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モンスター度の基準
2010年 09月 13日
定性的という言葉と、定量的という言葉がある。

定性的には、大きいか小さいか、重いか軽いか、割り切れるか割り切れないか、仮数か実数か、
などなどのことが、わかりきっている場合でも、定量化するとなるとかなり厄介な場合がある。

長さ・重さ・かさ(退席)なんかは、足したり倍したり半分にしたりという操作で一貫性ある比較が可能だけれど、態度や状態の評価っていうことになるとクリアにさくさく切り分けて捌(さば)くわけにはいかないからだ。

・・・そういえば1980年代の終わりに、セコさの単位=カラシ(納豆に付属するカラシを捨てずに冷蔵庫に蓄えるのを1単位のせこさとみなす)、気まずさの単位=ピっツァ(皆で食べていて最後の一切れだけピザが余った気まずさを1単位)なんていうのがあった。

モンスター(化けもの)という表現は最近のものだけれど、昔からいわゆるインネンをつける=ヤクザまがいってのはあった。
そういうヤクザ度・モンスター度みたいな尺度はあってもよかったのかもしれない。


マジコンでポケモン大会に出場しようとした親子! ブチギレして警察沙汰に – ロケットニュース24(β)


自分に対する基準と、他人に対する基準とが異なることを、ダブルスタンダードとか二枚舌とか自己中心的とかエゴイズムとかいうわけなんだけど、この手の精神構造ってのは差別感情とか選民意識とかととっても相関しそうにも思えたりした。
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by bucmacoto | 2010-09-13 23:37 | quote/data
思いつき話
2010年 08月 14日
先週、キャンプ先からの帰り道、助手席に座る息子にたずねてみた。
(この会話の伏線として、自己中心な主張をする人が、相手の非は声高に非難し、自分の非の遠因を他人や相手の行動に求めるものだという共通認識があった)

「若い頃の平等主義者が、やがて自己優先的になってゆき、終いには自己中心的になるっていうのはどうしてだと思う?」

息子はちょっと考えて
「あぁ、若い頃に年配の人に尽くした分を、年取った頃には自分も同じにしてもうらおうっていうの・・・」

私は遮ってこう続けた。
「言いたいことはわかるけど、これはそういう面をいったんじゃないんだ。
 言いたかったのは、こういうこと。
 平等主義者ってのは、自分がされたくないことを相手にやらない。自分がされたいと望むことは相手にもしてあげる。そういう心理で成り立っていやすいよね?
 ところが、価値観も違うし、ありがた迷惑だってある。それに人にやられたひどい仕打ちは何倍にも痛みを感じるし、人にやってもらった恩はいつのまにか感謝の念も麻痺してゆく。
 それを繰り返すうちに、自分は相手に100の貢献をしているのに相手からは50しか受け取っていない。こう考える。
 それか、自分はささやかな迷惑も遠慮しつつやっているのに、相手はこちらの大きな迷惑を平気な顔をしてやっているように思いはじめる。
 そうして徐々に、そのバランスを回復するために自分を相手より少しだけ優先させて、ちょうどよいバランスなんだと考える。
 そして終いには、自分の価値観をを中心にして、他人の価値観は些細なことにこだわっているだけのつまらないものだと思うに至る。
 こうして、名君は暴君になってゆく。
 自分が中心になって地球は回っている、自分の姿勢だけが揺るがない、地軸そのものなんだと思い込む。」


多くの神様(のような ヒト)にも、これはあてはまるのかも知れない。



というヨタ話(脳内で言葉だけをつぎはぎした似非ロジック)でした ^^;
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by bucmacoto | 2010-08-14 22:10 | wave
自然 = 偶然 + 必然
2009年 11月 26日
written from 2009.11/24
post at 2009.11/26

時間軸、それは反転すると、意味が変わってしまう性質があるように見える。

現在から過去を振り返るとき、過去は歴史であり記憶であり残像である。
記憶は過去しか有さない。 未来の記憶があるなら、預言者と呼ばれることになるだろう。

未来から現在を振り返ったなら、現在は歴史であり記憶であり残像でしかなくなるのだろうか。
もしも未来に現在の片鱗がほとんど残らないならば、その答えは Yes となる。
一方で、現在が色濃く未来に残っていたなら、その問いは No であることだろう。

時間は常に未来へ向かい進み、記憶は常に過去に向かってしか検索できない。

まぁ、未来とも過去ともつかない混沌さというのもあるわけだが、それは夢と呼ばれるものだろう。


という繰り返してきた問いを、今回借りてきた日経サイエンスで思い出していた。

 > 特集:量子力学の実像に迫る 存在確率マイナス1 天才アハラノフの予言
 > 特集:量子力学の実像に迫る 宇宙の未来が決める現在


系(システム)を考えたり設計するときに、効率を考える。
「必ずこうなる」「必然の連鎖」というものに従い、「予期と制御が可能」と見做される場合に、効率はよいとされる。
(この意味で、「規格外」とか「多様性」は安全弁であっても、無駄で非効率なものとされやすい)

ところが生物進化の道筋は、ランダム(でたらめ・乱雑さ)な変異の中から「環境に適した遺伝子が淘汰を潜り抜けて生き延びる」とみる。 一定のでたらめさが環境への適応と主の保全に役立つのだというわけだ。

律儀に生まれた川へと(ほぼ)100%の確率で帰るのが、サケ(白鮭)
生まれた川に限らず、帰る川にゆらぎがあってお隣の川へも遡上するのが、マス(カラフト鱒)
そのため、例えば鉱毒汚染されたりするとサケは皆無となるのに、閉山後に速やかに回復するのはマスの特徴だという。 すなわち、環境の変化に強い+適応力があるということになる。
(DNA解析では、サケのほうがマスより古い起源であるらしい。 そういえば、カメとか、古くから生き延びてきた生物種って頑固そうではあるな。)
孵化してからしばらく母川で育ち、それから(春になってから)川を下り海へと向かうのが、サケ
孵化してほどなく海へと流れてゆき、2年間の海洋生活で川へ向かうのがマス(サケは4年)
。。。ってウンチクは、先月に知ったばかりのこと。

今回の日経サイエンス記事で、古い種であるサケはきっちりと必然を踏襲し、より新しく適応力のあるマスはばらつきや偶然でゆらいで生殖地を定める。 そんな想像をしてしまったわけだ。


出会いも別れも、偶然に彩られた必然。
未来に影響を与えて残された偶然は、運命。
未来に何も残せなかった必然は、それもまた運命(さだめ)。


偶然に意味を見出すのも、偶然を演出しようとするのも、どちらも人間の ── というか、おそらく記憶とシミュレーション能力ある生命体の ── 性(サガ)なのだろうと思う。


最後の一葉 - Wikipedia

The Last Leaf
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by bucmacoto | 2009-11-26 19:08 | quote/data
orion meteor stream
2009年 10月 19日
orion流星群の夜です。

流れ星が消えてしまうまでの刹那に、三回おなじ願い事を唱えると、その願いが叶うのだという言い伝えがあります。
あなたも耳にしたことがあるでしょう。

けれど、それって恐いことだと思いませんか?

おはなし
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by bucmacoto | 2009-10-19 21:50 |   illusion rhapsody
薄識家
2009年 07月 29日
我輩は薄織家である。

およそ世の中には、それはたくさんの博識なる人々がいらっしゃる。
毎日毎日ブログの記事を書き、SNSで記事を上げ、Twitterをフォローし、さらにHPを管理し、なおかつリアル講座の資料すらもすらすらりんと仕上げなさるような人々のことだ。
博識(はくしき)という言葉は、博士+器、すなわち博士となるような器量の方にこそ奉りたいと思うのである。

さすれば、薄織家と自称するは何故であろうかと考えてみた。
白紙に近いからだろうか。 もち見てくれではなく中身のほうである。
白痴に近いからだろうか。 嗚呼(ああ)、かような侮蔑的なる言葉を使うことこそ我輩の愚かしさの証明であろう。
はくちんに近付くのは感心しない。 まだ新型インフルエンザの蔓延ぶりは、夏を迎えても衰えてはいない。
ああそうだ。 このように薄っぺらな言葉を並べ立てる輩、これこそ我輩が薄織家である紛れもない証明である。
かあさん。 あの麦藁帽子、どこへいっちゃったんでしょうね。。。ほら、あの帽子ですよ。
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
YouTube - Joe Yamanaka - Proof Of The Man (人間の証明) / 乔山中 - 草帽歌

ああ・・・角川映画の証明シリーズ(これとかねYouTube - 人間の証明 ジョー山中 ~Proof of the Man~)を懐かしいと思う我輩の世代がばればれであるよなあ。。

うむ。 ここで白式なんて書こうものなら、百式ファンの友人に九十九折りにされてしまうことだろう。 それにしても百歳にあと一歩だから 白寿 としたり、九十九を つくも と読んだり つづら と読んだり、果ては銀河鉄道・・・あれは999(スリーナイン)だったかねぇ ^^;
ともかく日本語のテケトーさとは、素晴らしいものである。

蔓(つる)と蔓(かずら)は同じ漢字の別読みであり、私(わたし)と私(わたくし)も同様であり、日本(にほん)と日本(にっぽん)もまた然り。
などと、したり顔をして能書きを垂れるのが、我輩が薄織家であることの証左であるのだ。

したりがお・・・ってどんな顔であったっけ > したり顔(したりがお) - 語源由来辞典
能書きを垂れる・・・自己宣伝の文句を排泄…じゃなくて並べ立てて示す様子だな。
証左・・・大佐よりは能力が低いんでしょうなぁ。。。証拠能力が。

我輩は、智に働くから角が立つ。 情に棹さすから流される。 意地を通すから窮屈になる。
かくして・・・

薄織家のはずが、いつの間にやら薄色家やら白色家という風貌に至っているのであった。
苦労や心労がどうしてこうも白髪を進行させるのかについて、充分な学説を我輩はまた知らぬ。


知っているのは、シラガは年寄り臭いのに、ハクハツだとファッションになり得ることである。


両者の違いは、傲慢な態度 と 毅然たる姿勢 との温度差であって、(こちら きっぱり)
両者の同一性は、純白な心 と 魂の空白 ほどのそっくりさであろう。(こちら 芒洋)

温故知新
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by bucmacoto | 2009-07-29 01:03 |   illusion rhapsody
妄想捜査官ばかせ教授の事件簿
2009年 06月 16日
ばかせ教授は、今日もB級記事を探しては喜んでいる。 それは教授の日課となっている。

「つくられた真実を見ていたいのならば一流紙を読みたまえ。
 でたらめな真実に浸りたいのならゴシップ紙か機関紙を買いたまえ。
 ひょうたんから真実を読み取るなら、ネタ話を拾いたまえ。」

よくわからないが、それが、ばかせ教授のモットーのひとつらしい。 もっとも教授のモットーの数ときたら、48手の裏・表+3段論法=99手管もあるらしいから、どこまで出まかせなのかわかったものではないのだが・・・

 BINBO Magazine : おたまじゃくしのふる里・FAQ

ネタを握れば一級品の職人ながら、天空の上を覗いて星を眺め、下ネタにまみれて人生を地にまみれさせているのだという、ばかせ教授の盟友が書いた記事らしかった。


どすんどすんと踵から脳に振動を伝えようとでもしているみたいに、ばかせ教授は部屋の中をうろついた。 さながら檻の中のホッキョクグマみたいに部屋の中をうろうろと巡回するクセは、ばかせが何か考え事をしている証拠である。
 もちろん、どんな考え事なのか(あるいは出来損ないの妄想なのか)は、窺い知ることは到底できないのであるが。。

ポリポリと口の中にチョコレートコーティングされた小麦胚芽のクラッシュクッキーを頬張りながら、ばかせ教授はらんらんとした視線を光らせていた。

「よし、これでいい。 エクセレンス!」

突然、嬉しそうに呟いた博士は、歩みを止めて椅子にどすんと腰かけた。
どうやら、妄想的推理シナリオは完成したらしい。

more
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by bucmacoto | 2009-06-16 23:50 |   illusion rhapsody
漸化式
2009年 06月 12日
ぜんかしき:漸化式
ぜんきんせん:漸近線
ぜんしんせい:漸新世
ざんてつけん:斬鉄剣

アニメ世界に限定されるものはどれ? > ヒントはこちら


先ほど、高校数学(数2B)について分かるか? と電話で息子に尋ねられた。
何でも、数列・漸化式が理解できていないのだという。

「2えっくすマイナス1 = エックス って感じだろう? 式としては正しくないけど意味は分かるだろ?」 っていうと、「あー、プログラミングで使うようなやつね」と即座に理解できるのだが、どうやら展開したり丸めたりということ(一般項へとまとめる)ができないらしい。

私も、漸化式は不得手だった。 数列も苦手だった。 行列式もダメだった。
高校を卒業してから、片対数グラフで指数・対数を直感的に理解できるようになり、虚数の極座標形式・ガウス平面を理解できるまでは級数展開が面倒くさくてフーリエ関数に歯が立たないタイプだった。 (三角関数をちゃんと理解しなおせたのは、複素数とオイラーの式のおかげである)


検索のトップにでた記事を読んでみると、予備校の教師の教え方っていうのが伺えて楽しかった。
(私は、予備校も家庭教師も知らずに大人になった)


 漸化式


現在は休業状態のHPだが、優れた素材だと思った。
学習歴とか身についた教育ってのは、見せ掛けの表面を飾るものではなく、血肉として残ったならそれこそが成果だろうと思う。
試験は(モニタリングの手段であって)得点表示が目的なのではないのだから。


ばく息子は、合格が難しいと言われていた高校(ただし市内の中間レベル)に奮起して入ったときは、実力テストで瞬間風速的にトップであったがすぐに実力を発揮して、学年最下位の群に属するようになったという。
果たして、大学受験はどうなんだろうか。。。 > 卒業を迎えた君へ(高卒時)

受験のための勉強ではなく(そんな勉強は大学在学中の落ちこぼれ要因ともなりかねない)、願わくば身につけるための学習をしてもらいたいものだ。 受験テクニックなんかどーでもいーから、中身をよく理解してほしい。。 ってのは本当の心からの願いである。

・・・つうか、私立に入れる財力が枯渇しているのであった ^^;
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by bucmacoto | 2009-06-12 01:36 | wave
和製英語
2009年 06月 10日
私たちの世代であっても、カタカナ語の氾濫に対しての警戒はよく紙面に書かれていた。

オーディオコンポのボリューム調整・・こういうのはごく普通の言い回しにも思える。
しかし純粋な日本語っていうことなら、音響機器の音量調節・・ってことになるのらしい。

そうはいっても、現代の古典的な漢字だらけの日本語にしたところで、生粋の日本語(いわゆる、やまとことば)に大陸伝来の漢字を充てながら創られたものに過ぎない。 ひらがな なんて漢字の草書体から崩しに崩してつくったものだ。
ひとつ・ふたつ・みっつ・・・、そういう数え方と、イチ・ニ・サンの数詞とが混在すること自体、幼児教育上の負担であるし、外国人が日本語習得上の困難さを増す要因であるらしい。
(おまけに、匹・頭・羽・房・束・把・個・丁・艇・艘・隻・艦・缶・巻・本・・・・数詞にくっつく単位の多いことったらありゃしない。 あげくに、ウサギは1羽と数えるってどーよ?)

それほど難解な日本語を扱えるのに、英語やスペイン語はからっきしなのって、人間の脳みそはまったく面白いものだ。


ボタンやカステラのように、南蛮渡来(これって死語か?)の品々に外来語っていうのはより自然な成り行きだ。 一方で、中学時代の英語教師から「(プロ野球の)ナイターってのは、和裁英語。 本来の英語ではナイトゲームとなります」と言われて感心したのが、なんちゃって英語(和製英語)というものを知った最初だったかもしれない。

ココア は、ホットチョコレート/アイスチョコレート
ガソリンスタンド は、ガス・ステーション
カメラマン は、フォトグラファー
シュークリーム は、プロフィテロール か クリーム・パフ
ジェットコースター は、ローラー・コースター
コンクール は、コンペティション

そんな和製英語たちの中で、一番最近知ったのが、マッチポンプ
(言葉は知っていたが、イミフメイの語だったのだ 笑)

なるほど・・・和製英語として創作されるくらい、日本人のお家芸だもんなぁ。。 自作自演で「あいつがやった」「私はかくかくしかじかの一部始終を見た」っていう証人や証言が、自己正当化・賠償金目当て・たなぼた狙い っていう話は。 被害者づらした加害者や、正義のヒーローづらした悪徳代官ってのはかなり昔からいたらしいしなぁ。


下宿のおばちゃんとの会話で、この界隈によくある 「押し売りお断り」「悪質な訪問販売はご遠慮ください」といった札の話題がきっかけでこのマッチ・ポンプの意味を知ったのだった。

「そうだよ~。 昔なんか『無料診断キャンペーン中です。タダですので是非ご利用ください』って言われて、旦那が居ない間に家屋の診断に入った業者が『これはひどいですよ。。。送風のことが考えられてなくて土台はボロボロ。 手抜きもひどい。 工事ミスですねぇ、明らかに。 ほら! ご覧になってください』てなもんさね。 で、そこに旦那が帰ってきたからもう大変。 (実はこの旦那の親戚筋が建築施工した家だったのさ)そんなバカな話があるかーっ!! ってなもんさ。 で、その業者ってのが、床下に入って番(つがい)を外したりなんだりやってたわけさ。 実はそうだったのさ。」

そういうエインチキな営業手法ってのは、昔っからあったんですねぇ。。
そういえば、日中戦争(日華事変)の直接のきっかけとなった盧溝橋事件については、私が学習した頃は「日本軍の陰謀説(自作自演説)」ってのが有力だったのですが・・・現在は偶発的事件という見方が(日本側研究者では)大勢となっているらしいですね。
で、その盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)についてリンク辿っていたら目にした記事。

【中国対日観】“いい加減”だから日本にやられる(1) 2009/05/15(金) 20:38:00 [サーチナ]
【中国対日観】“いい加減”だから日本にやられる(2) 2009/05/18(月) 20:54:09 [サーチナ]

この結び近くに次のような一文がある。
はたして、この文章は妥当な文章だといえるのかと考えてしまった。

「われわれ中国人の伝統的ないい加減さ。物語を作って人々を鼓舞しようとする伝統的なやり方だ。われわれ中国人は、自分が同様の立場になったら、同じようなことをするだろう」と論じた。

  さらに「日本人は違う。彼らはまじめだ。相手側が自らの指導者がやったと書いている以上、確実な証拠だと考える」として、「平時なら、いい加減なことをしても問題ないかもしれない。しかし、何かたくらみがある人物がいれば、いい加減なことをした結果が利用されることになる」と主張した。


うーん。。。 中国人 の部分を、日本人 にしたところで、このような文章ってほぼ当を得ている気がするんですが。。。 古事記なんて為政者の意向に沿った「創作神話」(文芸作品)って思って読めますしねぇ。。


そういえば、英国人・ドイツ人・日本人って、几帳面で実直でまじめってのが国民性として上げられるという。 (少なくとも、疑似科学として非難される血液型人間学とかにはそう書かれていた)


・・・いい加減な話(誇張とか辻褄あわせの創作話)ってのは、きっと犯罪者か高級官僚か政治家に限ってのことなんでしょう。 ええ。
私は庶民ですから、清廉潔癖・破廉恥を知る聖人君子面している・低級ブロガーってわけですとも。 はい。


結局、この記事のカテゴリは、illusion rhapsody(おふざけ錯覚狂詩記事)にせざるを得なくなりましたとさ。 まじめなんで(ぇ?)

和製英語で参考にしたURL
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by bucmacoto | 2009-06-10 21:22 |   illusion rhapsody
あまのじゃくと皮肉屋
2009年 03月 25日
ほめられたら不機嫌になる、
そんなあまのじゃくがおりました。
あまのじゃくは天邪鬼とも書くのです。
天とは地ではないところ、邪とは本当と反対なこと、鬼とは怪獣のことです。
よそいきの仮面をかなぐり捨てた様子を、地が出たなどと申します。
地ではないところにおおわれて、本当のことに反対する、
天邪鬼とはそういうモンスターのことでしょうか。
親の顔が見たいなどと呆れた子に投げつける決まり文句で、
本当にモンスターペアレントがでてきそうな気もいたします。

けれども、本当のあまのじゃくは、実のところたいへんなくすぐったがり屋さんなのですよ。

くすぐったがる子をしつこくくすぐると涙を流して笑いこけ、
しまいに怒り出してしまったとういう経験はありませんか?
感度が高すぎて笑いすぎるのを抑えるために、
あまのじゃくは苦労しているのです。
ほめられてうれしくて頬が緩んで締まらなくて、
そんな自分が恥ずかしくて照れくさくて、
怒ったような顔をしているだけなのです。

あまのじゃくと皮肉屋は、たいそう似ております。
どちらも優しくされると、素っ気ない。
どちらもほめて上げても、喜ばない。
自嘲と傲慢と落ち込みと瞬発力と飽きっぽさでできています。
けれどもくすぐりに対する反応はちょっとだけ違うのです。
あまのじゃくはくすぐられると身をよじります。
皮肉屋はくすぐられるとことばをひねります。
え?
やっぱり違いがわからない?
簡単ですよ、
身をよじっているときの横隔膜はひくひくしています。 これはあまのじゃく。
ことばをひねっている時は鼻腔がひくひくしています。 こちら皮肉屋。

でももしかしたら、赤オニは天邪鬼で、青鬼は皮肉屋だって覚えてしまうのも、
簡単な割り切り方かもしれません。
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by bucmacoto | 2009-03-25 00:04 | duality
3枚目のカレンダー
2009年 03月 01日
march : 弥生の月がやってきた。

かつての古代ローマの暦、ユリウス暦が太陽暦だったことは、現在広く使われるグレゴリオ暦のひな形となっていることからもわかる。
 うるう(閏)年が2月の末日で調整を行うのも、8を示すOct-(八本足のタコはOctopus
)が10月を示し、7を示す接頭語Sept-が9月を 10を示すDec-(dec-)を冠した月が12月を示すのも、これに由来するという。

[ユリウス暦 グレゴリオ暦] 検索結果

そうしてみると、3月は古(いにしえ)の暦法では最初の月となるわけである。

 ・・・年明けしてふた月遅れでカレンダーの話題だから、こうした屁理屈をこねているわけだ w


壁にかけてあるカレンダーには、捲(めく)るごとに有名な言葉が表れる。
 3 quotes from Calendar of the famous and celebrated quotes

1月:『世の中の人は何とも言わば言え、我が成する事、我のみぞ知る。』
 坂本龍馬

2月:『強い者、頭の良い者が生き残るのではない、変化するものが生き残るのだ。』
 チャールズ・ロバート・ダーウィン

3月:『私は未来のことを考えない。あっという間にやってくるからだ。』
 アルベルト・アインシュタイン


偉人と呼ばれる人々は、誰かを蹴落とすことに汲々(きゅうきゅう)とする人ではなく、自分がどうあるか/事実(俗な言葉で言う真実)はどうであるかを追い求め追い及んだ人々なのだと思う。


小学校の頃に担任の先生が、ついきゅうにはみっつある。 そう黒板に書いてくれた。
 追及:追い及ぶ
 追求:追い求む
 追究:追い究める

他人を追及することに忙しくなりすぎて、自分自身や世界の在り様(ありよう)を求めることも究めることも嘲う(あざわらう)ようなら、それは偉人と呼ばれる人を貶す(けなす)所業だろう。

傲慢なる者か、無知なる事を知らぬ者かはわからないが、誰かの批判を行うときに そのけなし言葉に酔うようなことがあるならば ── いわゆるワル・愚痴を騙る(かたる)ことで自分の慰めとしてしまうならば ── せめて三枚目気取りを忘れずに、三流の者であることを思い知りながらやるようにしたいものだ。


あ,私の基準では、毎日更新し続けるブロガーは一流ブロガー、時々は更新するなら二流ブロガー、一気に大量に書いたと思ったら途絶えてしまうのは(つまり σ( ̄∇ ̄;)わて?)三流ってことだ。

過去記事3流 (more)
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by bucmacoto | 2009-03-01 11:43 | duality