2006年 08月 01日
身体(からだで憶える,あるいは身体で憶えさせるという表現がある。 この表現に対して、私は強制的で高圧的なものを感じ取っていた。 それはさほど遠い昔のものではない。
数年前にやっと,おそらくコトバ本来の意味は、『反復して憶える』 ことであろうと、思い至った。 考えなくてもスムーズに"次の"動きが自動的にでる = つまりは反射的で半自動な動作を 習得するという意味でしかないのだと。 手をぴしゃり と叩いたり、甲をつねったり、ビンタ(平手打ち)をしたり、黒板用巨大コンパスで頭を叩いたり、グーで脳天をゴツンとしたり、と そういった事が 「身体で憶える」 ことではないと。 それは、瞬間的な恐怖と警戒を植え付ける役には立つだろう。 注意力(感関心を向ける)には、情動反射を利用するのが手っ取り早い方法だからだ。(家畜の躾は えさとおあずけがキホン) この方法は短期的な注意レベルは上げるのに、長期的な習得はさほど向上させない(減衰が早い)。 このように私は思うのだが、私が小学生の頃はそれが半ば普通でもあった。 決して暴力を肯定してはいないが、問題(表面化した事故)とならない限り暗黙に是認されていた。 そして何より、このような習慣は連鎖する(親から子へ、教師から生徒へ、先輩から後輩へ)傾向があったから暴力と強制による、いわばムチによる学習強要は忌避されるように努力が続けられている。 こんなことを思い出したのは、ニュースサイトから 「自分だけは大丈夫」,セキュリティ対策を妨げる「正常化の偏見」:ITpro という記事を目にしたから。 この記事は導入部を除くと3章構成だが、その最後の章は 次のタイトルとなっている。 「脅す」よりも「理解してもらう」ことが大事うんうん。 そうそう。 と以前にリスクマネージメントの事柄で、理解してもらうことに窮した私は、頷いたのだった。 前にこれ(原因と思われる要素)があった。 なくしたらこれ(結果と思しき要素)がなくなった。 だから原因も結果もどちらも明らか。。。こういう論法はとっても危ういと思う。 もちろん現実の偶発的な物事に、対照比較を行うことは難しい。 それを行えばモラルを問われるケースもある。 (というか、むしろその方が一般的だろう) 特に人間の成長(幼児の養育・子供の教育・新社会人への教育)のような、非線形的な挙動を示す事象ではとてもとてもそんな実験的な事はし難い。 でもなぁ。。。 いや、だから かなぁ。。。 歴史教育で、年号ではなく、古代の中国でどのような教育や刑罰がなされたかを知る。 社会教育で、マニュアル模倣に限らず、そのマニュアル(例えば法律)作成に至った事件やドラマを教える。 性教育では、性病に限らず性器に囚われずに、人間性の由来を身体性から感じ取る。 そんな風なのがいいなぁ。 と思うのだ。 行為の目的を、明確にまっすぐに。 思索の過程を、寄り道しながら引っかかりながら。 ターゲット(目標・目的)は大切なもの。 失くしては大変になるもの。 プロセス(過程・手続き)は小事であれど粗末に扱ってはならないもの。 冒頭のような事柄を、一生懸命に考えた頃、本気で思ったことがある。 教育基本法の第一条(目的)は 人間の共感力を育(はぐく)む なんてぇのが、いいのではないかと。 ハグするって英語は、育むって日本語と共通するそうな(以上 電波受信 w) 。。。教育という字句の 教えられるのは苦手で、育くまれるのは期待する甘ったれた天邪鬼根性は、とことん直らないらしい(笑)。 0.1版投稿 : 2006.08/01
字句訂正 : 2006.08/02
by bucmacoto
| 2006-08-01 22:20
| duality
|
Comments(9)
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bucmacoto at 2006-08-01 22:28
なんだかロジックが飛躍気味で、スカスカ・・・(涙)
でもこれ以上ごちゃごちゃ書くと、理屈っぽくて机上の空論じみてくるしなぁ・・・ 私の作文力は、どうにも才能がないよう。 内容も無いヨウ。。 < ぉぃ
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harusion11 at 2006-08-01 23:54
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bucmacoto at 2006-08-02 08:03
〇 haru さま
え~? 私はむかしっから読むのは得意、書くのは苦手ですよぉ。 本の虫(というか乱読)だったわりに、いざ自分が書くとなるとアタマ真っ白・・・(笑) 漢字の書きとりテストなんか、小学レベルでも満点回答はムリっぽいです(爆)
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GALANT's Cafe
at 2006-08-02 09:01
x
私は、体でしか理解し考えられない人間ですねー
#紙切れだけでは、わからん!
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bucmacoto at 2006-08-02 19:44
〇 GALANT's Cafe さま
わかるわかる。 体得するタイプなのですよね。 技術者魂・職人気質(かたぎ)ってやつね。 私ゃ カタギってのが好きですね。 虚勢と勢いと計算だけのヤクザより。 < 話がぁレレ?
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harusion11 at 2006-08-02 20:42
そんなばくさんの 文章がすき♪
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bucmacoto at 2006-08-02 20:52
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moch5963 at 2006-08-03 21:34
私と比べる事自体、そもそも失礼なのですが、私の変態文章に比べたら、
・・・更に変態(こらこらーっ!) いやいやいや(汗 マジメにしっかりと読める、良い文でありました。ごちそうさまです。 私も、バリバリ体で覚えさせられました。アザはできるし、頬は腫れるし、鼓膜は破れる し。でも、親も先生も、それが普通の時代だったのでしょう。 なので、私もどっちかというと、あまりに頭に来ると子どもに手をあげてしまっていました し、脅しに近い指導をしておりました。ホント、今では思い出すだけで反省の日々。。 自分がやられた時、あまりの衝撃に怖くなって、更に動作が鈍くなり、更に怒鳴られると いう悪循環に陥ったのですが、自分がやられて嫌だった事は、人にもやらない、なんて 子どもに言ってた割に・・・・・な大人です。そもそも大人なのか疑わしい日々です。 熱血監督とか大嫌いです。怒鳴り散らすだけの輩なのに。 自分を見ているみたいで大嫌いなんですよね。 怒声でモノを教えるのが、無意味な事なのではないかと、思うわけでした。 ああ・・・。また長くまとまりの無いコメントを。。失礼しました。
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bucmacoto at 2006-08-03 23:03
〇 もっち さま
そう変態変態と連呼しないでくださいな。 私は、もっちさんの文章が醸しだす戸惑いや逡巡は好きなのですから。 好意的に読むからかも知れませんが、落ちそうで落っこちない 入りそうで入らない そんな穴の周りをくるくる廻るボールのイメージが重なってくるのです。 > 怒声でモノを教えるのが、無意味な事なのではないか 意味はあると思います。 ただし思わしくない結果を招くという意味合が濃いと思います。 同様な使われ方に「愛のムチ」という言葉がありますが、本当の愛のムチの場合は 決して相手に向かって口にはしないものだと言う気がします。 相手を痛めつけておいて、ごめんよぉ と涙を流して愛撫するなんてのは スケコマシ893の手口。 そっと呟く・抱え切れずとも相手に聞こえないところにそっと吐き出・・・ってのが本当かと。 海水浴で沖に出ようとした子供に 「言っちゃダメっていってるでしょ~っ!」(子が だいじょうぶ~♪ とか答えると) 「私がいやなのぉー ダメだって~っ!」 という風景を見ると、まさしく愛の叫びだなって思いますよ。 (相手のためだなんて考えよりも 相手を守らなきゃ自分がもたないという条件反射)
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