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mild - moderate - severe
2009年 06月 16日
新型H1N1インフルエンザの WHO発行パンデミック警戒レベルが、11日付で6となった。

日本では重篤(シビア)な症例は出ていないものの、北米などに若年者の死者があることから、弱毒性という指摘があるにも関わらず、危険度は「中(モデラート)」と判断されたそうだ。 小さな危険度(軽度)のものはマイルドと称される。

  • mild マイルド (軽症)
  • moderate モデラート(中等度)
  • severe シビア (重症)




よい と わるい。 ふたつだけの選択肢では妥当な評価というものは難しい。
全と無と、All or Nothing の応答でしか神経細胞が発火しないとしても全体の判断が二値化されていては疲れてしまう。
善悪二元論、白か黒かでしか判断できないのでは、その世界観で構築された論理は妥当性を欠いてゆく。

上品と下品の間に 中品(仏教用語ではちゅうほんと読むのかな?)があり、右と左の極端の間に中庸が存在する。 光と闇との間に 朝と夕とがあって、神と悪魔との間に 人間がいる。(あれ? これって違うか ^^ → この辺の記事とかこうもり と ひつじとか)

強いと弱いとの間にも、TopとBottomの間にも、中間のものがあるわけだ。
中間というものは、(適切という意味合いでの)適当な存在だ。 モデラートの語源となったラテン語には 「適当な尺度 (modus) 内に抑える」の意 があるらしい。


そのような 中間 を、「どの程度」かとあらわすために、3段階評価や5段階評価、十段階評価、百分率(パーセンテージ とか 百点満点)、パーミル(‰ 千分率)が使われる。
10分の1ならデシ(deci- デシリットルなど)があり、100分の1ならセンチ(cent- センチメートル)があり、1000分の1ならミリ(mili- ミリグラム)がある。


仏前・神前の祝言の席上行われるしきたりに、三々九度 がある。 (杯を新郎新婦間で三回往来=一往復半=させて仰ぎ飲み、それを3度 ── 新郎発・新婦発・新郎発と輪番で ── 繰り返す)

 3 + 3 + 3 なので しめて9度、杯への口寄せを行うわけだ。


先の デシ - センチ - ミリ というのは、日本語でいうなれば、割・分・厘(0.345 = 3割4分5厘)という感覚で、これは直列の視点ということになるだろう。
10分割(10段階)にしたそれぞれの1片(ひとかけら)を、さらに10に割るという操作を、合計3回繰り返したのが、千分率(パーミル[‰])ということだ。 どうやらその程度が誤差(ゆらぎ)を含めると扱うに適度な尺度らしい。 (パーセントであっても、34.5% とか3桁を使うことが多い)


直列の視点があるなら、並列の視点というものがあってもよいだろう。
ルービックキューブは、縦に3分割、横に3分割、奥行き方向に3分割されている。
これと同様な分割を、10段分割で行う(縦も横も奥行きも10分の1にさいの目切りする)と、それもまたミリの単位となる。
 (一辺が10cmのさいころの容量は、1リットル。 1辺が1cmのミニさいころは、1ミリリットルの容積だ。)


ぽ~~~んと飛躍した話になってしまうが、鎌倉仏教の宗派に 一念三千という概念がある。
この世の森羅万象すべては、
  1. 相(どう見えるか)
  2. 性(何を内にもつか)
  3. 体(どこに納めているか)
  4. 力(パワー)
  5. 作(仕事量)
  6. 因(出発点)
  7. 縁(環境)
  8. 果(ゴール)
  9. 法(ルール)
  10. 本末究境等(全体として結局どうか)
という10の視点(要素)に分けられるっていう10如是(如是ってのは、単なる言葉ではなく 言葉で指し示された対象そのもの = いわゆる実在 = という感じ)で構成されているという観念だ。
これが 3段(並列なら縦・横・奥行きの3方向)あるから 1000要素になり、過去・現在・未来にわたれば三千というわけである。
そして、(いまこの一瞬の時間は、直後に過去となり、未来も瞬く間に現在となる。。。 つまり現在って 過去と未来の間を隔てる/繋ぐ無限に小さな一瞬でしかない)一瞬の深い想い(一念)が、この3千の要素に波及するっていう観念だ。。。。 と私は理解したのだが、これってどうやら曲がった理解だって言われたこともあるから、普通の解釈はこうではないらしいのだが(ぽりぽり)


で、もう一度、千という得点評価に立ち戻って話を進めると、私が受験した頃の共通一次試験(現・センター試験)は千点満点だった。
この共通一次とかセンター試験というのは基礎学力を測るモノサシだという。

そうであるなら、大学受験の尺度なんていう狭苦しい細分化(いわば直列っぽい序列化)ではなく、並列化した評価で配点する評価というのもアリではないだろうか。

  1. 外見(表情・態度・言葉遣い)
  2. 気性(温和・活発・変動性)
  3. 体育(体格・運動能力・健康さ)
  4. 力量(吸収力・表現力・気力)
  5. 作用性(実現したこと・もの・賞罰)
  6. 本人
  7. 家族・友人・尊敬す(憧れ)る人
  8. これまでの試験結果
  9. 基礎力(ドレミ 足し算引き算 ひらがなカタカナ)
  10. 応用力(楽器 乗除実数 当用漢字)
  11. 発展力(特技 学者級 セミプロ級)
あれ? 十要素でねぇじゃん(笑)



話を広げすぎた、小さくまとめよう(と、思っていると支離滅裂になるんだけどね ^^)

コンピュータは二進数で動いている。 オンかオフ(スイッチの入り切り)、荷電のあり・なし、極性のNかS、TrueとFalse(真と偽)。

人間の脳細胞(神経細胞=ニューロン)だって、発火するか(細胞の脱分極 ── イオンチャンネルを開いて電気的刺激を伝達するか)どうかを、全か無か(all or nothing)で応答するだけだ。

そんな機械仕掛けに近い構造のコンピュータが、文字情報を扱い 音楽を記録し 数字の計算を遂行する。 一方、動物の発展形に過ぎないヒトは、愛を語り 歌をうたい 幾何空間を脳内にモデル化する。

二値化(あるかないか)だけの機能が織り成す現実のイミテーションというのも、侮れない。

ファックス原稿は二値化された信号だけれど、誤差拡散 ── 薄い部分を疎ら(まばら)に表現する ── する手法で擬似的に写真原稿を作ることができる。 新聞紙上の写真もそうだし、もっと言えばインクジェットプリンタで印刷された写真だって(昇華型や熔融型でない限りは)同様に、あるかないかの二値信号だ。

中間というものを持ち得ないのに(むしろ そうだからこそ)、工夫を重ねて中間というものの表現を実現しようとした努力(=小さな技術の積み重ね)の結果が、現在のちょっと見ただけではあまり写真と違わないような印刷テクニックに結実したわけだ。

コンピュータの技術も、脳の進化も、この点は同様なのだろうと思う。


両端があって、対極的なものを確立した上で、中間というものを知り 織りなす。
両端を捨てて、中間・中庸を歩みつつ、一度は捨てた極端なものを理解してゆく。

どちらも あり なのだろうと思う。 道は1つに限らない部分だってあるのだ。


今回の 新型(豚由来の)A型インフルエンザは、【劇症型・強毒性』のものではない。
かつて20世紀が始まった頃に猛威を振るった、H1N1型(スペインかぜ)の系譜ではあるが、危険度は 『中くらい』のほどほどさである。 いわば、軽症型・弱毒性の普通のインフルエンザに近いけれど『一応は』中にランクされる ─── そんな印象を私は感じている。
(あるいは、もしかしたら、日本人は毒性を示しにくい小さな特徴があるだけで、激しく危険な感受性を示す遺伝子亜型の群もあるのかもしれないけれど)
けれども、ごく普通の食品、ソバとか小麦とか卵とかも、アレルギーを有しているヒトには充分に【危険】なものになりえるのだ。

重く見積もりすぎるのも 軽く考えすぎて思考を端折るのも、どちらも手抜き(あるいは傲慢さ)につながりかねないのだろう。 手抜きと軽視と無視とは、ほとんど紙一重で違いが微妙すぎるから、『戒め』というものをヒトは創り出した。 そうも言い得るのかもしれない。

『戒め』には【禁止】の意味合いが強く感じられる。 戒めとされたような行いをするなら、それは 神仏の定めた道とは【違う】というわけだ。
しかしながら、『戒め』というものからヒステリックな(性急な)要素を除去して眺めなおすと、【せっかち】な結論 ── 頭ごなしの決め付け や はなから断定するような偏見 など ── こそを 戒め ているように思うのだ。
大事にする・思いやる・見守る・育む・・・、それらは時間をかけることを厭わない(好きになるっていうことと同じ)態度から生まれるものなのだろう。

   この点において、愛も慈悲もおんなじ群に属する概念だと思うなぁ


(一応 格好だけ原典表示するが私には読み取れていない)> WHO | Influenza A(H1N1)
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by bucmacoto | 2009-06-16 07:22 | particle
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