる。 不信感を植え付けるようなネガティブキャンペーンも、【悪者】というラベルを信じ込ませることなので、操作の一形式といえる。

情報の抽出は、断片的な情報間にどのような関係性があるかをリンクとリストで構造化してゆくことで、いわば情報全体の森を鳥瞰することに相当する。 全体像が情報の断片から歪みのない形で立ち現れることが自然な処理過程であり理想である。 しかし、(情報操作のない環境経路でも)時に誤った説が支配的になることもある(というかほとんどそのようなケースが多い)ことは忘れてはならない。 地球が平面で、天動説に従って天体が運動すると千年も信じ込まれたことは象徴的な歴史だ。


さて、若者ほど洗脳が効果的だし、応答感度も良好なことは論を待たない。(と 思う・・つか、そゆことにして深くは考えない w)

教育と洗脳と、本質的にどこが違うのか というテーマは既にどっかで書いたから棚上げするとして、結論だけ抽出するなら 「自発性(エマヌエル・カントのいう内なる道徳律)」を由とするのが教育で、自主的思考を(恐怖や自信を奪うことで)停止させるのが洗脳だろう。

あなたは、情報操作に鈍い応答をできますか?
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by bucmacoto | 2009-08-22 02:13 | duality
機動戦士ガンダム00 (感想文)
2009年 08月 15日
私は宇宙船艦ヤマト世代であって、ガンダム世代ではない。(当然、エヴァンゲリオンはわからない)

小学校時代には、はだしのゲン の描画に衝撃を受け、同級生には『丸』読者で日本海軍ヲタクがいた。
そういう世代だから、ついつい『ヤマトっぽいぞ・・・波動エンジンに似てるな』『のうりょうしはって「テラ(地球)へ」の思念波みたいなものか』などと考えてしまっていた。

左右の脳半球を連絡する 交連繊維の中で、最大のものを脳梁(のうりょう)という。
これを切断する手術によって、人格の分離(2重人格)が表出することが知られている。
なので,のうりょうしは = 脳梁思波 なのかと思っていたら、どうやら 脳量子波 の語であるという。

機動戦士ガンダム00

量子という概念は20世紀になろうとするときに生み出された
量子

プランク定数や、プランク時間など、それ以上は分解できない性質の物理量だ。
(その意味では、古典的な意味での原子 = それ以上は分解できない粒子 と似る)
[J・s](エネルギー×時間)の次元(ディメンション)をもつ。
(ジョセフイン接合とかにもでてきたような気がするが・・・ネットではヒットしない)

量子には粒子の性質があり、ひとつふたつといった整数値でしか存在しない。
その反面、波動の性質もあり、重ね合わせた成分は(影響を受けないで)独立性を保ちながら重ね合わせることもできる性質がある。
そして整数での存在でありながら、確率的な存在でもある。 陽子1個だけの水素原子の周囲には電子1個が対となって存在するが、この電子は「いま ここ(にある)」といった存在ではない。 奇妙にも思えるが、「この辺りに存在する確率が0.5」「こちらに存在する確率 0.25」「こちらには 0.125」・・・といった雲を掴むような存在でしかない。 したがってこの確率的な電子の運動軌道を 電子雲(electron cloud)と呼ぶのである。 たしか そうだった(気がする) ^^;

人間の部品を寄せ集めて生命を創造しようとした失敗作がフランケンシュタインのお話だった。
部品から人間を組み上げることはできなくても、スパッと切断してしまった指や腕を再接合し神経と腱を再建し再び動かせるようにするくらいまでは現代医学でも可能となっている。
ミミズは引きちぎっても生きてゆけるし、五芒星形をしたヒトデは切断された腕を再生できる(そればかりか腕のほうから本体再生することもある)。
そして人間の脳は左右を分離すると個別の人格が表出する。

切り刻むと本来の性質を失うものといえば、電気分解され水素(H2)と酸素(O2)になってしまった水(H2O)の例が思い浮かぶ。 そうなってしまってはもはや水とはいえなくなる。
一方 どんなに小さい欠片になろうと H2O の水分子を保っている限り、その小さなちっちゃなひとカケラは水だといえる。 (気相なら水蒸気 結晶なら雪とか氷 と呼ばれ方は変わるかもしれないが、水であることは変わらない)

とはいえ、例えば生石灰(石膏)に付着し取り込まれてしまった水分子は、水分子であるけれどもはや炭酸カルシウムと結合してしまったということもできる。 焼きあげて水蒸気とならない限り、決して離れることはできなくなっている。 このような水分子を結合水という。 雑巾を絞ればしたたるような浸み込んでいるだけの水は自由水であり細菌などは自由水がないと繁殖できない。 この原理で、乾物やエジプトのピラミッドに安置されたミイラは、腐敗から守られているわけだ。

ガンダムダブルオーに出演(?)する量子コンピュータは、ヴェーダと名づけられている。
古代インドのサンスクリット語(梵語)で 知識 を意味する。< ギリシャ語のソフィアに相当
梵字では वेद と書くのだという。

R.ハイラインのSF「2001年宇宙の旅」に出てくるマザーコンピュータは HAL と名付けられていた。 IBM(International business Machine)のアルファベットより一文字先んじた文字が選ばれたという話は有名(本当かどうかは知らない)
手塚治虫のマンガ「火の鳥 未来編」の地価都市メガロポリス・ヤマトに君臨する電子頭脳の名は、ハレルヤでした。 ユーラシア大陸に存在するメガロポリス・レングードの電子頭脳と言い(?)争ってヒステリックに戦争をおっぱじめるコンピュータでしたね。

00タイプのガンダムマイスター(ガンダムの操縦パイロット)に アレルヤ・アプティズムという脳量子波使いがいる。 セカンドシーズン4話冒頭でアレルヤ(allelujah)は生きていることへの感謝のことばというくだりがある。 現実の言葉ではハレルヤ(hallelujah)こそ感謝と祝福であり賛美の言葉なのだが、彼にその名前が表出 ── 彼は二重人格を有し 片やアレルヤ 片やハレルヤ ── している時には、自分が生き残るために仲間を撃ち殺した人格となっている。
odd eye (右目は金 左目は茶)であり、攻撃的で生への執着が強く本能(反射)全開のパフォーマンスを見せるハレルヤの状態は、躁病の様相。 一方、通常時のアレルヤの状態では、内向的で内省的、反射よりも思考的・思索的な態度に終始する。 その様子は鬱病にも見える。
しかも、二重人格なのだから 統合失調症(Schizoid 分裂病)の様相も示している。

 YouTube - GUNDAM 00 Tribute to Allelujah Haptism

 以前もodd eye で書いた気がしていたら、あった > 2008.11/03 の記事

金色の瞳は脳量子波が使える状態というのが、この作品のシンボリックな表現形式だ。 (テレパシーの様に意思疎通ができ、憑依して相手を制御でき、第六感=つまりは勘=が研ぎ澄まされており、いわゆる 新人類・ニュータイプ・人類進化形 を象徴している感じだ)


テレパシーは古典的にもSF系アニメで多用されるアイテムだ。
私は以前、思念波というものに、重力波を関連付けたアイデアにはまったことがある。
恒星が超新星爆発する際に発生する(という説がある)重力波と、思考伝達の伝送波である思念波とが同一の物理プロセスで伝播するというアイデアだった。 自然界のよっつの力(グルーオンや核力のような強い力、原子崩壊で作用するような弱い力、電磁気力、重力)のうちで最も粒子性が薄く検出困難で場(フィールド)を伝播する。 そんなアイデアだった。


量子には、面白い性質がある。
1個 2個 3個・・・のように整数でしか数えられない粒子としての性質があるにも関わらず、強さが半分になったり重ね合わせたりできる波としての性質も併せ持っていることだ。
wave - particle duality (波動性と粒子性との二重性)とはよく言ったものだ。
整数(より厳密には自然数)でカウントするしかない「粒」であるのに、陰へ回り込んだり複数経路を通った証拠の「干渉(波の位相で強め合ったり、打ち消しあったり)」もする。

重ね合わせという性質は、確率という考え方と相性がよい。
回り込みや干渉の性質は、位相という概念で捉えると都合がよい。
ノイマン型コンピュータで使われる情報量の単位は、bit(ビット on/offの二値表現)で表される。
一方、確率と位相とを併せ持った量子型情報量の単位はキュービット(量子ビット:複数の信号状態の重ね合わせ ベクトルや虚数平面のモデルで値は表現)が最小情報単位として使われる。
端的に表現するなら、次のようなイメージだ。
これまでのbitでは「北か南」という二極でしか情報を表現できなかい
量子ビット(quantum bit または qubit あるいは cubit)は「北緯xx度 東経yy度」のような中間的な情報量をとることができる。
北極が1(on)で 南極が0(off) この二点でしか表現していない情報を、北緯0度(赤道上だから1となる確率と0となる確率とが等しい点)東経135度(時間位相で9/24[時間]だけ進んでいる)という感じで表現できるわけだ(たぶん)
bitには位相がないけれど(まぁ北極点や南極点は終日同じ高さに太陽があるからなぁ)、量子bitには位相を認めるほうが自然な感じがする。


量子コンピューティングは、まだ実機が存在せず、チューリング・マシンやノイマン型コンピュータを本当に超越した計算能力を発揮できるのかは未確認。 それでありながら・・・

・・んっと、いや・・・よくワカランことへのコメントはやめとこう ^^;



時折、相手に存在する矛盾を明確にしようとして、この手の二重性を指摘しているだけのことがある。

   社会のルール(軍紀や遵法精神) と 個人の思い(家族や愛するものへの一途さ)

   行動制御の弱さ(罪の意識の弱さ) と 社会認識の強さ(便宜要求の強さ)

これらは互いに相反する関係なのではなく、相補的なものでもなく、独立して存在する二重性として認めなくては脳内でこんがらかる(もつれる)か衝突する。


もしかしたら、逆相関(つまり 70%の的中率を誇る天気予測より 10%しか当たらない天気予測の方が「確実」だということ)であることと、独立であることは脳の中で混同されているのかも知れないと思う。
相関性(直列に結びついた因果関係+平行して位相が揃う相関関係)と独立性(互いに素知らぬ無関係という関係)とが 「相反して相補的な」ものであるのを、必ず回避・反転させてなくてはならないという思い込み。。。 そういうものを廃絶することが、理性の力であり、本能への道標となる志(こころざし = 変わらない信念)なのだろう。


   認めること と 否定すること

   戦うこと と 戦いを根絶すること


どちらか二者択一にしか答えがないのじゃなくて、どちらも亡くさない(一度は諦めても再び拾い上げに立ち戻る)態度にこそ、第3の道とか 真の進化とか あるような気がする。


中学生の頃には、アカ(共産主義思想かぶれ)傾向だったから、靖国参拝を(侵略行為の既往ある国の)公職者がしては「ならない」という意見だった。

今の私は、公人たる本人の意思 で行えばよいのだと思う。

見せかけと偽りの言葉と行動を重ねるよりは、率直に真意を示せばそれでいい。
(私個人の趣味 = 靖国参拝で侵略戦争の犠牲となった、中国~朝鮮半島~東南アジアの人々、そして侵略的戦争遂行を強制された日本人への哀悼。 そうした思いでありたいとは思う)

気になった・初めて知ったキーワード集
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by bucmacoto | 2009-08-15 21:44 | duality
根付くもの
2008年 11月 03日
私はガンダム世代ではない。
ほんの少しだけ年下だと、もろに1stガンダム世代なのだが、当時の私はテレビのない学生生活だったしなにより放映圏外の県であった。 友人の部屋でサザンは見られても、ガンダムのことは知らなかったのだ。

いまさらながら、ガンダム00(ダブルオー)のネット放映を見ている。

脳に改造を受けたアレルヤ(同体内のもうひとつの人格=ハレルヤは消失)の瞳は、左右の色が異なっていることに気付く。

白猫に多いと言われるが、犬などの他の動物にもある色素発現の左右差らしい。
「Odd-eyed」 Flickr: Search
 ※ Oddは、奇数とか不揃いの意味。 対語は Even(偶数や対称の意味)。

子供と一緒に、ぼのぼのカードキャプターさくらなどのアニメは見ていたものの、年長系のアニメ作品は(スタジオ・ジブリの劇場公開作品群を除くと)宇宙戦艦ヤマト以来の全作視聴を gundum 00 で目指しているのである。
子供の頃に、あるいは思春期や青春期に受けた深い情動っていうのは、かなり後年まで影響を残すのだと思う。



半日休みだった土曜日に、巡回先のコメント欄(ここ)で【発明の名称】若い男性の人格形成の方法」なるものを見つけた。

特許となるかどうかは論外であるが、仁侠映画 や アニメ や イデオロギー や 宗教 などといった「文化活動」が、精神の成熟・・・ひいては人格形成に大きく影響することは論を待たない。
 ※ 体育活動(運動会)以外のインドアないしはエクステリア(庭先)の活動を文化活動と定義する。
  文化祭で行われるような活動なら、お化け屋敷 も 模擬店 も文化活動とする。


オカルト(超常現象・超能力)や 神話(おとぎ話)のような、「身の回りでは遭遇しないが、もしかしたら・・・と信じ込むとわくわくする話」というやつは、毒にもなるしクスリにもなるだろう。
そして、わくわくするような「ありえない話」を真に受ける感性というものは、他人を理解したり異文化を受け入れる場合には、欠かせない素養でもある。
 ※ 自分を相手に置き換えて(つまり共感して)、多くの理解は成立する。

かつての子供たちは、おままごと(お人形さんごっこ)で母性や商取引をシミュレートし、チャンバラやピストルのおもちゃで戦闘や策略を知り、卑怯なことをやられた悔しさと 自分がそれをやった後に来るむなしさを感じ取った。
現代ならさしずめゲームでの対戦や、サークルやチームを通じて合従連携してのミニイベントがそういった模擬体験の場になるのだろうか。


人生はゲームに過ぎない とまで言い切られると反発を感じるが、多くの若者が世情から感じ取っているように、「ゲーム性」を保持しているのが人生の一断面ではある。
 ※ 株や投機や融資には マネーゲームの様相があり、商活動に伴う宣伝には情報操作ごっこの様相が見え隠れし、ボランティアや布教活動であろうと評価を得るために行うようになっている場合もある。


ゲームと言う用語は広範な概念(お遊びの意味から、ゲーム理論など現実モデルを扱う哲学的示唆に至るまで)を含むが、ここでは、「勝ちか負け」ないしは「損か得か」の結果を目指す場合にそれをゲームと定義している。

教育とか修養とか自己鍛錬とかの視点から眺め見ると、試合の勝ち負けも競技の勝敗も受験の合否も、単なるゲームの結果とみなすことができる。
 文から誤解されやすいものと思うので同じ意味を別な表現で繰り返すと、
ゲームの結果は単なる結果であって目的ではない。 自分に "何が残り最後まで根付いたか" ということが(教育や自己能力向上の意味では)目的に相当する。


スポーツを通じ、体力や気力を養った経験は多くの人があると思う。
一方で、文化を通じて、生活技術や気持ちの持ち方を体得した経験者も多いだろう。

文化活動は、どれだけ根付くか ということが重要視されるものだと言う気がする。

例えばその活動で受賞を重ねても、それが審査員を買収した結果だったり、薬物ドーピングや盗作の結果だったとしたら、それは かすめ盗ったものに過ぎない。 根付いた結果ではもちろんない。


横道に話が逸れた。 現代のアニメの話だった。

アニメの中でよく取り上げられる題材に、超能力・超常現象・壮大さといったものがある。
これは、神話・おとぎ話で語られる手法そのものである。
 主人公は窮地に陥りながら苦しみと悲しみを乗り越える。
 あらゆる奇跡がそこでは具現し、特別な力と特別な運命とが物語を織り成してゆく。
 デフォルメされた特別なできごとを通じて、普通の大切なことを理解してゆく。
 ※ 訓話的になりすぎないくらい抑えた方が、子供はよく記憶にとどめる(興味深い)

子供たちは「たからものを発見する」名人であり、その才能によって物語の中からいろんなたからものを見つけてくる。 教えられた宝物よりも、自分で見つけた宝物のほうに愛着を持つのは自然だろう。 それが、自分を励まし続けるようなものである限り。


・・・だからって、フィギュアに全身全霊を込めて、子孫も残さず職業を通じた社会参加もあまりせずっていうのも。。。まぁ、道楽程度で周囲を巻き込まない範囲ならアリでしょうか。
こういうのはちょっと困るけど ^^; > 人形の投棄で殺人事件騒動


文化といいえるかどうか微妙なものに、コレクションがある。
もちろん国家や財団が蒐集する美術品などは立派な文化活動なのだろうが、コイン(硬貨)や切手を蒐集しまくりその値上がり益を狙うとなると、これは趣味なのか投機なのか曖昧だ。 そして市場参加者が多くなりすぎると値上がりしなくなる(物価上昇分だけ事実上目減りする)という現象も、現実世界の投機行動と同じようなゲーム性に支えられていることを示している。

そして本当に(ゲーム性の要素以外で)楽しんだり打ち込んでいる限り、それは自分の中に根付く可能性があるのだと思う。


高校の頃に再放送されていた「宇宙戦艦ヤマト」シリーズを、父の友人の電器店主から借りたビデオで全録画し、さらにそれを高校の視聴覚教室のVTRでダビング編集していた私のかつての活動は、文化活動と呼べるかどうかは(そして何かしら根付いたものかは)甚だ疑問ではあるのだがなぁ。。。(苦笑)

途中まで見たアニメ
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by bucmacoto | 2008-11-03 21:38 | wave
『Peach Boy Episode2』 の 没ネタバレ
2007年 07月 10日
サドン・デスを迎えた後も72時間ルール抵触しつつ続いていた、帰ってきたTBリレー小説 『Peach Boy Episode2』 ですが無事に(?)サドン・デスを迎えたようです。
 胴元のバントさんはお忙しいようですし、この小説(もどきかしら?)に投稿した回数も一番多いのが私みたいですので、その後始末をのんびりやってみようかと思います。 (39話と40話に 「進めちゃってください」 「ちゃんと完結するなら進めてオッケーですYO!」 のコメントが寄せられていることですし。。)

 全話の総元締めはこちら ⇒ http://earll73.exblog.jp/5344230
 途中までのまとめはこちら ⇒ 帰ってきたTBリレー小説 『Peach Boy Episode2』 第23.5話―分かりたいあなたのためのまとめ。


 このお話に盛り込もうとして果たせなかったネタを、書いてみましょう。

 GyaOという無料ネットTVで NHKで放送された 「ふしぎの海のナディア」 というのを再放送しています。 (私が見た時は、1~20話が公開中でした。 現在は11~20話が公開中 8/1正午まで)
http://www.gyao.jp/anime/nadia/

 このアニメは私の長男が生まれる少し前にやっていたもので、全く見覚えがなかったものです。 名前くらいは記憶の隅に残っていそうなものですが、なぜかまったく知りませんでした。
 ふしぎの海のナディア - Wikipedia

 この第16話の後半に、埋葬シーンがありそこでの1分間の詞唱がとても印象的でした。
 (以下の著作権は:NHK および ガイナックス:にあります)
闇の中にこそ 花を見よ
其は生きる喜び 花こそは生きる力なり
 
また闇を惧れよ 眼を閉じて闇を想え
闇は不安の王 闇こそは死の王国
光の中にも闇を忘れず 闇の中にも花を忘れず
その無慈悲な 無感覚を忘れず
 
汝の心に闇を見よ 闇を惧れよ 眼を閉じて闇を想え
人は永遠の破られることなき安らぎなり
 
空の大地へ還るその日まで
今日この時より 我は闇の住人
すなわち汝らひとりひとりの
心の中にこそ花を捧げ 安らぎを求めん★letter-spacing を入れると、IE6は空改行が削除され行がつまった... でダミー空白文字設定★


この詩が印象的で、インスピレーションを感じて、次のようなモチーフで書こうと考えたのです。

 Gの星 = 神(God)の星 +ガミラス星(イスカンダルの双子星) + 鬼たちの故郷

 鬼 という言葉は英訳するとどうやら Devil とか Daemon という言葉になるらしいので、ヒトでない+神とも似る という線で、死の国(冥府)を守護する異世界の存在として書いてみようと思ったのでした。
 鬼神ともいえる風神・雷神(天の鬼),土中に潜み日を避ける鬼(ドラキュラ) という 上下(天地)の軸に加えて、人の皮を被った鬼と、鬼の目に涙が浮かぶとヒトになるという設定で。
 一寸法師は鬼に食われても食われても目からでてきたとも伝えられておりますし、内側から鬼をこらしめ目から涙を流させる存在として、すもも太郎と同一視するようにと考えたのです。

 ついでに、受粉作業を行ったのがデスラー似のおじいさん。。 すなわち精子を 桃や李に与えたというわけですね。
 これを書くまで知らなかったのですが、李は梅や桜や桃といった、バラ科サクラ属の異家受粉で実をつけられる植物だったので、いかにもどのような展開にも持って行けると踏んだのでした。
 もひとつついでに、桃と李の父親役でありながらこのふたり(二果か?)の前に立ちはだかる鬼のような父といえば、いかにもGの星(一徹)にふさわしいかと。。。(ぉぃ)

 おばあさん(さくら)の双子の妹は ウメという設定にしたのは、鬼に囚われの実(身?)となって、鬼に 「うめ」 と命ぜられると、金の卵を産むニワトリに。。。(ぼけすぎ!)
 まぁ最初は 銀の川=銀河とマゼラン星雲を結ぶマゼラニックストーム(水素原子流) と対比させる、なにか金のものを・・・という安直な発想でした。

 ほかにも小物なおもいつきはあったのでしたが、いかんせん筆力と展開についてゆけずに。。。 や、これは私がかき回したと言う見方もできるのですが(笑)。


先ほどの詩の朗読シーンの音声を、下に貼りつけてみます。
音量は大きめなファイルなのでスピーカー音量にはご注意ください。
 放送からのクリップ(サウンドレコーダー録音)ですから、当然ながら原著作権は NHK および ダイナックスにあります。 ソース解読しての二次的転載はできません。(私の録音公開自体が、著作権法上の「個人的利用」範囲を逸脱気味でありますので。。。)
 ※ クレームが生じた場合 この記事は 削除 とします。

 なお、適切なPlug-inがなければ再生されません。 またこのファイルはサウンドレコーダで作っただけのmp3ファイル(なぜか拡張子が wav だったのを手作業で mp3に変える羽目になった)ですので、PCが壊れても保障はいたしません ^^;

朗読音声再生(アニメ 『ふしぎの海のナディア』より)
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by bucmacoto | 2007-07-10 00:24 |   illusion rhapsody