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point sammary: 日経サイエンス2006-02 p94-103
2006年 04月 26日
このsammary log は雑誌読後に点描的に書き写したものです。
(誤字誤変換も未確認)
脳にチップを初めて埋めた男 ホセ・デルガードの早すぎた挑戦
原著者: J.ホーガン(スティーブンス技術研究所)
著作出版: 日経サイエンス社

**:長文の引用です:**


1970年代初め,エール大学の生理学教室の教授,デルガード(Jose Manuel Rodriguez Delgado)。
デルガードは脳に埋め込むチップを開発した。信号を受信し,ニューロンへ伝達することで精神を操作する電子装置だ。「電子頭脳人間」から「マトリックス」に至るSF映画の中では小道具に過ぎなかった脳チップは,いまやてんかん,パーキンソン病,麻痺,失明といった病気の治療に試されている。しかしデルガードは数十年も前に,いくつかの点ではるかに画期的な実験を行っていた。「スティモシーバー」と呼ぶ無線装置付の電極をネコやサル,チンパンジー,テナガザル,ウシ,ヒトにまで埋め込み,ボタン1つで心身をコントロールできることを示した。
(2年以上チップを埋め込んだままにしても,合併症などは起こらなかった。)

脳内埋め込みチップの発明者

・スペイン生まれの神経科学者,ホセ・デルガードは1970年代初めに世界で初めて脳に埋め込むチップを開発した。最も有名な実験は闘牛の脳に電極を埋め,手元の装置から信号を送ることで突進してくる雄牛を止めたものだ。 だがほどなく大きな批判を受ける立場になった。
・米国からスペインへ戻った後は次第に大衆からも神経科学の研究者の間でも忘れ去られた。 彼の発明や研究は,現在の脳チップの開発につながった。 脳に埋め込む電極を使った治療は再び脚光を浴びることになり,現在ではてんかんやパーキンソン病,筋肉の失調症であるジストニーなどの運動障害のある患者の生活改善に役立っている。
・90歳になったデルガードは,現在多くの研究が進められている脳チップの有効な活用法や潜在的な危険性について独自の考えを持っている。 この考えを伝える機会を得ようと最近米国に戻った。



ロボトミーを避ける

 1915年,スペインのロンダに生まれたデルガードは,1930年代,マドリード大学で医学の学位をとろうとしていた。彼が独裁者フランコのファシスト政権を支持していたという者もいるが,実際は医学を学びながら共和国軍(スペイン内戦中,フランコに抵抗していた)の医療部隊に勤務していた。フランコが共和国軍を壊滅させた後,彼は5ヶ月間強制収容所に拘留され,その後ようやく勉学を再開している。
 最初は父と同じ眼科医を志していたが,生理学教室で学び,偉大なスペインの神経科学者ラモニ・カハール(Satiago Ramón y Cajal)の著作に触れたことで,脳の謎に興味を持つようになった。「当時,脳についてはほとんど何も解明されていなかった。現在でもそうだ」と回想する。
 特にスイスの生理学者ヘス(Walter Rudolf Hess)の実験に興味を持った。1920年代初め,ヘスはワイヤをネコの異なる部位に挿入して電気的に刺激することで,怒りや飢え,眠気などを誘発できることを実演して見せた。
 1946年,デルガードはエール大学の一年間のフェローシップを得て渡米し,1950年には同大学の生理学科に職を得た。当時の生理学科長は,精神医学分野で驚くべき成果を挙げたフルトン(John Fulton)だった。暴力的で"神経症"のチンパンジー「ベッキー」の前頭葉前部を外科的に破壊したところ,穏やかで従順になったことを1935年のロンドンでの研究会で報告した研究者だ。
 その[聴衆の中にいたのがポルトガルの精神科医モニス(Egas Moniz)で,その後彼は精神病患者にロボトミー(前頭葉切裁手術)を施して優れた結果を得たと報告した。1949年にモニスがノーベル生理学・医学賞を受賞してから,ロボトミーは精神病の治療法としてますます普及するようになった。しかしデルガードは指導者であるフルトンとは意見を異にした。「脳を破壊するというフルトンやモニスのアイデアは恐ろしいことだと思った」と語る。ヘス(モニスと1949年のノーベル賞を共同受賞)が試みた電気的刺激法によって精神病を治療するほうがはるかに適切だろうと考え,「電極を脳に埋め込みロボトミーを避ける方法を思いついた」と言う。
 デルガードが科学的に成功したのは優れた発明家だったからだ。エール大学のかつての同僚は彼を「テクノロジーの魔術師」と呼んだ。所期の実験では,ワイヤ付の電極を脳に埋め込み,頭蓋骨と皮膚を通して引き出したワイヤを大きな装置につないで,データの記録や電気信号の送信をしていた。このシステムでは被験者の動きが制限されるし,感染症にかかりやすくなる。そこでデルガードは,被験者の脳に完全に埋め込める50セント硬貨ほどの小さな無線式のスティモシーバーを考案した。このほか心臓ペースメーカーの原型や,脳の特定部位に正確な量の薬を直接放出する埋め込み型装置「ケミトロード」なども発明している。
 1952年,デルガードは人間への長期的な電極埋め込み実験に関する最初の論文を共同執筆し,チューレーン大学のヒース(Robert Heath)の報告にかろうじて先んじた。その後20年間にわたり,約25人の精神疾患患者に電極を埋め込んだ。大半は統合失調症やてんかんで,当時ロードアイランドにあった隔離精神病院に入院していた人たちだ。どんな治療法を試みても効果がなく,絶望的な患者のみを対象にしたという。
 電極埋め込みにあたっては,先行して行われた動物実験や脳に損傷のある人の治療例,カナダの脳神経外科医ペンフィールド(Wilder Penfield)の研究を参考にした。ペンフィールドは1930年代から,てんかん患者に手術を行う際に,あらかじめ脳を電極で刺激して手術すべき部位を決めていた。
 この研究を通じてデルガードは,脳の運動野を刺激すると,手足の動きなど特定の身体反応が誘発されることを示した。 ある患者は,刺激されると意思に反してこぶしを固く握りしめた。 患者は「先生,電気は私の意思よりも強いようだ」と話した。別の被験者は電気刺激によって頭を左右に動かしているにもかかわらず,「スリッパを探しているんだ」と自発的にそうして入と主張した。

感情を引き出す刺激

 感情をつかさどる大脳辺縁系の異なる部位を刺激することで,恐怖や怒り,欲望,歓喜,饒舌さなどの反応も引き出した。 驚ほど激しい感情を示す例もあった。 ハーバード大学の研究者と共同で行ったある実験では,21歳の女性てんかん患者が穏やかにギターを弾いている間に側頭葉を刺激した。 すると彼女はかっとなり,ギターを壁に投げつけ,危うく研究者の頭に当たるところだった。
 医学的に最も価値ある発見は,辺縁系の「中隔」という部分を刺激すると強い幸福感が生じ,場合によってはうつや身体的痛みまでを打ち消せることを示した点だろう。 しかしデルガードは人間に対する研究を自粛した。 治療効果がまちまちだったからだ。 結果は患者によってさまざまで,同じ患者に対しても効果の予測は不可能だった。 実際に埋め込み手術をした患者よりも,断った例の方が多かったという。
 断った患者の中には,性的に乱れていて暴力を振るいやすく,刑務所や精神病院に何度も収容されたことのある若い女性もいた。 本人も両親も電極を埋め込んでくれるよう懇願したが,その女性にははっきりした神経障害が認められなかったため,電気的刺激の効果は期待できないと判断し,依頼を断った。
 一品,去るなどの動物では精力的に実験を進め,特に攻撃性を誘発したり抑制したりする神経部位に的を絞って研究した。 ある実験では,脳を刺激すると社会行動にどんな影響が生じるかを探るため,マカクザルのボスにスティモシーバーを埋め込んだ。 ケージにレバーを設置し,このレバーを押すとスティモシーバーがサルの尾上核(随意運動のコントロールに関係する脳の領域)を刺激して,サルがおとなしくなるようにした。 ケージの中のメスはすぐにレバーの効果に気づき,ボスに脅かされるたびにレバーを押した。 擬人的な表現や解釈を好んだデルガードはこう記した。「下位の者がリモコンで独裁者の力に打ち勝つという長年の夢が,少なくともこのサルの集団では実現した。」

闘牛を操る

http://www.wireheading.com/
 デルガードの最も有名な実験は1963年,スペインのコルドバの闘牛飼育牧場で行われた。 何頭かの闘牛の脳にスティモシーバーを埋め込み,その牛を1頭ずつ闘牛場に入れた。 デルガード自身も闘牛場に入り,手に持った送信機のボタンを押してそれぞれの牛の行動をコントロールした。 彼が牛の尾上核を刺激して,突進してくる牛を目の前わずか数十センチのところで立ち止まらせた瞬間が,劇的な写真にとらえられている。
 New York Times紙はこの実験の記事を1面に掲載し,「脳を外からコントロールすることによって動物の行動を意図的に変えた。これまでに行われた同様の実験の中で最も見事な実証だった」と評した。 他の記事も,攻撃的な猛牛をまるで「牛のフェルディナンド」(絵本の主人公)の実物版のように変化させたと称えた。
 しかし,科学的重要性という点では,パディと名づけられたメスのチンパンジーを使った実験の方が注目に値するとデルガードは考えていた。 実験ではパディの扁桃体から放出される脳波のうち,「スピンドル」という特徴的な脳波信号を検出するようスティモシーバーをプログラムした。 そして,スティモシーバーはスピンドルを検出するたびにパディの扁桃体を刺激し,嫌な反応,つまり痛みや不快感を伴なう感覚を生み出した。
 このネガティブなフィードバックを2時間行った後,パディの扁桃体から放出されるスピンドルは半減し,6日後には99%低下した。 ただ,パディが元気いっぱいだったわけではない。「行動テスト中におとなしくなり,注意力や意欲にかけるようになった」とデルガードは観察記録に記している。 しかしそれでも,「この"自動学習"はてんかん発作やパニック発作など,さまざまな障害の抑制に使用できるだろう」と推測した。
 デルガードの研究は通常の政府機関だけでなく,海軍研究局など軍の機関からも資金援助を受けていた[米中央情報局(CIA)の支援を受けたとも言われたが,そのような事実はないとデルガードは主張している]。自らを平和主義者だと言うデルガードは「ペンタゴンは私の研究を基礎研究としてみており,軍事的に応用するよう強制されたことはなかった」と話している。
 また,脳内埋め込み電極が,映画にもなった小説「影なき狙撃者」に登場する洗脳された暗殺者さながらに,命令で人を殺すサイボーグ兵士につながるという憶測を彼は常にはねつけていた(1962年の映画『影なき狙撃者』では暗殺者は心理的方法で洗脳され,2004年のリメイク版『クライシス・オブ・アメリカ』では脳チップでコントロールされる話になっている)。「脳刺激は攻撃的行動を増長あるいは抑制できるものの,特定の相手を意図的に攻撃するといった行動は誘導できない」と断言する。

「精神市民社会」を夢見て


デルガードは1969年,脳刺激研究とその潜在的な重要性に関して,『Physical Controle of the Mind: Toward a Psychocivilized Society(精神の物理的制御):精神市民社会への道』という本を著した。この本には,スティモシーバーを埋め込んだサルやネコ,牛のほか,ターバンで装置を隠した2人の若い女性の写真が載っている(女性患者は装置が目立つのを嫌い,帽子などをかぶりたいと望んだ)。 デルガードはこの本で脳刺激の限界を詳細に述べながら,マッド・サイエンティストが人間の脳に電極を埋め込むことで人々を奴隷化するという「オーウェル的な可能性」など考えにくいと書いた。
 しかし,同書の中に福音主義的な論調が含まれていたのも事実で,これがかえって警戒心を抱かせた。 彼は「神経を操作する科学技術は精神を整復し,残酷さの薄れた,より幸せでよりよい人間を作り出す一歩手前まで来ている」とまで述べている。 物理学者の故モリソン(Philip Morrison)は同書について,SCIENTIFIC AMERICANの書評で「電気的刺激の最新の知見を緻密に説明している」と評したが,「なんとなく不吉だ」と付け加えてもいる。
 1970年,デルガードは一時共同研究を行っていたハーバード大がくい学部の2人の研究者,エルヴィン(Frank Ervin)とマーク(Vernon Mark)が引き金を引いたスキャンダルに巻き込まれた(エルヴィンの教え子の中には,「電子頭脳人間」を書いたクライトン(Michael Crichton)がいる。ベストセラーになったこの本は,脳に電極を埋め込んだ男の悲劇をテーマにしたもので,エルヴィンやマーク,デルガードの研究から着想を得た)。 エルビンとマークは著書『Violence and the Brain(暴力と脳)』の中で,脳刺激やや脳外科手術を使えばスラム街で暴動を起こす黒人の暴力的な傾向を抑えられるだろうと述べて物議をかもした。
 1972年にはチューレーン大学の精神科医ヒースが火に油を注いだ。彼は実験で同性愛者の中隔(刺激すると幸福感が生じる)に電極を埋め込み,娼婦と性交中にこれを指摘して,男性の性的嗜好を変えようと試みたことを報告したのだった。

期待高まる人工神経
 デルガードらが半世紀前,脳に電極を埋め込む研究を始めたとき,この分野の研究からどれほどの人々が恩恵を受けることになるのか,本人たちも予想できなかった。 最も成功した埋め込み装置は聴覚神経を代替する人工内耳だ。 7万人以上の人がこの装置を装着している。 この装置は,外部マイクロホンからその信号を聴神経へ送ることで,少なくとも最低限の聴覚を回復させる。
 17歳のワイナー(写真)は脳への刺激装置を埋め込んでいる。 同様の装置はパーキンソン病などの運動障害に苦しむ3万人以上の人に埋め込まれている。ほぼ同数のてんかん患者が,首の迷走神経を刺激する装置による治療を受けている。
 他の代替器具の研究はまだ発展途上だ。 うつ病や脅迫性障害,パニック発作,慢性疼痛などの障害を治療するために脳や迷走神経を刺激する臨床試験が進行中だ。 人口網膜(目の信号処理能力を模倣し,視神経や視覚野を刺激する光チップ)は,目の見えない人のうち,ごく小数の人に試されている。 だが,はっきりした像ではなく,閃光のような明るい点が見えるだけだ。
 最近では複数のグループが,サルを使った実験で,思考によってコンピューターやロボットアームをコントロールできることを示した。 どのメディアもこれを『考えるだけでコントロールした』と報じたが,念力ではなく,埋め込まれた電極が神経信号を捉えて,動かしている。 運動神経が麻痺した患者に運動機能を持たせられる可能性は高いが,今のところ,ヒトを対象にした実験はほとんど実施されておらず,まだ実用化のめどは立っていない。 アルツハイマー病などの障害のある患者の記憶を回復させる可能性のあるチップも,ラットで動物実験を行うまでにはまだ1~2年かかる。
 人工神経器具市場の可能性は膨大だ。 米国には推定1000万人のうつ病患者がいるほか,450万人はアルツハイマー病による記憶喪失に苦しんでいる。 200万人以上が脊椎損傷や筋萎縮性側索硬化症(ALS: Amyotrophic Lateral Sclerosis),脳卒中によって麻痺を生じており,100万人以上が失明していると考えられている。(J.ホーガン)

補助なしで歩けるように

 ワイナー(Kari Weiner)は,制御できない筋麻痺を引き起こす疾患,ジストニーで7年以上車イス生活を余儀なくされていた(左)。 彼女は,13歳のときに脳にバッテリー駆動のチップを埋め込んだ。 さらに歪んだ筋肉と伸びた腱を修復する手術を受け,今では補助なしで歩いている


高まる非難の声

 脳内埋め込みチップにもっと無強く反対したのは精神科医のブレギン(Peter Breggin)だ(その後,彼は抗精神病薬の危険性を問題視している)。 1972年の連邦議会議事録に記載された証言の中で,ブレギンはデルガードやエルヴィン,マーク,ヒースをロボトミー推進者とあわせて,『基準から外れた人を外科的に切り刻む社会』をつくろうとしている として非難した。
 またブレギンは『Physical Controle of the Mind』を引き合いに出し,デルガードを"テクノロジー全体主義を擁護する大立て者"として槍玉にあげた。 また,ミシガン大学アナーバー校の神経生理学者バレンスタイン(Elliot Valenstein)は1973年の著書『Brain Control(脳制御)』の中で,デルガードらの脳内埋め込みチップに対する詳細な科学的批評を展開し,刺激の結果は支持者たちが示しているものよりも不確実で,治療効果もほとんどないと主張した(これに対しデルガードは,彼自身が著作の中でバレンスタインと同様な点を多く指摘していたという)。
 そうこうするうちに,『脳にスティモシーバーを密かに埋め込まれた』としてデルガードを訴える人々が現れた。 ある女性は,会ったこともないデルガードとエール大学を相手取って100万ドルの訴訟を起こした。 この騒動のさなか,スペインの保険相パラシ(Villar Palasi)はデルガードに,マドリード自治大学に新設する医学部の教官になるよう依頼した。 デルガードは了承し,妻と2人の子供を連れて1974年にスペインに帰国した。 研究をめぐる論争から逃げたわけではないという。 「私は大臣に『エール大学と同じ設備を提供してくれますか』と尋ねたのだが,彼は『いや,ずっとよい設備を提供しますとも』と答えてくれた」。
 スペインで,デルガードは非侵襲的に脳に影響を与える方法に研究の方向性を移した。 埋め込みよりも医学的に受け入れやすい方法になると期待したからだ。 後頭蓋磁気刺激法などの現代的な方法を先取りする形で,特定の神経部位に電磁気パルスを送るヘルメットのような装置を発明した。 デルガードは動物とボランティア(娘のリンだも含む)の両方でこの状態を誘発できることを発見した。 パーキンソン病患者の震えの治療にも成功した。
 それでもデルガードは論争から完全に逃れることはできなかった。 1980年代半ば,Omni誌の記事やBBCとCNNのドキュメンタリーは,デルガードの研究を状況証拠として,米国とソ連が人の思想を遠隔操作で変える方法を密かに開発した可能性があると報じた。 これに対しデルガードは電磁気パルスの強度と精度が距離と共に急速に低下することを指摘し,これらマインドコントロール説を『SFだ』として一蹴した。
 だが,こうした報道がときどき話題になるのを除くと,デルガードの研究は以前のような注目を浴びることはなくなった。 彼は認知や行動,電磁放射が行動や胎児の成長に及ぼす影響について論文を発表し続けたが,その多くはスペインの医学誌に掲載された。 米国では脳刺激研究は倫理的論争の中で行き詰まり,助成金が打ち切られて研究者たちは精神薬理学の分野に転向した。 脳刺激や脳手術よりもはるかに安全で効果的な治療法になると考えられたからだ。 脳内埋め込みチップの研究が復活したのは10年程前からだ。 コンピューターやマイクロエレクトロニクス,脳画像技術が進歩したほか,薬物による精神病治療の限界がはっきりしてきたことによる。

復活する脳刺激研究

 デルガードは1990年代初めに研究の第一線から退いた。 だが,脳刺激の分野への興味は失っていない。 現在の研究者がデルガードの研究を引用しないのは,論争の的になったからではなく,単に自分の研究を知らないからだと考えている。 確かにデータベースには彼の最盛期だった1950年代と1960年代の出版物が含まれていない。 デルガード自身は,最近の脳刺激研究の復活に期待を寄せている。 脳刺激によって精神神経疾患から人々を救える可能性を今も信じているからだ。 「近い将来,非侵襲的な方法で多くの人を助けられるようになると思う」と話す。
 現在,デルガードと同じ分野の研究を進める後継者たちも,彼が直面したような世間の猜疑心にさらされている。 学識者の中には,New York Times紙のコラムニスト,サファイア(William Safire)のように「権力者が脳チップを使って私たちの脳みそをハッキングする恐れがある」という懸念を表明したものもいる。 またNature誌は最近,この分野の助成を積極的に進める米国防総省高等研究計画局の担当官が兵士の認知能力を高めるために脳チップを埋め込むことを公然と検討しているとして,懸念を表明した。
 一方,英国のコンピューター科学者ウォーウィック(Kevin Warwick)ら一部の熱狂的な技術信奉者は,脳チップはリスクよりも有用性のほうがはるかに勝ると主張している。 一瞬で新しい言語や他の技術を”ダウンロード”したり,テレパシーのような要領で互いの意思疎通を図ったりすることが可能になるとみる。
 これに対しデルガードは,「多くの人が恐れるほど,あるいは期待するほど,神経制御技術が進歩することはないだろう」と予測する。 ウォーウィックらが思い描く応用を実現するには,複雑な感情が脳にどのように書き込まれているかを解明する必要があり,その目標が達成されるのはまだまだ先だと指摘する。 さらに,量子力学でも新しい言語でも,習得には「既知の脳神経回路が徐々に変化する過程が必要で,突然のそのような変化を達成できるとは思えない」という。 脳刺激で可能なのは,すでに持っている技能や能力を変えることだけだ,と付け加える
 一方,一部の科学的テーマはそもそも研究すべきではないという主張には反対している。 米大統領の生命倫理評議会などは,人間の本質を変えることを伴なうようなテーマは追及すべきでないと提言しているが,デルガードの意見は異なる。 「確かにテクノロジーには善と悪の二面性がある。有害な結果を回避するために,可能なことをすべきだ」と言う。 破壊的な力を秘めたテクノロジーが,より大きな権力を得ようとする独裁主義的政府やテロリストによって乱用されることを防いでいく必要があるのだろう。
 しかし,著書『Physical Controle of the Mind』の中で繰り返し強調されているように,人間の本質は静的ではなく『動的な』ものであり,これは止めることができない自己探求の結果なのだとデルガードは主張する。 「知識の探求を止めることはできるだろうか?」と彼は問う。 「できるはずがない。 テクノロジーの進展を止められるだろうか。 できはしない。 倫理や個人的信念にかかわらず,物事は常に前進していくのだ。」

訳 日経サイエンス編集部


原著者 John Horgan
米国ニュージャージー州にあるスティーブンス技術研究所の科学ライティングセンター長。 1986年から1997年までSCIENTIFIC AMERICANのスタッフライター。 その後フリーのサイエンスライターとしても活躍。 主な著書に「科学の終焉(おわり)」「続・科学の終焉---未知なる心」(徳間書店).

<原題名>
The forgotton Era of Brain Chips (SCIENTIFIC AMERICAN October 2005)

もっと知るには…


BRAIN CONTROL: A CRITICAL EXSAMINATION AND PSYCHOSUBGERY. Elliot S. Valenstein John Wiley and Sons. 1973.
「思考でロボットをあやつる」M.A.L.ニコレリス/J.K.チュービ9ン, 日経サイエンス2003年1月号
REBUILT: How BECOMING PART COMPUTER MADE ME MORE HUMAN. Michael Chorost. Houghton Mifflin, 2005.
大統領生命倫理評議会のウェブサイト http://www.bioethics.gov
現代の脳刺激研究についての概要は http://www.bioethics.gov/transcripts/june04/session6.html
脳刺激の可能性を示すウェブサイト http://www.wireheading.com
米政府によるマインドコントロールを危惧するウェブサイト http://www.mindjustice.org

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by bucmacoto | 2006-04-26 21:38 | quote/data
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