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ばくまこと予想
2010年 02月 02日
以下は、昨年師走に書いて正月に仕上げようとして、それっきり投げ出してあった投稿です。
どうも仕上がりそうにないので、Work List(途中経過)公開としておきます。
write from 2009.12/23
post at 2010.02/02



19世紀半ばの1859年には、c.ダーウィン著で 種の起源 が出版された。
その同じ年、数学の最難問のひとつ リーマン予想 が発表された。
※参考 1859年

実は、こんな番組が放映されていたらしい。

 Run King
ばくまこと予想_a0004423_20375052.jpg


BSアンテナもない(そもそもTVをほとんど見ない)私なので、nhkオンデマンドで視聴した。
 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2009012141SC000/index.html
とても興味深かった。


数学上の難問として、浅学の私に思い浮かぶのは
ポアンカレ予想 - Wikipedia
フェルマーの大定理 - Wikipedia
くらいのもの。。。

けれどフリー百科事典に記されているだけでも、こんなにあるのですね。
 数学上の未解決問題 - Wikipedia


思い返せば、私は数学が好きだったのですけれど、さほど得意ではなかったように思います。
共通一時(当時、現在のセンター試験)は150点は超えたものの、165点に届いていなかった。
応用数学だって、3年ほど上の学年までは試験中の指数関数計算を級数展開で計算さしていたと聴かされていたものの、私たちの時代には試験で電卓使用可になっていた。
ちなみに私には、級数展開計算というような緻密な計算を遂行する能力がない。 三角関数の計算がたんまり出てくるフーリエ級数だって、虚数平面の考え方(複素数計算を単位円の形式で処理)を用いられるようになってやっと腑に落ちた(形式的な計算をこなせるようになった)という程度でした。

対数計算の手法で計算尺が操作できること、級数計算の手法を、あたかも小学生の九九計算のように、解を求める前提技能としていたこと。 それらのことは、電卓のないむかしだからにせよ、凄いものだと思います。
(ローマ兵に殺害されたアルキメデスとか、原論を書き上げたユークリッドとか、2千年前の知性でも、私には凄いとしか思えない。 近代(2百年前)の科学者が子供向けに書いたロウソクの科学ですら、畏敬しております。)



むかしも凄かったけど、今の電子計算機(スーパーコンピュータではなく日用品化したパソコン=電卓の発展形だと思ってもいい)も凄いものだ。
無限にあると予想されている双子素数のうち、2009年現在に知られているのが
65,516,468,355 × 2333,333 ± 1
なんていう10万355桁のものだというのを計算したのが、BOINC(旧 SETI@home の流れを汲む分散コンピューティング技術)上で動く PrimeGrid だというのも凄いものだって思うのだが。。。
(PCって私が高校卒業した頃に買えなかったHPの関数電卓の価格だよなぁ。。。今や)
 ※ Prime Number : 素数   Grid Computing : 分散コンピューティング


そういえば、この世界全体(宇宙全体)を巨大なシミュレータ・マシン(実験場)と考える見方は、古典的神話や説話、トンデモ似非科学(オカルト)や、ホラー文学(鈴木光司著 『リング』~『らせん』~『ループ』)、正統派SF(『フェッセンデンの宇宙』)など至るところで目にするもの。
宇宙全体のような巨大なものを、あるいは人智の未だ及ばないものを、人間のサイズに(または、よく知られているものに)置き換えて想像するというのは、神話であり哲学であり科学であるという気もいたします。
 宇宙は自然選択で進化する?



私の脳内で考えられることは、さほど論理的でもなければ耽美的にもなれない中途半端な夢想どまりなのですが、点描形式で書いてみたいと思います。
(前置き・・・長くて、本論が短いというクセはなおらんねぇ)




written from 2009.11/27
post at 2009.12/06
last edit at 2009.12/06

以下は夢想。 (哲学と呼ぶほど論理的でも、科学と呼べるほど実証的でもない)


現実というものを、脳内にモデル化すること。
私はこれを、認識であるとも.帰納であるとも、普遍化または抽象化であるとも思っている。


脳の外・身体の外側に存在する現実を、脳内に投影するはたらきを、こころと呼ぶ。
投影と書いたけれど、画像として記録するものばかりでなく、記号にして脳内格納したり、言葉(音声と文字)にして記録するものも含めるのはもちろんだ。
そういう意味では、こころの中に存在するもの(脳内モデル)ってのは、「現実の影」にしか過ぎないのだということもできる。

現実が変化すると、脳内のモデルは形を変える。
こころを形成する背景環境 ── 扱う言語や文化的背景や素養など ── によっても別の形をもつ。
(さらに細かくいうなら、ある人が青いといった色と、別の背景を持つ人が言った青い とは別の色である場合もある。 信号機の青色 と 海の青色 青々した山 すべてそのように、表現と現実との関係は揺らいでいる)


こころは影に過ぎない・・・それでは、かつて(ギリシャの哲学者、ソクラテスの弟子)プラトンが不変なもの(普遍な実存)として脳内世界(精神世界とかイデアとか)を捉えていたのはどうしてだろうか。

現代でいえば、インターネットで使用されるURL(例えば、http:www.google.co.jp など)を思い浮かべるてみると良いかもしれない。

ネットワークアクセスで使用される、URLは例えば、
 66.249.89.103 とか
 66.249.89.104 とか
 66.249.89.147 とか
 66.249.89.99 とか
これらのようなIPアドレスに対して、人間が扱いやすいようにした文字列に過ぎないといえましょう。(アドレスで直接指定しても下の様にアクセスは可能)

http://66.249.89.99/search?hl=ja&q=%8B%F4%91R+%95K%91R+%8B%F3%8A%D4+site%3Abucmac.exblog.jp
しかし、例えばサーバーが変更されるとかの物理的(これ厳密には論理的)アドレス変更があったときには、上記のアクセス方法ではつながらなくなります。 その場合には、
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%8B%F4%91R+%95K%91R+%8B%F3%8A%D4+site%3Abucmac.exblog.jp
となっているのであれば、ブックマークの変更なくアクセスできることになります。

この場合、変わらないものは URL(人間に都合よい記号) / 変わってしまうものは IPアドレス(コンピュータが現実に扱う住所地)ということになるのでしょう。
似たような関係として、緯度と軽度で位置を表すやりかたと、国名・県名・市名・番地であらわすやり方の違いもあげてよいのかもしれません。
緯度と軽度なら太陽との位置関係は固定となり、より絶対の座標になりそうにも思えるのですが・・・地震がおきて一気に十数センチとか移動したり、それとは対照的にゆっくりと数十年間かけて地盤を乗せているプレートが移動したりすることだってあるのです。

変わらないもの・・・そのような点を求めてつづけてゆくと、重視する立場や考え方次第で、それが
・心の中の記号になったり
・観測される事象そのものではなく、平均とか中央値とか偏差値とかになったり
・人為的なもの一切を排除しての、未加工生データこそ信頼できる唯一のもの と見えたり
けっこう ゆらぐ ように思います。


ここまで、外部からの刺激入力を受け入れる働きとして こころ を記述しました。
その一方で、脳内にあるモデルを現実に対して働きかけるのも、こころ であるといえましょう。
外界への出力を行う、いわば主体つぃてのこころです。

・・・・これ、論ずるのはかなり手こずるのでざっくりと無視します(爆笑)

主体となると、そこに基準点(座標で言う原点)を認めないと論として形にならないのですが、この基準点の扱いってのがかな~~り難物なので。。。回避しようと思うのです。
そもそも 点 というものって、概念の中にしか存在しない側面がありそうですしね。

・・・略・・・




重力と加速度は区別できない(等価である)ということが、一般相対性理論の出発点でした。


『静止している』とは、同一慣性系に属して相対速度の違いがない状態。
『完全な静止(熱的な振動が皆無=量子ゆらぎなし)』は、同一位相。
『大きさのない点 = 相互作用の重心と見なせる(繰り込むことの可能な無限に小さい領域)』

・・・略・・・
by bucmacoto | 2010-02-02 22:25 |   retro/post
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