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うそんこ考義 ~ はしること
2006年 07月 06日
父は、菓子職人であった。
父は同時に、商店主でもあった。
そんな父は、【ありがとう】 を言うのが苦手だった。

「どうも」「すみません」「さんきゅー」と言うことには抵抗がなかったようだ。
しかし いつもいつも "ありがとうございました" と機械的に受け答える接客にはいつまでも抵抗感があったようだ。
 ツケ(借金)を支払いに来た客にも(支払いを待ってあげたのはこちらなのに) 「ありがとうございます」
 さらにその客が、ツケ払い以上に買い物をしてツケを増やしていっても 「ありがとうございます」
そんなありがとうのかわりに "すみません" と言う言葉を好んだようだ。
心にもない ありがとう よりは、客への感謝を感じられない自分を謝る すみません だったのか。
それとも ありがとう という言葉のもつ、感謝を売り物(バーター取引)にするニュアンスを消したくての すみません だったのか。



私の名は両親が付けたものだが、名付け親がいる。(父の取引先の方だ)
まこと はね、言うは成る と書くのだから、言ったこととやってる事が違っては"誠"でないのよ。
いつの頃だろうか、もう時期は忘れたが そう諭された記憶がある。

自分の息子にdear my sonなどと書いておいて何なのだが、私は割と抵抗感無くウソをついていたようだ。 先の諭す言葉もそうだが、他の傍証もある。
小学校2年の夏だったと思うのだが、怖い怖い夢を見た。 夢の中の僕は追っ手に追われて、必死に隠れようとしていた。 かくまって貰おうと逃げ込んだ近所の家のおじさんは、僕の顔を見るなり形相を変えて追っかけてきた。 必死に逃げてゴミ箱の陰に身を潜めて辺りを窺うと、近隣商店街の人たちも両親もみんな目を鬼のように吊り上げて僕を探し回って辺りを探索していた。 「見つかっちゃいけない。 見つかったら終わりだ」 そう身も心も堅く固まって息を潜めているのに、だんだんと追っ手が(両親の手が)僕を掴みにやってくる。。 そういう夢だ。
この夢は、数回見たのだが、本当に(私の夢の中では一番に)怖い夢だった。
そう、私は夢の中まで、"隠匿" といううそをついていたようだ。

後年、種明かしというか 謎解きのヒントを母から貰った。
「お前が小学校低学年の時、学校の先生からお前が学校で何をやったか聞いていてねえ。家に帰ったお前に 『学校でこういうことやったんだろう?』 と言うとさ、どうしてわかるんだろうって顔して、しきりに首ひねってたよね。 だから私は 『なんでもお見通しなんだよ』 って言ったらびっくりしてた」
と、可笑しそうに言うのだった。
どうやら、店のお菓子を(幼稚園児仲間に配って歓心を得ようと)くすねてとっつかまった記憶と、いつでも誰かに見られているのだという疑心がフュージョンして 先の夢に繋がったようである。
(ちなみに 捕まった時は、友達と並んで正座させられて、15分以上の説教 ── もちろん私だけ ── を受けた。 涙がぼろぼろこぼれ 情けない経験だった)



だってかけっこ嫌いだったんだもん~嘘について を読みながら、小学校の徒競走の記憶が脳裏によぎった。
私の家族は、私以外は全員足が速い。 妹はいつでも紅白リレー選手だったし(さらにオール5を取っていて 兄の面目はいつも潰れていた)、弟だってクラス対抗リレー選手には選ばれていた。 両親も町民運動会では 前走者を抜き去るか追い上げるかだった。 少なくとも、私の脳裏にはそういったシーンばかりが刻まれている。(抜いた後でアキレス腱の半断裂があったことは、年寄りの冷や水と言うものであろう)
その中で私は唯一の鈍足人間だった。 ビリにはならないが、いつでも必ずビリから二番目なのだった。 当時の徒競走は身長順でグループ組みしていたので、背の低い私(前から2~4番目が指定席だ)にとっては、足の遅い人間が多い組み合わせのはずなのにブービーなのだ。
6年の時、運動会の総練習でもやはりブービーだった。 70m地点で抜かれてしまうのだ。
ところが本番では、どうした訳か5人で走ることになった。(遅い誰かが具合が悪くなったのだろうか?) 70m地点でいつものように追走者に並ばれた。 諦めかかったその時に、横の観覧席から"ガンバレー"の声援と共に家族の顔が飛び込んできた。 その瞬間ほんのちょっとだけ負けたくないと思ったのだ。 私の足はほんの少しだけ力を増し、横並びだった追走者の脚力を上回ることができた。 そして3位入賞。 いつも1位・2位であるきょうだいには及ばないが、私にとっては初めての徒競走入賞だった。

その後に身長は、平均身長の170cmにはなることができた。(今は縮んだ w)
中学2年3年はバスケ部だったのに、百メートル15秒ジャストという不名誉な記録(ちなみに私の娘は中一でも15秒4)も、高校2年になる頃には13秒5と まぁ人並みのタイムにはなった。 高校のマラソン大会も 500人中の150番代にはなることができた。
しかし私の同級生は、中一の時点で12秒ジャストのタイムを叩きだしていた。 (彼のタイムはその後 全く伸びなかったが) 
上を見ればキリがないことは、わかっている。 それでも同級生と走って、100mで30メートル以上の差をつけられるというのは、かなりミジメなものではある。

血筋のせいにはできない。 家族はみんな俊足なのだ。
体が弱かったせいにはできない。 本は好きだが宿題からは逃げてたし、足が速くたって勉強はできるのだから。(家族にそういう見本がいる)
だから、あのとき一瞬の声援の力を受けての3位入賞は、紛れなく声援のおかげなのだ。

私と同じく足の遅い同級生の女の子も やはり中学でバスケ部だった。 彼女は走り方がわからなくて走り方の練習をしたというツワモノ(?)である。 その後も彼女はずっとバスケを続け大学になってもバスケットリーグで活躍できるほどに頑張ったと人づてに聞いた。
私は泳ぐのも苦手だった。 無呼吸で25メートルがやっとだった。
子供をフィットネスクラブのスイミングスクールに通わせているうちに、長距離を泳いでみたくなり自分も夜間の部でスクールに入った。 一年半後には(たらたらとしたまったり泳ぎだが)、なんとか千メートルを連続で泳げるようになれた。



"努力" というものが、今の自分と (こうありたいと)夢見る自分との差を埋めるために存在するものならば、そこにはウソという要素が必然的に入り込むのかもしれない。
ないものをあると言う捏造,あるものをないと言う隠匿,大きいものを小さくする矮小化,小さいものを大きくする誇張,そして基準を絶対値と相対位置とを変えてしまうすり替え。
それらの、自分を騙す種類のウソを重ねながら、努力への意志は保たれるのだろう。

思っていることと言ってることが違うなら、それはウソになる。
言ってる事とやってる事が違うなら 、それもウソになる。

感じることと思うことを、時に一致させ、時にはずれを生じさせながら、そのつじつま合わせのために、頑張ろうという心にさせるのが自分を上手に騙すコツなのだ。


そして今、私は思っているのです。
努力なんて、自分にウソを刷り込むなんて、いつでも自分に飢えを与え続けるなんて、そんなことを続ける必要はないのだと。
そんなことを、他人に要求してはならないのだと。

そんな私は AB型。。。





そんなわけで 明日 晴れるといいな : 嘘つきが好きよTBです。
○●○●○●○●○●○●○ 血液型TB第14弾 ○●○●○●○●○●○●

 あなたならどっち?

 第14弾  お題

 「ウソは許せる?許せない?
 そしてあなたはウソをつけますか?」

 お題にそった記事を こちらまでTBして下さい。
 締め切りは7月9日(日)とします
 テンプレと一緒に 必ずあなたの血液型も 記入してください
 追記
 血液型公表したくない方、
 自分の血液型を知らない方は『自由型』での参加も可です

 ※誰でも参加出来るように
   このテンプレを記事の最後にコピペしてください
 企画元 明日 晴れるといいな

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本音をいうと、いいわけ上手は嫌いです。 男性でも女性でも。 自分がいいわけに精通しているからか(ぉぃぉぃ)、騙されたままではいられないのです。。。

そして、いいわけを言い逃れに終わらせないで努力する人は好きです。 言ってることをやるようになる人ですね。
さらに、つじつま合わせを整合性と正当性と一貫性もってやりぬける人を尊敬したいと思っています。 自分には死ぬまでなれそうもありませぬから。。。

自信というものが、自分自身を尊敬するという意味合いなら、そういう自信ならばあっていいなと思うのでした。(夢という うそ くらいなら、許されますよね)
自分がはしれなくなっても、他の誰かに声援を送れるようになりたいと、そういう声援を恥かしげもなく送れるようになりたいと。
頑張らなくてもいいんだよ。 そう思いながら、頑張れ~っ♪ ってね。
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by bucmacoto | 2006-07-06 00:48 | wave
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