- 北の空からみなみへ -
exblog staff

これは記録せねば ^^
2010年 10月 24日
小学校の頃、マンガを買った記憶がない。(2年生から小遣いはもらったが、月額200円で文房具代込みだったからゆとりがなかった)

だがマンガを読むのは大好きで、学校にあるマンガ、友人宅のマンガ、床屋で読めるマンガを読み漁っていたものだ。
(自分で購入したコミックスといえば、妹が読んでいた影響を受けてはまった、白泉社 花とゆめコミック われらはみ出しっ子シリーズ全巻 = 三原順 くらいのものだろう)

今朝見たふぉっしるブログで、科学少女という記事を見つけた。
苦手なものに興味をもつきっかけとしては、こうした萌え系もあってもよいとおもう。
私自身、100均マグカップにて書いたように、その手の本を高校生の息子に贈ったこともある。< 誕生日に(笑)

歴史嫌いだった私の子供の頃を振り返ってみても、マンガで関心をもった部分だけはあとあとまで記憶に残っていたものだ。 < まんが日本の歴史 で一冊だけもらった室町時代のころだけはちゃんと理解できていた。
人名とかの記憶に全く能力がない=暗記ものはほんとうにだめ、そんな私でも興味がある分野ならけっこう憶えることができるものだというのは実感としてある。10以下の平方根(ルート)と円周率(π)と自然対数の底(e)、くそ面白くもない暗記だって好きな分野や必要を感じられる項目ならば繰り返す気もおきるしまる覚えすることだってできるものだ。

いわゆる 「こじつけ」 ってのは、強制されたり埋め込まれたりするのはどうかと思うが、「理屈はともかく役に立つ」という自覚で記憶することはいわゆる「読み書きそろばん」と同じように有用なテクニックなのだろう。
(ひらがなの由来がわからなくとも、九九の計算を機械的暗記に頼っていようとも、それで実用的な生活習慣として合理的なら、それは迷盲たる丸暗記でもOKといえるから)

ノーベル化学賞受賞(鈴木章 根岸英一)はあったけれど、夢中で取り組むタイプの研究者が育っているかとすこしばかり心配な感はある。
いわゆる(ゆとり教育)ってお題目は、本当は(生物多様性などと同じ文意の)多様性を育み、多様性を根絶やしにしないことによって達成されるべきものだったのだろう。
つまり、「普遍性は大事なのだが個別制を踏みにじることがないように」という原則だけが必要だったのであって、むりやりに「差をつくらない=均一な品質管理」する発想ではいけなかったのだと思う。 < この意味では、規格ぴったりの工業品を大量に作るのではなく、(不揃いでもうまくて栄養たっぷりならよいとする)農作物みたいな素朴な考え方と相通ずる態度が教育委員害に求められそうだ。

教える側の態度として、「好きか嫌いか」という価値軸で判断をすることはあってはならないし、「役に立つか立たないか」というだけで雑草を根絶やしにしてしまうことも控えなくてはならないし、「正しいか誤りか」を突き詰めすぎて(迷信じみた)超常識だけを信奉する世代を育成してもならないんだろう。とか思ったりする。
(迷信 という言葉は、超常識 と言い換えられそうだと先日から思っている)


カタめの説はこんなもんでうっちゃっておくとして、数年前に発売されたソフトカバーの本(元素周期 萌えて覚える化学の基本)から派生した動画をいくつか紹介してみよう。


再生時には右下端を押すとうるさい文字を非表示にできます。↑
【ニコニコ動画】【萌え元素】第4話 ランタノイド寮を救え!

元素周期表の歌(全3部〜初音ミク) +1(追記)
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# by bucmacoto | 2010-10-24 15:05 | quote/data
半ドンの午後
2010年 10月 24日
ゆきむしが目に止まるようになって10日あまり。
霜はあったがまだ雪はない。
タイヤ交換を始めている姿をごく狭い日常範囲で、二回ほど見かけた。

ゆきむしは意外に撮るのが難しい。
ピンボケでも雰囲気はあるからまあいいか ^^

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# by bucmacoto | 2010-10-24 14:02 | wave
秋散歩
2010年 10月 17日
近所の公園を紅葉狩り巡りしてみました。

一枚の葉に多様な色合いが共存して味わい深い。

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# by bucmacoto | 2010-10-17 21:39 | wave
季節便り〜色づく季節
2010年 10月 10日
先週にタクシーの運転手さんがこう言っていた。
「いつもなら9月に一度は霜があるんですけどね。。。今年はやはり暖かいみたいですわ」

確かにアメダスの記録でも未だに5度以下の日が一度もない。
それでも樹々の黄葉・紅葉は秋の彩りをましてゆく。
この写真は通勤路そば。7日(火曜)の朝に撮影した。

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そして、日月曜の連休でシュラフ抱えてママチャリ撮影旅行へ行くつもりだったのですが、残念ながら天気予報は雨に変わってきました。そこで、金曜の昼休みを久しぶりに1時間取れたので、職場近くの森林公園で撮影してみました。

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# by bucmacoto | 2010-10-10 01:36 | wave
プチサイクル
2010年 10月 09日
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明日の天気は雨予報に変わった。
シュラフ持参は中止。
急遽、近場のママチャリサイクリングに変更した。

追記photo
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# by bucmacoto | 2010-10-09 11:35
秋・・といえば
2010年 09月 30日
25日の午後に、中山峠を越え洞爺湖へと向かいました。
羊蹄山(蝦夷富士)の山頂付近には、薄らと雪が見られました。
洞爺湖のぼろぼろホテルでの同期会(1学科=1クラスなのでクラス会)は道内に居る12名中8名が顔を合わせました。

秋分もすぎての数日は、夜間の気温も下がってまいりました。
そして勤務終了後には夜といってもいい、いわば秋の夜長の季節です。
先月から、NHKオンデマンド、世界史探索と道楽じみた時間の使い方をしています。

生涯 _ 逍遙の人 セーレン・キルケゴールキルケゴールのソクラテス理解などを読み、こころ 夏目漱石の読書感想文を読んでみたら、漱石を読んでいなかったことに気がついた。というか、小学校以来の私はすっかり文学という分野の作品は読んでいないことに気がついたのです。

文豪と呼ばれる夏目漱石の作品を青空文庫で読んでみました。
 夏目漱石 こころ
現代人と呼ばれる我々とほとんど変わりないこころのさまが窺えました。

次いで、レオ・トルストイ Lev Nikolaevich Tolstoi 森林太郎訳 パアテル・セルギウス VATER SERGIUS を読んでみました。
トルストイつながりで、書評松岡正剛の千夜千冊 『アンナ・カレーニナ』レフ・トルストイを頼りに、図書館で1972年刊のトルストイ全集(河出書房新社 中村白葉訳)7・8の アンナ・カレニーナ を借りてみました。
同時にミヒャエル・エンデの 自由の牢獄 も借りてみました。


「復習は我にあり、我これを酬(むく)いん」 という聖書の句が冒頭に記され、有名な一文(幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である)からはじまって、最後まで一気に読みたくなる文章の力を感じました。個人的には、レーヴィンの考え方や生き方がとても自分と重なったのですが、それはトルストイ自身の投影像でもあったようです。

社交界・・・というのは貴族がいない現代日本でいうなら、芸能界がそうでしょうか。
144ページ下段にある
『ほんとうの社交界──舞踏と、饗宴と、はなやかな化粧の社会、娼婦の世界へまでおちてしまわないために、片手でしっかりと宮廷をつかんでいる社会』
という表現など、文豪と呼ばれる人の表現力はさすがにすごいなと感じられました。


エンデの 「自由の牢獄」は、日本の星新一の作品を読むような感じを受けて読みました。


人のこころのうちを知るには自分自身のこころにあるものからしか知ることができないもので、自分のこころのうちを知るにも他人の振る舞いを眺め得た気付きが必要なものであるのですが、そのふたつは同じこころの表がわと裏がわである。という持論もあながち的外れでもないのだと、そんなことを頭の中に浮かべて秋の夜長に読書を進めてみたいと思いました。

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# by bucmacoto | 2010-09-30 01:42 | particle
秋のきのこ
2010年 09月 25日
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犬の散歩中に発見
秋ですねぇ
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# by bucmacoto | 2010-09-25 12:33
モンスター度の基準
2010年 09月 13日
定性的という言葉と、定量的という言葉がある。

定性的には、大きいか小さいか、重いか軽いか、割り切れるか割り切れないか、仮数か実数か、
などなどのことが、わかりきっている場合でも、定量化するとなるとかなり厄介な場合がある。

長さ・重さ・かさ(退席)なんかは、足したり倍したり半分にしたりという操作で一貫性ある比較が可能だけれど、態度や状態の評価っていうことになるとクリアにさくさく切り分けて捌(さば)くわけにはいかないからだ。

・・・そういえば1980年代の終わりに、セコさの単位=カラシ(納豆に付属するカラシを捨てずに冷蔵庫に蓄えるのを1単位のせこさとみなす)、気まずさの単位=ピっツァ(皆で食べていて最後の一切れだけピザが余った気まずさを1単位)なんていうのがあった。

モンスター(化けもの)という表現は最近のものだけれど、昔からいわゆるインネンをつける=ヤクザまがいってのはあった。
そういうヤクザ度・モンスター度みたいな尺度はあってもよかったのかもしれない。


マジコンでポケモン大会に出場しようとした親子! ブチギレして警察沙汰に – ロケットニュース24(β)


自分に対する基準と、他人に対する基準とが異なることを、ダブルスタンダードとか二枚舌とか自己中心的とかエゴイズムとかいうわけなんだけど、この手の精神構造ってのは差別感情とか選民意識とかととっても相関しそうにも思えたりした。
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# by bucmacoto | 2010-09-13 23:37 | quote/data
秋燕は帰り往くか
2010年 09月 13日
立秋からひと月と一週間。
3週前の夜半には、オホーツク海から昇るおおきなオリオン座も見られた。
(こういう時には、巨きいとかいておおきいと読んでみたいものだ)

間もなく仕事帰りに夕空を見上げる季節が去り、夜空を見上げる季節になる。
夕空の写真を撮っていたら、数羽のツバメが南の沼目指して夕凪の中を抜けた。
(この地域では、ツバメの姿を見る機会はごく少ないものだ)

ツバメは北で営巣し、南で越冬するという。
家をでて去るという意味では、行くとか往くと表現するのが妥当なのだろう。
(私の感覚としては、夏にやってきて冬に南の島へと帰るかのような印象ではある)

夕空にはクリオネの形をした雲が、ゆっくりと東へ向かって流れていった。
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past days
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# by bucmacoto | 2010-09-13 19:39 | wave
知らなかった熟語
2010年 09月 06日
話自体は聴いたことがあっても、熟語として知らなかったなぁ。

 [啐啄同時] 啐啄同時(そったくどうじ)

 轍鮒の急(てっぷのきゅう)

タイミングとフィッティングかぁ。。



ちなみに、そったく同時の最初の「口卒」の字は、Windows2000だと表示されないみたい。
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# by bucmacoto | 2010-09-06 00:20 | quote/data
単純日記録
2010年 09月 05日
なんだか夏が暑かった。

実家周辺から贈られたメロンを食べた後、残飯をビニールに封入して下宿部屋のゴミ箱に捨てた。
メロンは必然的に小さなハエ(ショウジョウバエ?)がわいてくるので、それを嫌ったのだ。

ところがなんとそこからキノコが生えてきてびっくりした。
今年はそれほど暑い日々だった。どうやら太平洋高気圧のさらに上空にチベット高気圧まで2段重ね状態で乗り上がっていたらしい > 記録破り猛暑、犯人は「2段重ね」高気圧  :日本経済新聞 要登録(無料)

警告:室内キノコ画像あります
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# by bucmacoto | 2010-09-05 23:31 | duality
経済学おんちのつぶやき
2010年 09月 05日
日本経済新聞が好きで、就職以来一度も取っていないのに、職場やら図書館やらで読み続けている。
かれこれ、私の半生以上そして四半世紀以上の期間になる。
ところが、経済学の概念にはどうにも理解できない部分がいまもある。

部分部分のメカニズムやプロセスを記述したものにすぎないと思っても、どうにもドグマ好き(Einsteinの相対性理論とかDarwinの進化論)なシンプルな前提から積み重ねられたものじゃないと学問・理論として正しいのかどうかを考えられないという私の脳みその事情もある。

そんな脳みそにとって不思議な理論のひとつに、「穴を掘って埋め戻すだけであっても、失業手当を払うよりずっと景気対策に有効だ」という理論がある。
たしか、遥か古代のエジプトのピラミッド建設や、日本の大仏建立などの事業も、現代と同様に需要創出のための公共事業と書いてある文章も昔からあった。(もちろん、権力者の力の誇示 と 社会秩序の構築シンボル、これが主目的なのだろうが)

社会的な安全網としての福祉と社会保障は、便乗者や悪用者(働く能力も意欲も機会もあるのに補償目当て)を排除できないとそれこそムダ金になるから、人々の倫理崩壊をきたさないためにも手当よりは仕事として与えるという部分は同意できる。
けれど、「富を分配する」ということと「富を循環させる」ということと「富を蓄積する」ことと「富を浪費する」ことと、この関係が私にはいまでもよくはわからないままでいる。

ムダな事業であっても、カネの巡りをよくすることが大事だから、、、という理論はどうにも暴論にすぎるだろう。もちろん、ケインズはそのように言ってはいないのに、そうであるかのように(内容を歪ませて)伝達した人々の罪なのだろうが。。。
 ※ わたしのようにわからないのも、罪になるのかな w


端的なはなし、

 空き缶を拾う、
 町を清掃する、
 河川を奇麗にしている、

そんなNPOに援助することは、ムダな仕事しかできない公務員を抱えるよりもよほど経済的によい選択に思えてしまう。


だが、問題は

 何がムダなのか
 何が将来に生きる投資なのか
 何を基準に誰がその【評価】作業を担うのか

なのかもしれない。


経世済民という思想はよくわからないし、民主主義という思想と社会主義という思想とはルーツは同一なんじゃないかな(弱者・少数者の権利を奪い支配するのではない世界を理想とする意味で同じかな)って思うほど政治的にも遠視(つか老眼)だけど、それでもムダっていうのはいつの間にかどこへか消えることを示すんじゃないかと思っている。
蒸発してしまう、伝達中に摩擦熱になってしまうっていうイメージだ。


さて、ムダをなくす方法ってのは難しいみたいだが、ムダにする方法ってやつはいっぱいある。
 表面上の価値を残したまま、実際の価値を減ずる。
(金の延べ棒がいつのまにかメッキとすりかえられたり、同じ簿価なのに実勢流通価格が低下したり、パッケージの中身が軽くなったり粗悪になったり)
ってのが直感的だなぁ。


世界史や日本史をこの夏は眺め見ている。
かつての世界は、奴隷制度をはじめ敗者と弱者を社会的に固定してしまうことで、社会と経済を安定させていたように思えた。
奴隷に落とされる恐怖は、刑罰と同様に、社会防衛への動機(敗けた捕虜は奴隷化されるから)となり、悪事への抑止力となった。
そういった機能はあったにせよ、身分固定の根拠が迷妄(迷信や妄想や讒言やデマ)だったことも少なくはないのが前近代時代の悲劇だと思う。


歴史の場合には「歴史に学ばなければ・・・歴史が教えにやってくる」という。そういうものこそが、「歴史の教訓をムダにした」その帰結として得られる報酬なんだろう。

そう考えると、「ムダにする」という定義を私がしてもよいのなら、

 生かすべきものを捨てること(忘れること or 殺すこと)

っていうのがしっくりするなぁ。私のでかいだけで低品質の脳みそ的には w
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# by bucmacoto | 2010-09-05 20:07 | wave
evening and day sky
2010年 08月 28日
夕空の色は重ね塗りの妙 (窓ガラスなどはなし)

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昼空の雲姿は龍のうねりを見せてくれる

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深くなりゆく色の彩
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# by bucmacoto | 2010-08-28 02:31 | wave